きんだーがーでん

紫水晶羅

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不倫の代償

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 ベビーカーを押す若い母親を穏やかな眼差しで見送りながら、「身体はもう大丈夫か?」と政宗が訊いた。

 午前の講義に出席したあと、政宗と美乃里は、政宗のアパートの近くにある公園で待ち合わせをした。
 聖と楓に怪しまれないよう、一旦帰宅するフリをしたあと、二人はこの公園で落ち合った。

 あんまり人に聞かれたくないから、と選んだこの場所は、住宅街の真ん中にポツンとあり、近くの親子連れが常時二~三組利用するだけの小さな公園だ。
 昼下がりの午後、人気ひとけのない公園には、夏を惜しむようなセミの鳴き声がけたたましく鳴り響いている。
 その間を縫うように、どこからか赤ん坊のむずかる声が、途切れ途切れに聞こえてきた。
 声のする方をチラリと見たあと、政宗は、コンビニ袋に視線を落とした。
「こんなもんで悪りぃけど」
 差し出された梅干おにぎりを受け取り、「ありがとう」と美乃里は頭を下げた。
 時刻は既に一時を回り、空腹に耐えきれなくなった政宗が、早速おにぎりの包装を解いた。

 残暑の厳しい中、二人が腰掛けている木陰のベンチは、風が吹くたび木の葉がざわめき、涼しい風を送り届けてくれる。
 渡されたおにぎりを両手に乗せたまま、美乃里は風に揺れる木の葉をぼんやり見つめた。
「もしかして、梅干、嫌いだった?」
 口いっぱいにおにぎりを頬張りながら、恐る恐る、政宗が訊く。
「ううん」
 小さく首を振ると、美乃里はゆっくり包装を解いた。

「それより話って?」
 おにぎりに海苔を巻きつけながら、平坦な声で美乃里が訊いた。
「ああ……。うん……」
 既に一つ目のおにぎりを平らげた政宗は、二つ目のおにぎりを袋から取り出しながら、曖昧に返事をした。

 美乃里がおにぎりを一口かじる。パリッと勢いよく海苔が裂ける音がした。
「美乃里……」
 透明フィルムに包まったシャケおにぎりを両手で弄びながら、政宗が小さく名前を呼ぶ。
「ん?」
 まるで子どもの話に耳を傾けるような仕草で、美乃里は政宗の顔を覗き込んだ。
「あ……。あのさ……」
 少し身を引き、口ごもる。それから政宗は、意を決したようにゴクリと喉を鳴らしたあと、美乃里の瞳を真っ直ぐ見つめ返した。

「美乃里……。今、付き合ってるやつ……いるのか?」
「えっ?」
 美乃里の瞳が動揺の色を浮かべ、小刻みに揺れた。
「……いるんだな?」
 押し殺したような声で、政宗が問いただした。
「なんで……そんなこと……?」
「俺の……知ってる……やつか?」
 徐々に政宗の顔が強張ってくる。切れ長の細い目が鋭く光り、美乃里の心を覗き込んだ。

 言い知れぬ恐怖を感じ、美乃里は思わず視線を外した。
 辺りを見渡すと、先程の親子連れの姿はなく、いつの間にか公園内は、政宗と美乃里の二人だけになっていた。

「言えないやつなのか?」
 政宗の追及は続く。
「答えろっ!」
 突然腕を掴まれ、「ひっ!」と美乃里は、短く声を上げた。
 手の中のおにぎりがポトリと落ち、齧りかけのご飯に灰色の砂がベッタリこびりついた。

「なんで、不倫なんか……」
「え……?」
 政宗の指が、美乃里の柔らかな腕にきつく食い込む。
「痛っ……!」
 美乃里の顔が、苦痛に歪んだ。
 必死で振り解こうとする美乃里の腕を、政宗が更に締め付けた。
「やめろよ。あんなやつ」
「何言って……」
「あいつなんかより、俺の方がずっと……」
「まさ……」
 掴んだ腕を強く引くと、政宗は、美乃里の身体を抱き締めた。

「好きだ……。美乃里……」
「……!」

 政宗の手から、ひしゃげたおにぎりが滑り落ち、ガサリと小さく音を立てた。

「好きなんだっ……!」

 美乃里の肩に顔を埋め、くぐもった声で政宗が叫ぶ。
 徐々に締め付けられる腕の中で、美乃里は息苦しさに顔をしかめた。

 一瞬だけ強く吹いた風が木の葉を巻き上げ、ザアッと大きな音を立てながら、空の向こうへと流れていった。
 近くの木から飛び立ったセミが、ジジッと一つ聲を上げた。

「ごめん……」

 抑揚のない声で、美乃里がポツリ呟いた。
「政宗の気持ちには、応えられない」
「なんで……」
 政宗の右手が、美乃里の頭を包み込む。
「目を覚ませよ……。美乃里……」
 耳元に寄せられた唇から、悲痛な吐息が漏れてくる。
 美乃里の真っ直ぐな黒髪が、政宗の息づかいに合わせて、さらりと揺れた。

「政宗……。私……」

 一旦言葉を切ると、美乃里は空を見上げた。
 澄み渡る秋の空に、真っ白な筋雲がたなびいている。
 少しずつ形を変える白い筋をぼんやり眺め、美乃里は、ゆっくり息を吐き出した。


「私……。妊娠してるの」

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