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略奪
いい加減、素直になれよ
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雪国の秋は短い。ついこの間まで暑い日が続いていたかと思ったら、あっという間に北から冷たい風が吹いてくる。
「雪でも降るのかな?」
エアコンの設定温度を一度上げ、綾音は手のひらで腕をさすった。
「冗談だろ? まだ十一月だぞ」
「もう十一月だよ」
優吾の言葉に、綾音は背を向けたまま静かに答えた。
結局綾音は、須藤と生きる道を選んだ。
須藤は優しい。絶望の淵から救い出してくれたあの頃と同じ笑顔で、綾音を温かく包んでくれる。
平穏無事な日々の中で、綾音はやはり、この選択は間違っていなかったのだと実感していた。
思い起こせば、今までだって綾音はずっと、そうやって生きてきたのだ。
父を失った時も、母を失った時も、皇を失った時も、綾音の周りにはいつも誰かが側にいて、支えてくれた。有り余るほどの愛情を与えてくれた。
そこには、強い風が吹くことも、大きな波に呑まれることも、何もない。
ただ与えられた幸せの中で、ふわふわと漂っているだけだ。
たったそれだけで、全ての苦しみから解放される。孤独に怯えなくて済む。
余計なものさえ欲しがらなければ、ずっと幸せでいられるのだ。
自分には、そんな生き方が似合っている。
いや、そんな生き方しかできないのだ。
あの日ナイトツアーで見た、決して波に逆らうことのできない、ミズクラゲみたいに……。
「いいなぁ、タイ。暖けぇんだろうなぁ」
玉ねぎの皮を剥きながら、優吾が気だるそうに呟く。今日のスープはミネストローネだ。
「そうだね。でも今は乾季だから、朝晩は少し冷えるみたい」
テーブルを拭きながら、綾音は答えた。
「冷えるっつっても、ここより全然いいだろ?」
「まあね」
「あーあ。俺も行きてぇな、タイ」
恨めしそうに言いながら、優吾は水の張ったボウルに真珠色の玉ねぎを放り込んだ。
ポチャンとくぐもった音を立て、水飛沫が小さく上がる。
「なぁ……」
水に浮く玉ねぎの上に、優吾が静かに言葉を落とした。
「ほんとに行くのかよ? タイ」
「はぁ?」
テーブルを拭く手を止め、綾音は素っ頓狂な声を上げた。
「行くに決まってんじゃん。もう手続きも終わってるし」
あれから綾音は、すぐにパスポートを再交付してもらい、その足で須藤とともに旅行の予約を済ませたのだ。
「そういうことじゃなくて」
大きな溜息をつくと、優吾は厨房から姿を現した。
「ほんとに須藤でいいのかよ?」
「え?」
優吾の瞳が、綾音の心を覗き込む。咄嗟に綾音は、視線を左右に彷徨わせた。
「好きなんだろ? 南條くんのこと」
「なに、言って……」
「誤魔化してんじゃねぇよ!」
優吾が声を荒げる。びくりと綾音の肩が跳ねた。
「いい加減、素直になれよ」
「なにそれ?」
ダスターを握りしめ、綾音は優吾を睨みつけた。
「私のどこが素直じゃないっていうの? 自分で言うのもなんだけど、私、結構素直な方だと思うけど? 今まで私、わがままなんて言ったことある? 反抗なんてしたことある? ずっと素直に、みんなの言うこと聞いてきたじゃん」
「だからそういうとこだよ!」
優吾が拳で、カウンターを強く叩いた。振動で、コーヒーサーバーがカチャリと音を立てた。
「雪でも降るのかな?」
エアコンの設定温度を一度上げ、綾音は手のひらで腕をさすった。
「冗談だろ? まだ十一月だぞ」
「もう十一月だよ」
優吾の言葉に、綾音は背を向けたまま静かに答えた。
結局綾音は、須藤と生きる道を選んだ。
須藤は優しい。絶望の淵から救い出してくれたあの頃と同じ笑顔で、綾音を温かく包んでくれる。
平穏無事な日々の中で、綾音はやはり、この選択は間違っていなかったのだと実感していた。
思い起こせば、今までだって綾音はずっと、そうやって生きてきたのだ。
父を失った時も、母を失った時も、皇を失った時も、綾音の周りにはいつも誰かが側にいて、支えてくれた。有り余るほどの愛情を与えてくれた。
そこには、強い風が吹くことも、大きな波に呑まれることも、何もない。
ただ与えられた幸せの中で、ふわふわと漂っているだけだ。
たったそれだけで、全ての苦しみから解放される。孤独に怯えなくて済む。
余計なものさえ欲しがらなければ、ずっと幸せでいられるのだ。
自分には、そんな生き方が似合っている。
いや、そんな生き方しかできないのだ。
あの日ナイトツアーで見た、決して波に逆らうことのできない、ミズクラゲみたいに……。
「いいなぁ、タイ。暖けぇんだろうなぁ」
玉ねぎの皮を剥きながら、優吾が気だるそうに呟く。今日のスープはミネストローネだ。
「そうだね。でも今は乾季だから、朝晩は少し冷えるみたい」
テーブルを拭きながら、綾音は答えた。
「冷えるっつっても、ここより全然いいだろ?」
「まあね」
「あーあ。俺も行きてぇな、タイ」
恨めしそうに言いながら、優吾は水の張ったボウルに真珠色の玉ねぎを放り込んだ。
ポチャンとくぐもった音を立て、水飛沫が小さく上がる。
「なぁ……」
水に浮く玉ねぎの上に、優吾が静かに言葉を落とした。
「ほんとに行くのかよ? タイ」
「はぁ?」
テーブルを拭く手を止め、綾音は素っ頓狂な声を上げた。
「行くに決まってんじゃん。もう手続きも終わってるし」
あれから綾音は、すぐにパスポートを再交付してもらい、その足で須藤とともに旅行の予約を済ませたのだ。
「そういうことじゃなくて」
大きな溜息をつくと、優吾は厨房から姿を現した。
「ほんとに須藤でいいのかよ?」
「え?」
優吾の瞳が、綾音の心を覗き込む。咄嗟に綾音は、視線を左右に彷徨わせた。
「好きなんだろ? 南條くんのこと」
「なに、言って……」
「誤魔化してんじゃねぇよ!」
優吾が声を荒げる。びくりと綾音の肩が跳ねた。
「いい加減、素直になれよ」
「なにそれ?」
ダスターを握りしめ、綾音は優吾を睨みつけた。
「私のどこが素直じゃないっていうの? 自分で言うのもなんだけど、私、結構素直な方だと思うけど? 今まで私、わがままなんて言ったことある? 反抗なんてしたことある? ずっと素直に、みんなの言うこと聞いてきたじゃん」
「だからそういうとこだよ!」
優吾が拳で、カウンターを強く叩いた。振動で、コーヒーサーバーがカチャリと音を立てた。
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