雪蛍

紫水晶羅

文字の大きさ
上 下
78 / 86
二人が出会った意味

これ以上、苦しめないで

しおりを挟む
 夕方に向かう病院のロビーは、見舞い客や売店を利用する患者などが数多く行き交っていた。
 その波に紛れ、優吾はエレベーターを目指して歩いた。

 病院は、患者のプライバシー保護のため、部外者には病室を教えてはくれない。
 かと言って、川口モータースに問い合わせたところで、野々華に門前払いを食らうのがオチだ。
 しかし、事故で入院しているとすれば、余程のことがない限り整形外科病棟である確率が高い。
 優吾はそこに当たりをつけ、親戚のフリでもしてなんとか病室を突き止めるつもりなのだ。

 降りてくるエレベーターの回数表示が順に点灯していく。
 まもなくドアが開き、中から数人の見舞い客が降りてきた。
「あ……」
 その中の一人と、綾音の目が合う。
「なんで……?」
 野々華が、大きな瞳を尖らせ綾音を睨んだ。その目は赤く、充血していた。
 後ろから来た見舞い客が、綾音たちを追い越し箱に入る。ただならぬ様子の三人を怪訝そうに見たあと、首を傾げてエレベーターのドアを閉めた。

「なにしに来たんですか?」
 野々華の声が、突き刺さる。
 なにしに?
 綾音は自分に問いかけた。
 わからない。自分は一体、なにしにここまで来たのだろうか?

「さっきお客さんから、事故のこと聞いて」
 優吾が庇うように、綾音の前に割って入る。
「頼む。一目だけでいいから、彼に合わせてくんねぇか?」
 この通りだ、と優吾は頭を下げた。

「冗談でしょ?」
 小馬鹿にしたように、野々華が鼻を鳴らす。
「誰のせいで、こんなことになったと思ってんですか?」
 その言葉で、今回のことは、十三年前の事故が関係していることがわかる。
 綾音はぶるりと、肩を震わせた。

「聞きました。綾音さんの元カレのこと」
 まさかそんな偶然があるなんて、と野々華は忌々しげに顔を歪めた。
「蛍太さんは、無事なんですか?」
 震える声で、綾音は訊ねた。
「当たり前です! あたしが死なせたりなんかしませんから!」
 両手を握りしめ、野々華が声を荒げた。
 行き交う人々が、何事かとこちらを見る。優吾が周りに目を向け、すいませんと頭を下げた。

「良かった……」
 綾音が安堵の息を漏らす。
「良かった?」
 綾音をキッと睨みつけると、「いいわけないでしょ?」野々華は腹の底から、重い声を響かせた。
「ケイはあの日、全てを終わらせるつもりだったんです。自分の命と引き換えに」
 ひっと綾音が喉の奥を引きつらせる。
 やはりそうだ。
 蛍太は故意に、ガードレールに突っ込んだのだ。

「あなたと出会わなければ……。あなたのことなんて好きにならなければ……。そうすればケイはずっと、あたしの隣で、穏やかに暮らせていけたのに……」
 野々華が綾音に詰め寄る。優吾が右手で綾音を背後に回した。
 咄嗟に綾音は、優吾の腕をぎゅっと掴んだ。

「ケイはもう、あなたに会うつもりはありません。だからもう、ケイのことは、忘れてください」
「なに言って……」
 優吾が口を挟む。その腕を強く引き、綾音は左右に首を振った。
「お願いだからもう、これ以上、ケイを、苦しめないで」
 途切れ途切れに、野々華が二人に訴えかける。泣き腫らしたような瞳の中に、涙の膜が広がった。

「ごめ……なさい」
 綾音は深く頭を下げると、「行こう」俯いたまま、入り口へと歩き出した。
「待てよ!」
 慌てて優吾が追いかける。ふらつく足取りの綾音を両手で支え、「いいのかよ?」優吾が訊いた。

「蛍太さんが生きてるなら、それでいい」
 優吾を見上げ、綾音は力なく微笑んだ。その目から、涙がいくつもこぼれ落ちた。
「綾音……」
 抱きかかえるように綾音の肩に腕を回すと、優吾はスンと鼻を鳴らした。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

ずぶ濡れで帰ったら彼氏が浮気してました

宵闇 月
恋愛
突然の雨にずぶ濡れになって帰ったら彼氏が知らない女の子とお風呂に入ってました。 ーーそれではお幸せに。 以前書いていたお話です。 投稿するか悩んでそのままにしていたお話ですが、折角書いたのでやはり投稿しようかと… 十話完結で既に書き終えてます。

すべてはあなたの為だった~狂愛~

矢野りと
恋愛
膨大な魔力を有する魔術師アレクサンダーは政略結婚で娶った妻をいつしか愛するようになっていた。だが三年経っても子に恵まれない夫妻に周りは離縁するようにと圧力を掛けてくる。 愛しているのは君だけ…。 大切なのも君だけ…。 『何があってもどんなことをしても君だけは離さない』 ※設定はゆるいです。 ※お話が合わないときは、そっと閉じてくださいませ。

お飾りの侯爵夫人

悠木矢彩
恋愛
今宵もあの方は帰ってきてくださらない… フリーアイコン あままつ様のを使用させて頂いています。

今更気付いてももう遅い。

ユウキ
恋愛
ある晴れた日、卒業の季節に集まる面々は、一様に暗く。 今更真相に気付いても、後悔してももう遅い。何もかも、取り戻せないのです。

【完結】好きな人に身代わりとして抱かれています

黄昏睡
恋愛
彼が、別の誰かを想いながら私を抱いていることには気づいていた。 けれど私は、それでも構わなかった…。

自信家CEOは花嫁を略奪する

朝陽ゆりね
恋愛
「あなたとは、一夜限りの関係です」 そのはずだったのに、 そう言ったはずなのに―― 私には婚約者がいて、あなたと交際することはできない。 それにあなたは特定の女とはつきあわないのでしょ? だったら、なぜ? お願いだからもうかまわないで―― 松坂和眞は特定の相手とは交際しないと宣言し、言い寄る女と一時を愉しむ男だ。 だが、経営者としての手腕は世間に広く知られている。 璃桜はそんな和眞に憧れて入社したが、親からもらった自由な時間は3年だった。 そしてその期間が来てしまった。 半年後、親が決めた相手と結婚する。 退職する前日、和眞を誘惑する決意をし、成功するが――

初恋の呪縛

緑谷めい
恋愛
「エミリ。すまないが、これから暫くの間、俺の同僚のアーダの家に食事を作りに行ってくれないだろうか?」  王国騎士団の騎士である夫デニスにそう頼まれたエミリは、もちろん二つ返事で引き受けた。女性騎士のアーダは夫と同期だと聞いている。半年前にエミリとデニスが結婚した際に結婚パーティーの席で他の同僚達と共にデニスから紹介され、面識もある。  ※ 全6話完結予定

夫の不貞現場を目撃してしまいました

秋月乃衣
恋愛
伯爵夫人ミレーユは、夫との間に子供が授からないまま、閨を共にしなくなって一年。 何故か夫から閨を拒否されてしまっているが、理由が分からない。 そんな時に夜会中の庭園で、夫と未亡人のマデリーンが、情事に耽っている場面を目撃してしまう。 なろう様でも掲載しております。

処理中です...