雪蛍

紫水晶羅

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心を埋め尽くすのは

ゆっくり育んでいけばいい

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 学生には嬉しい夏休みだが、もちろん教師に休みなどなく、須藤は補習やら研修会やらで何かと忙しい日々を送っていた。
 須藤の休日である土日祝日は、逆に飲食店の稼ぎどきであり、加えて夏場は『わたゆきの宿』の利用客も増えるため、綾音の休みがなかなか取れず、結局二人が会えるのは、今までと変わらず『喫茶わたゆき』の中だけだった。

「今度、水曜日に有休取ろうと思うんだけど」
 食後のコーヒーに舌鼓を打ちながら、須藤が話を持ちかけた。

 比較的客の少ない日曜日の夕方は、須藤の貸し切りとなることも少なくはない。
 そんな時、優吾はたいてい厨房かバックヤードに籠っている。
 気を遣われるとかえって恥ずかしいからやめて欲しいと、綾音は幾度となく訴えたが、「俺の身にもなってくれ」と言われれば仕方がない。
 ありがたく、厚意を受け取るよりほかなかった。

 優作と幸恵は、二人の交際にかなり驚いてはいたものの、世話になった担任の先生が相手となれば無碍むげにはできず、了承せざるを得ないといった感じだった。
 日曜日の夕方に、店の前で夕涼みをする優作の姿を多く見かけるようになった以外は、今のところ特段変わった様子もない。

「お休み取れそうですか?」
「ああ。なんとか調整する。こんな時じゃないとなかなか休み取れないし」
「そうなんですね」
 調理台の上に散らばっている調理器具を順に片付けながら、綾音は相槌を打った。

 考えてみれば、デートなんて、あの告白された海辺のレストラン以来だ。
 あれがデートだったのかと訊かれると首を傾げざるを得ないが、とにかく、交際を始めてからは初めてのデートとなる。
 急に、須藤と付き合っていることが現実味を帯びた気がして、綾音は不安に顔を強張らせた。

「そんな顔すんな」
「え?」
「ただ二人で出かけるだけだ。お前が嫌がるようなことは何もしない」
「あ……」
 心の中を見透かされ、綾音は恥ずかしさに頬を染める。
「俺はただ、お前といられればそれでいい。それ以上は、何も望んでいない」
 今のところはな、と須藤は悪戯っぽく笑った。
「先生……」
「だからお前は、お前らしくいればいい」
 眼鏡の向こうで、須藤の目が柔らかく弧を描いた。
「これから二人で、ゆっくり気持ちを育んでいこう」

 須藤の包み込むような愛情が、綾音の固まった心をほぐしていく。
 そうだ。今はまだ、『信頼できる先生』以上には思えないかも知れない。
 だが、これまでとは違う関係性を築いていけば、いつかきっと、『信頼』以上の感情が芽生えてくるに違いない。
 それまでは、須藤の言う通り、ゆっくりと自分らしく、気持ちを育んでいけばいい。

「はい」
 須藤の言葉で、綾音は、気持ちが軽くなっていくのを感じた。

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