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心を埋め尽くすのは
微かな違和感
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「こんばんは」
低く尖った声が、二人の視線を断ち切った。
「来てたんだ」
気づかなかったなぁ、と言いながら、須藤が綾音の前へと歩み出た。
「あ、遅れて来たんです。ちょっと仕事が長引いちゃって」
僅かに後ずさると、蛍太は固い笑みを浮かべた。
「あれぇ? 喫茶店の?」
蛍太の背後から、陶器のような艶やかな顔がひょこりと覗く。
「偶然ですね」
屈託のない笑顔で、野々華が笑った。
「君たちもこのツアー申し込んでたのか」
いつもの穏やかな顔で、須藤が野々華に微笑んだ。
「はい。なんか人気のツアーみたいで、今日しか空いてなかったんです」
本当は土日が良かったんだけど、と野々華は少し膨れてみせた。
「そちらは? デートですか?」
一転、期待に顔を輝かせると、野々華は須藤と綾音を見比べた。
「ああ。実は俺たち、付き合うことになってね」
「ええ? ほんとですか? 良かったですね!」
両手を口に当て、野々華は「ね!」と蛍太に同意を求めた。
ああ、と曖昧に頷くと、蛍太は「おめでとうございます」深々と頭を下げた。
胸の奥から鈍い痛みが込み上げてくるのを感じ、綾音は思わず胸元を押さえた。
ありがとう、と笑顔で答える須藤の声が、遠く聞こえる。
ぼんやりとする意識をなんとか保ち、綾音は小さく頭を下げた。
「それじゃ、邪魔しちゃ悪いから」
行こう、と蛍太が野々華を促す。それを野々華が「待って」と止めた。
「せっかくだから、一緒に回りません?」
両手をポンと叩き、野々華が満面の笑みで小首を傾げた。
「いや、でも……」
蛍太がちらりと綾音を見る。
咄嗟に綾音は目線を逸らし、須藤を見上げた。
眼鏡の向こうで、須藤の瞳が蛍太を捉えて鋭く光る。
「先生?」
綾音の声に、須藤はぴくりと頬を震わせると、「そうだな」綾音に向けて笑みを作った。
「こういう所は、大勢の方が楽しいかも知れないな」
「さっすが先生!」
嬉しそうに顔を綻ばせると、「ねぇ、このクラゲ、めっちゃ綺麗なんだけど」野々華は早速、円柱の水槽に駆け寄った。
「なんか、すいません」
申し訳なさそうに、蛍太が眉間に皺を寄せる。
「別に構わないよ」
な、と須藤が綾音の方へ顔を向けた。
弧を描く瞳の奥に、得体の知れない怖さみたいなものが見えたような気がして、綾音は身体を強張らせた。
「へぇ。この花びらみたいなの、胃なんだって」
背後で無邪気な声が上がる。
一斉にそちらを見ると、野々華が水槽にへばりついて、何やら熱心に数えているところだった。
「普通は四つなんだけど、それ以上のもあるんだって」
「どれ?」
助かったように、蛍太が短く息をつく。
やれやれという風に目配せすると、須藤は綾音の背中に手を当て、水槽の側へと促した。
瞬間、ぞわりとする感覚が、綾音の身体を支配する。
以前、蛍太に触れられた時とは明らかに違うその感触に、綾音は戸惑いを隠せない。
さりげなく身体の向きを変えると、綾音は水槽を覗くふりをして須藤の腕をすり抜けた。
低く尖った声が、二人の視線を断ち切った。
「来てたんだ」
気づかなかったなぁ、と言いながら、須藤が綾音の前へと歩み出た。
「あ、遅れて来たんです。ちょっと仕事が長引いちゃって」
僅かに後ずさると、蛍太は固い笑みを浮かべた。
「あれぇ? 喫茶店の?」
蛍太の背後から、陶器のような艶やかな顔がひょこりと覗く。
「偶然ですね」
屈託のない笑顔で、野々華が笑った。
「君たちもこのツアー申し込んでたのか」
いつもの穏やかな顔で、須藤が野々華に微笑んだ。
「はい。なんか人気のツアーみたいで、今日しか空いてなかったんです」
本当は土日が良かったんだけど、と野々華は少し膨れてみせた。
「そちらは? デートですか?」
一転、期待に顔を輝かせると、野々華は須藤と綾音を見比べた。
「ああ。実は俺たち、付き合うことになってね」
「ええ? ほんとですか? 良かったですね!」
両手を口に当て、野々華は「ね!」と蛍太に同意を求めた。
ああ、と曖昧に頷くと、蛍太は「おめでとうございます」深々と頭を下げた。
胸の奥から鈍い痛みが込み上げてくるのを感じ、綾音は思わず胸元を押さえた。
ありがとう、と笑顔で答える須藤の声が、遠く聞こえる。
ぼんやりとする意識をなんとか保ち、綾音は小さく頭を下げた。
「それじゃ、邪魔しちゃ悪いから」
行こう、と蛍太が野々華を促す。それを野々華が「待って」と止めた。
「せっかくだから、一緒に回りません?」
両手をポンと叩き、野々華が満面の笑みで小首を傾げた。
「いや、でも……」
蛍太がちらりと綾音を見る。
咄嗟に綾音は目線を逸らし、須藤を見上げた。
眼鏡の向こうで、須藤の瞳が蛍太を捉えて鋭く光る。
「先生?」
綾音の声に、須藤はぴくりと頬を震わせると、「そうだな」綾音に向けて笑みを作った。
「こういう所は、大勢の方が楽しいかも知れないな」
「さっすが先生!」
嬉しそうに顔を綻ばせると、「ねぇ、このクラゲ、めっちゃ綺麗なんだけど」野々華は早速、円柱の水槽に駆け寄った。
「なんか、すいません」
申し訳なさそうに、蛍太が眉間に皺を寄せる。
「別に構わないよ」
な、と須藤が綾音の方へ顔を向けた。
弧を描く瞳の奥に、得体の知れない怖さみたいなものが見えたような気がして、綾音は身体を強張らせた。
「へぇ。この花びらみたいなの、胃なんだって」
背後で無邪気な声が上がる。
一斉にそちらを見ると、野々華が水槽にへばりついて、何やら熱心に数えているところだった。
「普通は四つなんだけど、それ以上のもあるんだって」
「どれ?」
助かったように、蛍太が短く息をつく。
やれやれという風に目配せすると、須藤は綾音の背中に手を当て、水槽の側へと促した。
瞬間、ぞわりとする感覚が、綾音の身体を支配する。
以前、蛍太に触れられた時とは明らかに違うその感触に、綾音は戸惑いを隠せない。
さりげなく身体の向きを変えると、綾音は水槽を覗くふりをして須藤の腕をすり抜けた。
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