50 / 86
裏切り
綾音の命綱
しおりを挟む
時間にすると一分も満たないくらいなのだろうが、今の綾音にとってはとてつもなく長く感じる。
「もしもし?」
保留音が途切れて蛍太の声を聞いた途端、綾音は激しく泣きじゃくった。
「け、けい、さん。たす、けて」
「えっ? 綾音さん?」
「おねがっ。たすけて」
「どうしたんですか?」
スマホから、蛍太の慌てた声が聞こえてくる。
「車が、水に」
「水に?」
「出られない。トンネル、こんな、溜まってる、思わなくて」
しゃくり上げながら、綾音はひとことひとこと言葉を繋ぐ。
瞬時に状況を把握したのか、蛍太は「落ち着いて」と優しく声をかけた。
「しばらくすると、車内の水かさが増してきます。ちょっと気持ち悪いかも知れませんが、車内にある程度水が入れば、外と中との水圧の差が少なくなるのでドアが開くようになります」
「ほんとですか?」
「はい。それまでシートベルトを外して、落ち着いて待っててください」
「わかりました」
綾音は震える手でシートベルトを外した。
「綾音さん」
「はい」
ほんの少しだけ、気持ちが落ち着く。それが電話越しに伝わったのか、蛍太の声も柔らかくなる。
「今いる場所、どこだかわかりますか?」
「あの、国道八号線を……」
綾音の説明に、蛍太はわかりましたと短く答えた。
「すぐ行きます」
それだけ言うと、蛍太は勢いよく電話を切った。
蛍太の言う通り、しばらくすると車内に水が入ってきた。
どんどん水かさを増していくその状況に、綾音は不安でいっぱいになる。
だが蛍太の言葉を信じ、綾音はバッグとスマホを胸に抱き、じっとその時を待った。
茶色く濁った泥水が、下から徐々に這い上がってくる。生臭いその匂いに、怖気と吐き気が入り混じる。
耐えきれず何度かドアに体当たりするうち、なんとか僅かにドアが動いた。
渾身の力を込めて押すと、ようやく人一人通れるくらいの隙間ができた。
綾音はそこに身体を捻じ込み、無我夢中で外に出た。
太もものあたりまで浸かりながら、トンネルの出口を目指す。
やがて水深は浅くなり、やっとのことで綾音はトンネルから抜け出した。
外は未だ激しい雨が降っている。
バッグとスマホを抱え込み、綾音はぐにゃりとその場にへたり込んだ。
「蛍太さん」
まるでそれが蛍太の分身であるかのように、綾音はスマホを両手でしっかり握りしめた。
「……さん」
遠くで声が聞こえる。
「大丈夫ですか?」
顔を上げると、降りしきる雨の中、こちらに駆けてくるグレーの繋ぎが目に入った。
「綾音さん!」
駆け寄るなり、蛍太は綾音の両肩をがしりと掴んだ。
「よく頑張りましたね」
「蛍太さん……」
堪えていたものが溢れ出す。綾音は人目もはばからず、蛍太の胸に顔を埋めて泣きじゃくった。
「もう大丈夫ですよ」
蛍太が綾音を包み込み、乱れた髪を優しく撫でる。
「良かった。無事で」
恐怖と安堵で激しく全身を震わせながら、綾音は蛍太にしがみついた。
力強い両腕が、綾音をしっかり抱きしめた。
「もしもし?」
保留音が途切れて蛍太の声を聞いた途端、綾音は激しく泣きじゃくった。
「け、けい、さん。たす、けて」
「えっ? 綾音さん?」
「おねがっ。たすけて」
「どうしたんですか?」
スマホから、蛍太の慌てた声が聞こえてくる。
「車が、水に」
「水に?」
「出られない。トンネル、こんな、溜まってる、思わなくて」
しゃくり上げながら、綾音はひとことひとこと言葉を繋ぐ。
瞬時に状況を把握したのか、蛍太は「落ち着いて」と優しく声をかけた。
「しばらくすると、車内の水かさが増してきます。ちょっと気持ち悪いかも知れませんが、車内にある程度水が入れば、外と中との水圧の差が少なくなるのでドアが開くようになります」
「ほんとですか?」
「はい。それまでシートベルトを外して、落ち着いて待っててください」
「わかりました」
綾音は震える手でシートベルトを外した。
「綾音さん」
「はい」
ほんの少しだけ、気持ちが落ち着く。それが電話越しに伝わったのか、蛍太の声も柔らかくなる。
「今いる場所、どこだかわかりますか?」
「あの、国道八号線を……」
綾音の説明に、蛍太はわかりましたと短く答えた。
「すぐ行きます」
それだけ言うと、蛍太は勢いよく電話を切った。
蛍太の言う通り、しばらくすると車内に水が入ってきた。
どんどん水かさを増していくその状況に、綾音は不安でいっぱいになる。
だが蛍太の言葉を信じ、綾音はバッグとスマホを胸に抱き、じっとその時を待った。
茶色く濁った泥水が、下から徐々に這い上がってくる。生臭いその匂いに、怖気と吐き気が入り混じる。
耐えきれず何度かドアに体当たりするうち、なんとか僅かにドアが動いた。
渾身の力を込めて押すと、ようやく人一人通れるくらいの隙間ができた。
綾音はそこに身体を捻じ込み、無我夢中で外に出た。
太もものあたりまで浸かりながら、トンネルの出口を目指す。
やがて水深は浅くなり、やっとのことで綾音はトンネルから抜け出した。
外は未だ激しい雨が降っている。
バッグとスマホを抱え込み、綾音はぐにゃりとその場にへたり込んだ。
「蛍太さん」
まるでそれが蛍太の分身であるかのように、綾音はスマホを両手でしっかり握りしめた。
「……さん」
遠くで声が聞こえる。
「大丈夫ですか?」
顔を上げると、降りしきる雨の中、こちらに駆けてくるグレーの繋ぎが目に入った。
「綾音さん!」
駆け寄るなり、蛍太は綾音の両肩をがしりと掴んだ。
「よく頑張りましたね」
「蛍太さん……」
堪えていたものが溢れ出す。綾音は人目もはばからず、蛍太の胸に顔を埋めて泣きじゃくった。
「もう大丈夫ですよ」
蛍太が綾音を包み込み、乱れた髪を優しく撫でる。
「良かった。無事で」
恐怖と安堵で激しく全身を震わせながら、綾音は蛍太にしがみついた。
力強い両腕が、綾音をしっかり抱きしめた。
0
お気に入りに追加
23
あなたにおすすめの小説
亡くなった王太子妃
沙耶
恋愛
王妃の茶会で毒を盛られてしまった王太子妃。
侍女の証言、王太子妃の親友、溺愛していた妹。
王太子妃を愛していた王太子が、全てを気付いた時にはもう遅かった。
なぜなら彼女は死んでしまったのだから。
彼女があなたを思い出したから
MOMO-tank
恋愛
夫である国王エリオット様の元婚約者、フランチェスカ様が馬車の事故に遭った。
フランチェスカ様の夫である侯爵は亡くなり、彼女は記憶を取り戻した。
無くしていたあなたの記憶を・・・・・・。
エリオット様と結婚して三年目の出来事だった。
※設定はゆるいです。
※タグ追加しました。[離婚][ある意味ざまぁ]
※胸糞展開有ります。
ご注意下さい。
※ 作者の想像上のお話となります。
何を間違った?【完結済】
maruko
恋愛
私は長年の婚約者に婚約破棄を言い渡す。
彼女とは1年前から連絡が途絶えてしまっていた。
今真実を聞いて⋯⋯。
愚かな私の後悔の話
※作者の妄想の産物です
他サイトでも投稿しております
皇太子夫妻の歪んだ結婚
夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。
その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。
本編完結してます。
番外編を更新中です。
夫の浮気相手と一緒に暮らすなんて無理です!
火野村志紀
恋愛
トゥーラ侯爵家の当主と結婚して幸せな夫婦生活を送っていたリリティーヌ。
しかしそんな日々も夫のエリオットの浮気によって終わりを告げる。
浮気相手は平民のレナ。
エリオットはレナとは半年前から関係を持っていたらしく、それを知ったリリティーヌは即座に離婚を決める。
エリオットはリリティーヌを本気で愛していると言って拒否する。その真剣な表情に、心が揺らぎそうになるリリティーヌ。
ところが次の瞬間、エリオットから衝撃の発言が。
「レナをこの屋敷に住まわせたいと思うんだ。いいよね……?」
ば、馬鹿野郎!!
別れてくれない夫は、私を愛していない
abang
恋愛
「私と別れて下さい」
「嫌だ、君と別れる気はない」
誕生パーティー、結婚記念日、大切な約束の日まで……
彼の大切な幼馴染の「セレン」はいつも彼を連れ去ってしまう。
「ごめん、セレンが怪我をしたらしい」
「セレンが熱が出たと……」
そんなに大切ならば、彼女を妻にすれば良かったのでは?
ふと過ぎったその考えに私の妻としての限界に気付いた。
その日から始まる、私を愛さない夫と愛してるからこそ限界な妻の離婚攻防戦。
「あなた、お願いだから別れて頂戴」
「絶対に、別れない」
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる