あの日交わした約束がセピア色にかわっても

紫水晶羅

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新たな世界へ

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 オランダ。

「気持ちいい」
 美空は天を仰ぎ、大きく伸びをした。
 学生時代の友人を頼って日本を飛び出してから、既に四年の月日が流れていた。
 初めは戸惑うことも多かったが、ようやくここでの生活にも慣れ、仕事も板についてきた。

 オランダの子育て環境は、世界でもトップクラスだ。『世界一子どもが幸せな国』とも言われている。その仕組みをいつかは学びたいと思っていた美空だったが、なかなか踏ん切りがつかず、そうこうしているうちに晴斗との結婚が決まり、諦めざるを得なくなった。

 晴斗と別れてすぐこちらの友人に連絡したところ、勤め先の託児所で春から丁度日本人スタッフに空きが出るという話を聞き、すぐさま手続きに踏み切ったのだった。
 全てをリセットするには良い機会だった。園長には止められたが、美空の決心は固かった。

 一番辛かったのは、恵令奈と哲太との別れだった。
 空港のど真ん中で、三人肩を組んで泣いた事は、今でも記憶に新しい。
 別れ際「いつか必ずビッグになって、美空さんを迎えに行きます!」と息巻いていた哲太は、昨年、同僚保育士とめでたく結婚した。
 恵令奈から送られてきた『嘘つきジョーカー』と書かれた哲太の結婚式画像に、美空は思わず吹いてしまった。


 この四年間、それぞれがそれぞれの道を歩んできた。
 美空はその中に、一人の人物を思い浮かべる。
 あれほど激しく人を愛したことは、これまでの人生の中で一度もなかった。そしてきっと、これからも……。

 遠くに並んだオレンジ色の屋根を眺め、美空は遠い故郷に想いを馳せた。
 今頃どうしているのだろうか?
 誰かいい人はいるのだろうか?

 美空がふっと息をいた時。

「やっと見つけた」
 背後から、ハスキーな声が聞こえてきた。
 日本語だ。担当クラスの保護者だろうか?
「ひどいよ。待っててって言ったのに」
 美空の背に、緊張が走る。
 まさか……。
 そんなはずはない……。

「美空さん」

 弾かれたように立ち上がると、美空は急いで振り返った。

 切れ長の大きな瞳に形の良い鼻。
 少し大きめの口が、嬉しそうに持ち上がる。
 記憶の中よりも少し色白で、精悍せいかんな顔つきをしているが、瞳の中の輝きは、あの頃のまま変わらない。痛いくらいの眩しさで、美空の心の奥を揺さぶる。
 張りのある黒い髪が、春の風を受けさらりとなびいた。

 これは、夢か? 幻か……?

 美空は声もなく立ち尽くした。
「お待たせ」
 照れ臭そうに、紫雲が笑った。
「な……んで……?」
「さっき職場に行ったら、ここじゃないかって。休憩時間はよくここに来てるって同僚の人が……」
「そ、そうじゃなくて……。なんで……?」
「ああ……」
 そっち? とキョトンとした表情を浮かべたあと、紫雲は輝く太陽のように明るく笑った。

「約束したじゃん。大人になるまで待っててって」
「それ、子どもの頃の……」
「うん。だから果たしに来た。あの日の約束」
 そう言うと紫雲は、手元の紙袋から丁寧にラッピングされた四角い箱を取り出した。
「プレゼント。開けてみて」
 澄んだ青空みたいな色のその包みを、美空は躊躇ためらいがちに受け取った。
 戸惑う指で、丁寧に包装を解く。透明な箱に入れられたそれを見た瞬間、美空の時間が一気に逆回転し始めた。

 クリアボックスの中に入っていたのは、真っ白な花冠だった。

「ブリザードフラワーなんだ。シロツメクサと白薔薇で作ってもらった。花言葉は、どちらも『約束』。俺たちにピッタリだと思わない?」


 美空の脳裏に、一面に咲くシロツメクサの丘が蘇った。

 昔、散歩で訪れた近くの公園。その中にある小高い丘に、シロツメクサの丘があった。
 他の子どもたちがブランコや滑り台で遊ぶ中、一人の男の子がこちらに背を向け、熱心に何かをしている。
 不思議に思い近付く美空の目の前で、「できた!」小さな背中が勢いよくピンと伸びた。
「何ができたの?」
 美空の声に、その子がゆっくりこちらを振り向く。
 大きな瞳が、嬉しそうに弧を描いた。

――ボクね、大きくなったら、先生のお嫁さんになる。
――ふふっ。それを言うならお婿さんね。
――そっか。じゃあ、ボクがお婿さんで、先生がお嫁さん?
――そういうことになるかな。紫雲君、先生のことお嫁さんにしてくれるの?
――うん。だからこれ……。

 紫雲の背後から、真っ白な輪っかがゆっくりと姿を現す。
 両手で大切そうに持ち直すと、しゃがんでいる美空の頭に、紫雲はそっと、それを乗せた。

――ボクが大人になるまで、待っててね。
――わかった。ありがとう。


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