雪蛍

紫水晶羅

文字の大きさ
上 下
86 / 86
雪蛍

雪蛍

しおりを挟む

「優吾が偶然見つけて」
 コートのポケットからスマホを取り出すと、綾音は、越乃自動車整備工場のSNSページを表示させて蛍太に見せた。
 一瞬、はっと瞳を見開いたあと、「そうですか……」蛍太はきまり悪そうな顔で小さく呟いた。

「まさか、綾音さんが見るとは思わなくて」
 すみません、と蛍太は深く頭を下げた。
「なんで謝るんですか?」
「だって綾音さん、俺のことなんかさっさと忘れたいでしょ? 大切な人の命を奪った、俺なんかのこと」
 強く握った蛍太の両手が、小刻みに震えた。

「前に綾音さん、雪虫のこと、『害虫だって一生懸命生きてる』って言ったじゃないですか。だけど」
 視線を上げると、蛍太は綾音をまっすぐ見据えた。
「所詮、害虫は害虫なんです。周りをみんな不幸にする。どんなに頑張ったって、夏の蛍にはなれないんです」
 そんなものはいない方がいい、と吐き捨てるように言うと、蛍太はきつく唇を噛んだ。

「優吾がね」
 穏やかに目元を緩め、綾音がゆっくり言葉を紡ぐ。
「言ってくれたんです。私と蛍太さんが出会ったのは、『始めるため』だって」
「始める……ため?」
 怪訝そうに、蛍太が訊いた。
「はい。私たちは、十三年もの間ずっと、あの日に縛られて生きてきました。でも、二人が出会ったことによって、ようやく時間が動き出したんです」
「時間……が?」
「きっと、皇が引き合わせてくれたんです。あなたを、赦すために」

 蛍太が大きく息を呑んだ。

「そんなこと……」
「わかりますよ。だって彼は、そういう人だから」

 綾音の脳裏に、在りし日の皇がよみがえる。

 優吾の気持ちを知ってからも、二人の友情は変わらなかった。
 綾音にも、決して余計な事は言わなかった。
 だからこそ、三人はずっと、仲良しのままいられたのだ。

 皇は、誰よりも仲間想いで、誠実だった。
 そんな彼に、綾音は惹かれた。

「もうこれ以上、苦しまなくていいんです。もう、十分ですから」
「綾音さん……」
 蛍太の瞳が大きく揺れる。
 何度も首を振り後ずさる蛍太の両手を、綾音は優しく包み込んだ。

「冬の蛍だろうが、夏の蛍だろうが、そんなのどっちだっていいんです。蛍太さんは、蛍太さんです」
 蛍太を包む綾音の両手に力がこもる。
「蛍太さん、言いましたよね。償うためならどんなことでもするって」
「はい」
 震える声で、蛍太は答えた。
「だったら」
 大きく息を吸うと、綾音は蛍太をまっすぐ見つめた。

「私を幸せにしてください。一生かけて」
「……っ!」

 蛍太の両手をぐっと強く引き寄せる。僅かによろめくその身体を、綾音はしっかりと抱きとめた。
「愛してます。蛍太さん」
 少し痩せて骨ばった胸に、顔を埋める。
 空を見上げ、すん、とひとつ鼻をならしたあと、蛍太は綾音を力いっぱい抱きしめた。

「俺もっ……。愛してます。今までも。これからも。ずっと、綾音さんだけを……っ」

 綾音の髪を、愛おしそうに蛍太がまぜる。
 涙で濡れた蛍太の頬に、ひやりと冷たいものが落ちた。
「雪」
「え?」
 二人そろって空を見上げる。
 どこまでも澄み渡る青の中を、銀色に輝く泡雪が舞った。

「蛍……」
 ぽつり、綾音が呟く。その頬を、蛍太の右手がそっと包んだ。
 ふわりと笑うと、綾音はそっと、目を閉じた。

 やわらかな春の風が、この冬最後の雪を乗せて舞い踊る。
 優しく煌めく光の中、二人は永遠を誓い続けた……。


(了)
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する

みんなの感想(1件)

環 花奈江
2021.01.20 環 花奈江

車がはまると困りますよね。
こんなときに助けてもらえると、キラキラに見えるって気持ち、分かります😍
こんな出会いから始まる物語、とっても楽しみです。

紫水晶羅
2021.01.20 紫水晶羅

ありがとうございます。
ピンチの時に颯爽と現れる王子様♡ここから何かが始まる予感?

トラウマを抱える男女の、じれじれ恋愛ドラマ。
最後までお付き合い頂けたら嬉しいです(^^)

解除

あなたにおすすめの小説

亡くなった王太子妃

沙耶
恋愛
王妃の茶会で毒を盛られてしまった王太子妃。 侍女の証言、王太子妃の親友、溺愛していた妹。 王太子妃を愛していた王太子が、全てを気付いた時にはもう遅かった。 なぜなら彼女は死んでしまったのだから。

何を間違った?【完結済】

maruko
恋愛
私は長年の婚約者に婚約破棄を言い渡す。 彼女とは1年前から連絡が途絶えてしまっていた。 今真実を聞いて⋯⋯。 愚かな私の後悔の話 ※作者の妄想の産物です 他サイトでも投稿しております

皇太子夫妻の歪んだ結婚 

夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。 その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。 本編完結してます。 番外編を更新中です。

別れてくれない夫は、私を愛していない

abang
恋愛
「私と別れて下さい」 「嫌だ、君と別れる気はない」 誕生パーティー、結婚記念日、大切な約束の日まで…… 彼の大切な幼馴染の「セレン」はいつも彼を連れ去ってしまう。 「ごめん、セレンが怪我をしたらしい」 「セレンが熱が出たと……」 そんなに大切ならば、彼女を妻にすれば良かったのでは? ふと過ぎったその考えに私の妻としての限界に気付いた。 その日から始まる、私を愛さない夫と愛してるからこそ限界な妻の離婚攻防戦。 「あなた、お願いだから別れて頂戴」 「絶対に、別れない」

お飾りの侯爵夫人

悠木矢彩
恋愛
今宵もあの方は帰ってきてくださらない… フリーアイコン あままつ様のを使用させて頂いています。

貴方の事なんて大嫌い!

柊 月
恋愛
ティリアーナには想い人がいる。 しかし彼が彼女に向けた言葉は残酷だった。 これは不器用で素直じゃない2人の物語。

王妃の手習い

桃井すもも
恋愛
オフィーリアは王太子の婚約者候補である。しかしそれは、国内貴族の勢力バランスを鑑みて、解消が前提の予定調和のものであった。 真の婚約者は既に内定している。 近い将来、オフィーリアは候補から外される。 ❇妄想の産物につき史実と100%異なります。 ❇知らない事は書けないをモットーに完結まで頑張ります。 ❇妄想スイマーと共に遠泳下さる方にお楽しみ頂けますと泳ぎ甲斐があります。

浮気くらいで騒ぐなとおっしゃるなら、そのとおり従ってあげましょう。

Hibah
恋愛
私の夫エルキュールは、王位継承権がある王子ではないものの、その勇敢さと知性で知られた高貴な男性でした。貴族社会では珍しいことに、私たちは婚約の段階で互いに恋に落ち、幸せな結婚生活へと進みました。しかし、ある日を境に、夫は私以外の女性を部屋に連れ込むようになります。そして「男なら誰でもやっている」と、浮気を肯定し、開き直ってしまいます。私は夫のその態度に心から苦しみました。夫を愛していないわけではなく、愛し続けているからこそ、辛いのです。しかし、夫は変わってしまいました。もうどうしようもないので、私も変わることにします。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。