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心を埋め尽くすのは
野々華の秘めた想い
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「ほんとだ。数が違う」
綾音の前を無数のミズクラゲが通過していく。四つ模様のものに混じって、五つ模様の個体があった。
「ね? 面白いですよね?」
蛍太の向こうで、野々華が瞳を輝かせた。
「そうだ。誰が一番多いのを見つけられるか、競争しましょ」
子どもじみたその提案に、蛍太が「えぇ……」と難色を示す。
「いいじゃないですか。面白そう」
余計なことを考えたくなくて、綾音は水槽にかじりついた。
その姿に、須藤も溜息混じりで参戦する。
「しょうがねぇな」
うんざりした顔で、蛍太は水槽を覗き込んだ。
「あ! 六個!」
早速野々華が声を上げる。
「マジか」
さして興味がなさそうに蛍太が呟く。
その隣で、「あっ」綾音が小さく声を上げた。
「ん?」
綾音の指差す場所に、蛍太も視線を合わせる。
「あれ、八個ありません?」
「マジで?」
蛍太がぐっと綾音の方へと身体を寄せた。
「ほら、あれ」
「どこ?」
「あ、こっち来ます。ほら」
「あ、ほんとだ」
蛍太が声を弾ませる。
「ねっ?」
右を向いた綾音のすぐそばに、熱心に水槽を見つめる蛍太の横顔があった。
「すごいですね」
勢いよくこちらに顔を向け、蛍太がはっと息を呑む。あまりの近さに驚いたのか、蛍太は綾音を見つめたまま、大きく瞳を見開いた。
澄んだ瞳が、水槽の青を受けて幻想的な光を放つ。
そのあまりの美しさに、綾音は言葉を失った。
「綾音」
名前を呼ばれ、我にかえる。
左に視線を向けると、どこか怒っているような須藤の顔が目に入った。
「向こうでウミホタルの光実験やるらしい」
行かないか? と須藤が誘う。
「はい」
慌てて綾音は笑顔を作ると、それじゃ、と蛍太に挨拶し、須藤の元へと駆け寄った。
「どっか行くんですか?」
それまで目を皿のようにして水槽を睨んでいた野々華が、周りの動きに気づいて顔を上げる。
「ウミホタルの光実験見に行くんだって」
蛍太の説明に、「あたしも行く!」野々華の興味はミズクラゲからウミホタルへとあっさり移った。
「いいなぁ」
ウミホタルの光実験は、光る生き物ブースの一角で行うらしい。そこに行き着くまでの間、野々華は壁際の水槽の前で幾度となく足を止め、覗き込んでは笑ったり顔をしかめたりして楽しんでいた。
綾音はなんとなく歩調を合わせながら、「何がです?」野々華の呟きに耳を傾けた。
「デートですよ。羨ましい」
野々華はうっとりとした顔で、前を行く須藤に目を向けた。
「何言ってるんですか?」
綾音は思わず首を傾げる。
「そっちだってデートじゃないですか」
諦めと羨望の入り混じった複雑な感情を押し殺し、綾音はわざとおちゃらけた口調で明るく訊ねた。
「違いますよ」
野々華が大袈裟に両手を振る。
「あたしたちは、ただの幼馴染で……」
野々華の瞳に影が落ちる。少し伏せたまぶたの上で、綺麗にカールされた長いまつ毛が僅かに震えた。
「あたしが勝手に、まとわりついてるだけですから」
ゆっくり視線を上げると、野々華は遠ざかる蛍太の背中を悲しげな目で追いかけた。
「勝手にって?」
意外な答えに、綾音は動揺を隠せない。
驚きに満ちた綾音の眼差しに、野々華は力のない声でぼそりと答えた。
「ケイはね、誰とも付き合う気ないんですよ」
「え?」
「それわかってるから、あたしも気軽に誘えるんですけどね」
ふっと笑みをこぼすと、野々華はぼんやり前を見つめた。
「誰とも付き合う気がないって、なんで?」
訊いていいものかどうか迷ったが、綾音は溢れ出る好奇心を抑えることができなかった。
綾音の質問に、「ごめんなさい」と前置きすると、「それはちょっと、あたしの口からは言えません」申し訳なさそうに、野々華は困った顔で首を振った。
「あ、こっちこそごめんなさい。立ち入ったこと訊いちゃって」
年甲斐もなく気持ちを抑えきれなかったことを恥じ、綾音は素直に頭を下げた。
いえいえ、と野々華は目尻を下げながら、右手を顔の前でパタパタ振った。
「でもいいんです。たとえ付き合えなくたって、あたしはそばにいられるだけで十分だから」
「えっ?」
顔を上げるとそこには、吹っ切れたような野々華の笑顔があった。
それは、若者特有の、危うさを秘めながらもどことなく自信に満ちた凛とした笑顔だった。
水槽の中の青い光が、陶器のようにきめ細やかな野々華の顔を明るく照らす。
「ケイには内緒ですよ」
ふふっと笑うと、野々華は人だかりの方へと駆けて行った。
綾音の前を無数のミズクラゲが通過していく。四つ模様のものに混じって、五つ模様の個体があった。
「ね? 面白いですよね?」
蛍太の向こうで、野々華が瞳を輝かせた。
「そうだ。誰が一番多いのを見つけられるか、競争しましょ」
子どもじみたその提案に、蛍太が「えぇ……」と難色を示す。
「いいじゃないですか。面白そう」
余計なことを考えたくなくて、綾音は水槽にかじりついた。
その姿に、須藤も溜息混じりで参戦する。
「しょうがねぇな」
うんざりした顔で、蛍太は水槽を覗き込んだ。
「あ! 六個!」
早速野々華が声を上げる。
「マジか」
さして興味がなさそうに蛍太が呟く。
その隣で、「あっ」綾音が小さく声を上げた。
「ん?」
綾音の指差す場所に、蛍太も視線を合わせる。
「あれ、八個ありません?」
「マジで?」
蛍太がぐっと綾音の方へと身体を寄せた。
「ほら、あれ」
「どこ?」
「あ、こっち来ます。ほら」
「あ、ほんとだ」
蛍太が声を弾ませる。
「ねっ?」
右を向いた綾音のすぐそばに、熱心に水槽を見つめる蛍太の横顔があった。
「すごいですね」
勢いよくこちらに顔を向け、蛍太がはっと息を呑む。あまりの近さに驚いたのか、蛍太は綾音を見つめたまま、大きく瞳を見開いた。
澄んだ瞳が、水槽の青を受けて幻想的な光を放つ。
そのあまりの美しさに、綾音は言葉を失った。
「綾音」
名前を呼ばれ、我にかえる。
左に視線を向けると、どこか怒っているような須藤の顔が目に入った。
「向こうでウミホタルの光実験やるらしい」
行かないか? と須藤が誘う。
「はい」
慌てて綾音は笑顔を作ると、それじゃ、と蛍太に挨拶し、須藤の元へと駆け寄った。
「どっか行くんですか?」
それまで目を皿のようにして水槽を睨んでいた野々華が、周りの動きに気づいて顔を上げる。
「ウミホタルの光実験見に行くんだって」
蛍太の説明に、「あたしも行く!」野々華の興味はミズクラゲからウミホタルへとあっさり移った。
「いいなぁ」
ウミホタルの光実験は、光る生き物ブースの一角で行うらしい。そこに行き着くまでの間、野々華は壁際の水槽の前で幾度となく足を止め、覗き込んでは笑ったり顔をしかめたりして楽しんでいた。
綾音はなんとなく歩調を合わせながら、「何がです?」野々華の呟きに耳を傾けた。
「デートですよ。羨ましい」
野々華はうっとりとした顔で、前を行く須藤に目を向けた。
「何言ってるんですか?」
綾音は思わず首を傾げる。
「そっちだってデートじゃないですか」
諦めと羨望の入り混じった複雑な感情を押し殺し、綾音はわざとおちゃらけた口調で明るく訊ねた。
「違いますよ」
野々華が大袈裟に両手を振る。
「あたしたちは、ただの幼馴染で……」
野々華の瞳に影が落ちる。少し伏せたまぶたの上で、綺麗にカールされた長いまつ毛が僅かに震えた。
「あたしが勝手に、まとわりついてるだけですから」
ゆっくり視線を上げると、野々華は遠ざかる蛍太の背中を悲しげな目で追いかけた。
「勝手にって?」
意外な答えに、綾音は動揺を隠せない。
驚きに満ちた綾音の眼差しに、野々華は力のない声でぼそりと答えた。
「ケイはね、誰とも付き合う気ないんですよ」
「え?」
「それわかってるから、あたしも気軽に誘えるんですけどね」
ふっと笑みをこぼすと、野々華はぼんやり前を見つめた。
「誰とも付き合う気がないって、なんで?」
訊いていいものかどうか迷ったが、綾音は溢れ出る好奇心を抑えることができなかった。
綾音の質問に、「ごめんなさい」と前置きすると、「それはちょっと、あたしの口からは言えません」申し訳なさそうに、野々華は困った顔で首を振った。
「あ、こっちこそごめんなさい。立ち入ったこと訊いちゃって」
年甲斐もなく気持ちを抑えきれなかったことを恥じ、綾音は素直に頭を下げた。
いえいえ、と野々華は目尻を下げながら、右手を顔の前でパタパタ振った。
「でもいいんです。たとえ付き合えなくたって、あたしはそばにいられるだけで十分だから」
「えっ?」
顔を上げるとそこには、吹っ切れたような野々華の笑顔があった。
それは、若者特有の、危うさを秘めながらもどことなく自信に満ちた凛とした笑顔だった。
水槽の中の青い光が、陶器のようにきめ細やかな野々華の顔を明るく照らす。
「ケイには内緒ですよ」
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