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涙の施設実習
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その夜。
中高生の夏休みの宿題に付き合っていた聖に、「落ち着いたから今のうちにシャワー浴びて来て」と平野が声を掛けた。
今夜は、初日にオリエンテーションをしてくれた平野が夜勤ということもあり、聖はリラックスして実習にあたることができた。
「ありがとうございます」
聖は会釈すると、平野と交代で居室を出た。
実習生の部屋は一階にある。
着替えを取りに戻ろうと階段を降り掛けた時、突き当たりの居室に仄かな明かりが灯っているのが見えた。
「どうしたんだろう? こんな時間に」
そこは、小学校高学年の男児のいる居室だった。
時刻は十一時を過ぎている。小学生の消灯時間は九時だ。
不思議に思い、聖は引き戸に手を掛けた。
戸板の上半分が擦りガラスになっており、中で僅かな明かりがゆらゆら揺れているのが見える。
ゴクリと喉を鳴らすと、聖はゆっくり、その戸を開けた。
中は四人部屋となっており、二十畳ほどの部屋に、ベッド、勉強机、小さな本棚、着替え用のタンスが、四つずつ置かれている。個人のスペースは、勉強机と本棚やタンスでそれぞれ仕切られており、申し訳程度だが一応プライバシーが保たれている。
真ん中にある入り口を中心に、左右二人ずつのスペースが作られてある。明かりが灯っているのは、左側手前のスペースだ。
そこにいるであろう人物を思い浮かべ、聖は身体を硬くした。
なるべく音をさせないよう、慎重に入り口の戸を閉める。
果たしてそこには、想像通りの人物がいた。
デスクライトの明かりの中、机に向かって何やら熱心に作業している。
「海里くん?」
聖の声に、海里がビクッと肩を震わせた。
同時に他のベッドから寝返りをうつ気配を感じ、聖は思わず声を潜めた。
「なに……してるの?」
海里が顔を上げ、ゆっくり後ろを振り返った。
「折り紙?」
海里の指先には、作りかけの折り紙が摘まれていた。
「ごめ……さい」
怯えたように声を震わせると、海里は机の上を慌てて片付け始めた。
「へぇ。折鶴かぁ」
机の上に開かれた本を、聖がヒョイと持ち上げる。
手にした本には、様々な変わった形の折鶴の写真が載っていた。その横には、折り方の説明が付いている。
「これ可愛い。手、繋いでるみたいだね」
先程海里が見ていたページには、三羽の鶴が並んで羽を広げている写真があった。
「羽のところ、繋がってるんだね」
難しそう、とページをめくる聖を不思議そうに見上げ、「怒らないの?」海里が恐る恐る訊ねてきた。
「ああ。そうだね。もう寝る時間とっくに過ぎてるよね?」
形式的に注意する聖に、「そうじゃなくて」と海里が言った。
「折り紙。女みたいでしょ? 男のくせにみっともないよね?」
「え……?」
聖は瞳を大きく見開き、海里の顔をじっと見つめた。
「それ……、誰かに……言われたの?」
コクリと海里が頷いた。
「誰に……?」
「……お父さん」
「……!」
海里を映す琥珀色の瞳が、怯えたように左右に揺れる。
咄嗟に聖は、自身の胸元を強く掴んだ。
「女みたいなことしてると、怒られるから……」
喉元を締め付けられるような圧迫感を覚え、聖は大きく息を吸った。
ひゅうっという音が、気管支の中を通り抜けた。
「えっと……。聖……さん?」
異変に気付き、海里が心配そうに聖の顔を覗き込んだ。
数回深呼吸を繰り返したあと、「大丈夫だよ……」聖はぎこちなく微笑んだ。
「それより、もうこんな時間だから、続きは明日にしよう。今度作り方教えてよ。俺も折ってみたい」
「ほんと? じゃあ明日は?」
海里が瞳を輝かせた。
「わかった。じゃあ明日の午前中に」
「約束だよ」
聖の手から本を受け取り、海里は席を立った。
「じゃ、おやすみ」
「おやすみなさい」
デスクライトの明かりが消え、二人の周りを闇が包む。
ふらりと歩き出した聖に、「聖さん」海里が声を掛けた。
「ん?」
聖が振り向く。
「同じだね。僕たち」
「え?」
切れ長の大きな瞳が、聖の奥を深く抉る。
「そうじゃないかと思ったんだ」
「……なに……が?」
聖の背中を、冷たい汗が伝って落ちた。
ふっと笑みをこぼしたあと、「なんでもない」小さく首を振り、海里はベッドに潜り込んだ。
タオルケットの中で暫くもぞもぞ動いていた海里の身体は、やがて落ち着き、動かなくなった。
静かになったのを見届けると、聖はふらつく足取りで居室を後にした。
階段を三段ばかり降りたところで、聖の足が、動きを止めた。
力を失った身体は、重力に任せて沈み込む。
額から噴き出した汗が、耳の脇を伝って膝に落ちた。
聖は身体を固くしたまま、荒い息を繰り返していた……。
中高生の夏休みの宿題に付き合っていた聖に、「落ち着いたから今のうちにシャワー浴びて来て」と平野が声を掛けた。
今夜は、初日にオリエンテーションをしてくれた平野が夜勤ということもあり、聖はリラックスして実習にあたることができた。
「ありがとうございます」
聖は会釈すると、平野と交代で居室を出た。
実習生の部屋は一階にある。
着替えを取りに戻ろうと階段を降り掛けた時、突き当たりの居室に仄かな明かりが灯っているのが見えた。
「どうしたんだろう? こんな時間に」
そこは、小学校高学年の男児のいる居室だった。
時刻は十一時を過ぎている。小学生の消灯時間は九時だ。
不思議に思い、聖は引き戸に手を掛けた。
戸板の上半分が擦りガラスになっており、中で僅かな明かりがゆらゆら揺れているのが見える。
ゴクリと喉を鳴らすと、聖はゆっくり、その戸を開けた。
中は四人部屋となっており、二十畳ほどの部屋に、ベッド、勉強机、小さな本棚、着替え用のタンスが、四つずつ置かれている。個人のスペースは、勉強机と本棚やタンスでそれぞれ仕切られており、申し訳程度だが一応プライバシーが保たれている。
真ん中にある入り口を中心に、左右二人ずつのスペースが作られてある。明かりが灯っているのは、左側手前のスペースだ。
そこにいるであろう人物を思い浮かべ、聖は身体を硬くした。
なるべく音をさせないよう、慎重に入り口の戸を閉める。
果たしてそこには、想像通りの人物がいた。
デスクライトの明かりの中、机に向かって何やら熱心に作業している。
「海里くん?」
聖の声に、海里がビクッと肩を震わせた。
同時に他のベッドから寝返りをうつ気配を感じ、聖は思わず声を潜めた。
「なに……してるの?」
海里が顔を上げ、ゆっくり後ろを振り返った。
「折り紙?」
海里の指先には、作りかけの折り紙が摘まれていた。
「ごめ……さい」
怯えたように声を震わせると、海里は机の上を慌てて片付け始めた。
「へぇ。折鶴かぁ」
机の上に開かれた本を、聖がヒョイと持ち上げる。
手にした本には、様々な変わった形の折鶴の写真が載っていた。その横には、折り方の説明が付いている。
「これ可愛い。手、繋いでるみたいだね」
先程海里が見ていたページには、三羽の鶴が並んで羽を広げている写真があった。
「羽のところ、繋がってるんだね」
難しそう、とページをめくる聖を不思議そうに見上げ、「怒らないの?」海里が恐る恐る訊ねてきた。
「ああ。そうだね。もう寝る時間とっくに過ぎてるよね?」
形式的に注意する聖に、「そうじゃなくて」と海里が言った。
「折り紙。女みたいでしょ? 男のくせにみっともないよね?」
「え……?」
聖は瞳を大きく見開き、海里の顔をじっと見つめた。
「それ……、誰かに……言われたの?」
コクリと海里が頷いた。
「誰に……?」
「……お父さん」
「……!」
海里を映す琥珀色の瞳が、怯えたように左右に揺れる。
咄嗟に聖は、自身の胸元を強く掴んだ。
「女みたいなことしてると、怒られるから……」
喉元を締め付けられるような圧迫感を覚え、聖は大きく息を吸った。
ひゅうっという音が、気管支の中を通り抜けた。
「えっと……。聖……さん?」
異変に気付き、海里が心配そうに聖の顔を覗き込んだ。
数回深呼吸を繰り返したあと、「大丈夫だよ……」聖はぎこちなく微笑んだ。
「それより、もうこんな時間だから、続きは明日にしよう。今度作り方教えてよ。俺も折ってみたい」
「ほんと? じゃあ明日は?」
海里が瞳を輝かせた。
「わかった。じゃあ明日の午前中に」
「約束だよ」
聖の手から本を受け取り、海里は席を立った。
「じゃ、おやすみ」
「おやすみなさい」
デスクライトの明かりが消え、二人の周りを闇が包む。
ふらりと歩き出した聖に、「聖さん」海里が声を掛けた。
「ん?」
聖が振り向く。
「同じだね。僕たち」
「え?」
切れ長の大きな瞳が、聖の奥を深く抉る。
「そうじゃないかと思ったんだ」
「……なに……が?」
聖の背中を、冷たい汗が伝って落ちた。
ふっと笑みをこぼしたあと、「なんでもない」小さく首を振り、海里はベッドに潜り込んだ。
タオルケットの中で暫くもぞもぞ動いていた海里の身体は、やがて落ち着き、動かなくなった。
静かになったのを見届けると、聖はふらつく足取りで居室を後にした。
階段を三段ばかり降りたところで、聖の足が、動きを止めた。
力を失った身体は、重力に任せて沈み込む。
額から噴き出した汗が、耳の脇を伝って膝に落ちた。
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