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出会い
白い軽自動車の王子様
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「どうしよう。こんなところで……」
綾音は姿勢を起こし、あたりを見渡した。
澄み渡る青空。ところどころ浮かぶ白い雲。西に傾きかけた太陽。遠くに見える水色の山並。どこまでも続く、緑色の稲穂の波……。
路肩に佇む綾音の頬を、暖かい初夏の風がするりと撫でた。
「気持ちいい」
思わず空を仰ぎ両手を広げる。大きく息を吸うと、湿気を含んだ土の匂いに混じり、草花の若い香りが綾音の鼻腔を駆け抜けた。
「んー。いい香り……じゃなくて」
はたと我に返り、綾音は再び眉根を寄せる。視線の先には、見事なまでに傾いた愛車の情けない姿があった。
「パンク……だよね?」
クリーム色の車体に手を添え、その足元を覗き込む。空気の抜けた右側の後輪を指先で数回押してみて、綾音は「はあぁぁ……」と溜息をついた。
「それにしても……」
のっそり顔を上げ、後ろを振り返る。昼下がりの農道には、農耕車一台通りやしない。前も後ろも、ねずみ色のアスファルトが果てしなく伸びているだけだ。
「とりあえず電話しよ」
スマホを取り出そうと助手席側に回った時。右の視界の片隅に、一瞬だけ光が映り込んだ。
反射的にそちらを向く。真っ直ぐ横たわるアスファルトの向こうに、陽の光を浴びて輝く一台の車が、こちらに走ってくるのが見えた。
「あ……」
咄嗟に車道に躍り出て、綾音は大きく両手を上げる。
「おおーい!」
必死の形相で腕を閉じたり開いたりして助けを呼ぶ綾音の目の前に、年季の入った白い乗用車が減速しながら近づいてきた。
いかにも社用という感じの飾り気のない軽自動車が、路肩に沿って停車する。
「どうかしましたか?」
運転席のドアを開けて降り立った青年に、綾音は思わず息を呑んだ。
少し日に焼けた肌に、短くカットされた黒い髪。高い鼻梁が真っ直ぐ伸びて、形の良い大きな口へと続いている。印象的な彫りの深い大きな瞳が、綾音を映して心配そうに丸みを帯びた。
「や……、あの……」
まるでテレビ画面から抜け出してきたような整った顔を前に、綾音は言葉を詰まらせる。
僅かに首を傾げたあと、青年は視線を下に落とした。
「ああ。やっちゃいましたね」
「へっ?」
にやりと笑うと、青年は綾音に歩み寄った。
「え、あの……」
張りのある黒髪が顔の側を掠める。
胸の前に両手を結び硬直する綾音に構わず、青年はその場にしゃがみ込んだ。グレーの繋ぎから、僅かに油の匂いがした。
「この分だと、ホイールは傷ついてなさそうだな」
独り言のように何やらぶつぶつ呟くと、「よし!」と青年は勢いよく立ち上がった。
「ここでやっちゃいましょう」
「やる……って?」
「修理ですよ。俺今、ちょうど道具持ってるんで」
親指で背後を差すと、青年は弾けるように笑った。
大きく開いた口元から覗く白い歯が、陽の光を浴びて眩しく煌めいた。
綾音は姿勢を起こし、あたりを見渡した。
澄み渡る青空。ところどころ浮かぶ白い雲。西に傾きかけた太陽。遠くに見える水色の山並。どこまでも続く、緑色の稲穂の波……。
路肩に佇む綾音の頬を、暖かい初夏の風がするりと撫でた。
「気持ちいい」
思わず空を仰ぎ両手を広げる。大きく息を吸うと、湿気を含んだ土の匂いに混じり、草花の若い香りが綾音の鼻腔を駆け抜けた。
「んー。いい香り……じゃなくて」
はたと我に返り、綾音は再び眉根を寄せる。視線の先には、見事なまでに傾いた愛車の情けない姿があった。
「パンク……だよね?」
クリーム色の車体に手を添え、その足元を覗き込む。空気の抜けた右側の後輪を指先で数回押してみて、綾音は「はあぁぁ……」と溜息をついた。
「それにしても……」
のっそり顔を上げ、後ろを振り返る。昼下がりの農道には、農耕車一台通りやしない。前も後ろも、ねずみ色のアスファルトが果てしなく伸びているだけだ。
「とりあえず電話しよ」
スマホを取り出そうと助手席側に回った時。右の視界の片隅に、一瞬だけ光が映り込んだ。
反射的にそちらを向く。真っ直ぐ横たわるアスファルトの向こうに、陽の光を浴びて輝く一台の車が、こちらに走ってくるのが見えた。
「あ……」
咄嗟に車道に躍り出て、綾音は大きく両手を上げる。
「おおーい!」
必死の形相で腕を閉じたり開いたりして助けを呼ぶ綾音の目の前に、年季の入った白い乗用車が減速しながら近づいてきた。
いかにも社用という感じの飾り気のない軽自動車が、路肩に沿って停車する。
「どうかしましたか?」
運転席のドアを開けて降り立った青年に、綾音は思わず息を呑んだ。
少し日に焼けた肌に、短くカットされた黒い髪。高い鼻梁が真っ直ぐ伸びて、形の良い大きな口へと続いている。印象的な彫りの深い大きな瞳が、綾音を映して心配そうに丸みを帯びた。
「や……、あの……」
まるでテレビ画面から抜け出してきたような整った顔を前に、綾音は言葉を詰まらせる。
僅かに首を傾げたあと、青年は視線を下に落とした。
「ああ。やっちゃいましたね」
「へっ?」
にやりと笑うと、青年は綾音に歩み寄った。
「え、あの……」
張りのある黒髪が顔の側を掠める。
胸の前に両手を結び硬直する綾音に構わず、青年はその場にしゃがみ込んだ。グレーの繋ぎから、僅かに油の匂いがした。
「この分だと、ホイールは傷ついてなさそうだな」
独り言のように何やらぶつぶつ呟くと、「よし!」と青年は勢いよく立ち上がった。
「ここでやっちゃいましょう」
「やる……って?」
「修理ですよ。俺今、ちょうど道具持ってるんで」
親指で背後を差すと、青年は弾けるように笑った。
大きく開いた口元から覗く白い歯が、陽の光を浴びて眩しく煌めいた。
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