79 / 90
1日だけの恋人
1
しおりを挟む
遊覧船の窓の向こうで、陽の光を浴びた湖面が不規則に輝いている。
「綺麗……」
その眩しさに、美空は思わず目を細めた。
三月。
約束通り美空は紫雲に、二十四時間だけの贈り物をした。
土曜の午前九時から日曜の午前九時まで。丸一日を、紫雲に捧げる。
はにかみながらやって来た紫雲を車に乗せ、美空はドライブに連れ出した。
「晴斗さんにはなんて?」と聞く美空に紫雲は「卒業記念に友達んちで一晩中ゲームするって言って来た」と答えた。
晴斗は、紫雲の記憶が戻ったことを知らない。その紫雲が、まさか美空と会っているなど夢にも思わないだろう。
「またそんな嘘……」
美空が非難めいた表情を浮かべると、「だって……」紫雲は口を尖らせた。
「さすがに本当のこと言えないでしょ?」
「そうだけど……」
「それに……」
窓枠に頬杖をつきながら、紫雲が小さく溜息をついた。
「俺の顔見なくて済むからホッとしてるよきっと。わかるんだ。避けられてるって」
紫雲の横顔に、寂しそうな影が落ちる。
仲の良かった頃の登坂親子を思い出し、美空は切なさに顔を歪めた。
自分を責める美空の心を見透かすように、「まあ俺のせいなんだけどね」と紫雲が自虐的な笑みを浮かべた。
「だからさ。今日は思いっきり楽しもうよ。何もかも忘れて」
身体ごと美空の方を向くと、紫雲は「ねっ!」とくしゃくしゃの顔で笑った。
当てもなく走る美空の目に、遊覧船の看板が飛び込んできた。
「遊覧船かぁ」
「遊覧船?」
紫雲が瞳を輝かせる。
「乗りたい?」
「うん!」
子どものようにはしゃぐ紫雲に顔を綻ばせると、美空は湖へと車を走らせた。
乗り場に着くと、遊覧船は間もなく出発するところだった。すぐにチケットを購入し、二人は急いで乗り込んだ。
船は、煌めく波の間を滑るように進んで行く。
窓から臨む景色を暫く二人で楽しんでいると、湖のなかほどに小さな島が見えてきた。
「あそこで降りられるみたいだよ?」
桟橋の向こうに鳥居が見える。
「神社があるみたい」
美空の言葉に、「行ってみたい」紫雲が声を弾ませた。
青い空と緑の木々を背に立つ真っ赤な鳥居は目にも鮮やかで、神秘的な光を放っていた。
四方八方を湖に囲まれ、打ち寄せる水の音が耳に心地良い。
時折吹く風が、サラサラと木の葉を揺らしながら通り抜けていく。
「気持ちいい」
紫雲が空を仰ぎ、眩しそうに目を細めた。
見上げた顔に穏やかな春の日差しが降り注ぐ。そのあまりの美しさに、美空は思わず息を呑んだ。
「ん?」
突然向けられた紫雲の目が、柔らかく弧を描く。
「なんでもない」慌てて首を振ると、「行こ」美空は鳥居に向かって歩き出した。
「美空さん」
その背中を、紫雲が呼び止める。
「一緒にくぐろ?」
大股で美空に追いつくと、紫雲はそっと、美空の左手を包み込んだ。
美空の肩がピクリと震える。驚きの眼差しを向ける美空に、紫雲はにっこり微笑んだ。
これまでも幾度となく触れたはずの紫雲の大きな手が、今日は何故か新鮮に思える。
なんだか無性に恥ずかしくなり、美空は俯きながらギクシャク歩いた。
「行くよ」
気がつくと、鳥居は既にあと一歩のところに迫っていた。
「せーの!」
紫雲の掛け声と共に、二人は大きく一歩踏み出した。
「うわぁ……」
二人は同時に声を上げた。
鳥居をくぐった先には、木々の間を縫うように一本の細い道が真っ直ぐ伸びていた。どうやらそれは本殿へと繋がっているようだ。
木の葉の隙間から陽の光が降り注ぎ、無数の光の筋を作る。
所々雪の残るその道を、二人は並んで静かに歩いた。
「紫雲君……」
鳥居をくぐった後もずっと繋がれている手を見つめ、美空は恥ずかしそうに名前を呼んだ。
「何?」
「手……」
「ああ、これ?」
手を繋いだまま、紫雲がぶんぶん腕を振る。
「だって、俺んのだから」
「え?」
「明日までは俺のもの……でしょ?」
寂しそうに、紫雲が笑う。『明日まで』という言葉が、二人の間に翳を落とす。
「……そうだね」
涙を堪えながら、美空は笑顔で頷いた。
どちらからともなく、二人指を絡ませる。
今日という日が、永遠に続きますように……。
美空はこっそり、神に願った。
「綺麗……」
その眩しさに、美空は思わず目を細めた。
三月。
約束通り美空は紫雲に、二十四時間だけの贈り物をした。
土曜の午前九時から日曜の午前九時まで。丸一日を、紫雲に捧げる。
はにかみながらやって来た紫雲を車に乗せ、美空はドライブに連れ出した。
「晴斗さんにはなんて?」と聞く美空に紫雲は「卒業記念に友達んちで一晩中ゲームするって言って来た」と答えた。
晴斗は、紫雲の記憶が戻ったことを知らない。その紫雲が、まさか美空と会っているなど夢にも思わないだろう。
「またそんな嘘……」
美空が非難めいた表情を浮かべると、「だって……」紫雲は口を尖らせた。
「さすがに本当のこと言えないでしょ?」
「そうだけど……」
「それに……」
窓枠に頬杖をつきながら、紫雲が小さく溜息をついた。
「俺の顔見なくて済むからホッとしてるよきっと。わかるんだ。避けられてるって」
紫雲の横顔に、寂しそうな影が落ちる。
仲の良かった頃の登坂親子を思い出し、美空は切なさに顔を歪めた。
自分を責める美空の心を見透かすように、「まあ俺のせいなんだけどね」と紫雲が自虐的な笑みを浮かべた。
「だからさ。今日は思いっきり楽しもうよ。何もかも忘れて」
身体ごと美空の方を向くと、紫雲は「ねっ!」とくしゃくしゃの顔で笑った。
当てもなく走る美空の目に、遊覧船の看板が飛び込んできた。
「遊覧船かぁ」
「遊覧船?」
紫雲が瞳を輝かせる。
「乗りたい?」
「うん!」
子どものようにはしゃぐ紫雲に顔を綻ばせると、美空は湖へと車を走らせた。
乗り場に着くと、遊覧船は間もなく出発するところだった。すぐにチケットを購入し、二人は急いで乗り込んだ。
船は、煌めく波の間を滑るように進んで行く。
窓から臨む景色を暫く二人で楽しんでいると、湖のなかほどに小さな島が見えてきた。
「あそこで降りられるみたいだよ?」
桟橋の向こうに鳥居が見える。
「神社があるみたい」
美空の言葉に、「行ってみたい」紫雲が声を弾ませた。
青い空と緑の木々を背に立つ真っ赤な鳥居は目にも鮮やかで、神秘的な光を放っていた。
四方八方を湖に囲まれ、打ち寄せる水の音が耳に心地良い。
時折吹く風が、サラサラと木の葉を揺らしながら通り抜けていく。
「気持ちいい」
紫雲が空を仰ぎ、眩しそうに目を細めた。
見上げた顔に穏やかな春の日差しが降り注ぐ。そのあまりの美しさに、美空は思わず息を呑んだ。
「ん?」
突然向けられた紫雲の目が、柔らかく弧を描く。
「なんでもない」慌てて首を振ると、「行こ」美空は鳥居に向かって歩き出した。
「美空さん」
その背中を、紫雲が呼び止める。
「一緒にくぐろ?」
大股で美空に追いつくと、紫雲はそっと、美空の左手を包み込んだ。
美空の肩がピクリと震える。驚きの眼差しを向ける美空に、紫雲はにっこり微笑んだ。
これまでも幾度となく触れたはずの紫雲の大きな手が、今日は何故か新鮮に思える。
なんだか無性に恥ずかしくなり、美空は俯きながらギクシャク歩いた。
「行くよ」
気がつくと、鳥居は既にあと一歩のところに迫っていた。
「せーの!」
紫雲の掛け声と共に、二人は大きく一歩踏み出した。
「うわぁ……」
二人は同時に声を上げた。
鳥居をくぐった先には、木々の間を縫うように一本の細い道が真っ直ぐ伸びていた。どうやらそれは本殿へと繋がっているようだ。
木の葉の隙間から陽の光が降り注ぎ、無数の光の筋を作る。
所々雪の残るその道を、二人は並んで静かに歩いた。
「紫雲君……」
鳥居をくぐった後もずっと繋がれている手を見つめ、美空は恥ずかしそうに名前を呼んだ。
「何?」
「手……」
「ああ、これ?」
手を繋いだまま、紫雲がぶんぶん腕を振る。
「だって、俺んのだから」
「え?」
「明日までは俺のもの……でしょ?」
寂しそうに、紫雲が笑う。『明日まで』という言葉が、二人の間に翳を落とす。
「……そうだね」
涙を堪えながら、美空は笑顔で頷いた。
どちらからともなく、二人指を絡ませる。
今日という日が、永遠に続きますように……。
美空はこっそり、神に願った。
0
お気に入りに追加
27
あなたにおすすめの小説
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
保健室の秘密...
とんすけ
大衆娯楽
僕のクラスには、保健室に登校している「吉田さん」という女の子がいた。
吉田さんは目が大きくてとても可愛らしく、いつも艶々な髪をなびかせていた。
吉田さんはクラスにあまりなじめておらず、朝のHRが終わると帰りの時間まで保健室で過ごしていた。
僕は吉田さんと話したことはなかったけれど、大人っぽさと綺麗な容姿を持つ吉田さんに密かに惹かれていた。
そんな吉田さんには、ある噂があった。
「授業中に保健室に行けば、性処理をしてくれる子がいる」
それが吉田さんだと、男子の間で噂になっていた。
ワケあり上司とヒミツの共有
咲良緋芽
恋愛
部署も違う、顔見知りでもない。
でも、社内で有名な津田部長。
ハンサム&クールな出で立ちが、
女子社員のハートを鷲掴みにしている。
接点なんて、何もない。
社内の廊下で、2、3度すれ違った位。
だから、
私が津田部長のヒミツを知ったのは、
偶然。
社内の誰も気が付いていないヒミツを
私は知ってしまった。
「どどど、どうしよう……!!」
私、美園江奈は、このヒミツを守れるの…?
契約書は婚姻届
霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「契約続行はお嬢さんと私の結婚が、条件です」
突然、降って湧いた結婚の話。
しかも、父親の工場と引き替えに。
「この条件がのめない場合は当初の予定通り、契約は打ち切りということで」
突きつけられる契約書という名の婚姻届。
父親の工場を救えるのは自分ひとり。
「わかりました。
あなたと結婚します」
はじまった契約結婚生活があまー……いはずがない!?
若園朋香、26歳
ごくごく普通の、町工場の社長の娘
×
押部尚一郎、36歳
日本屈指の医療グループ、オシベの御曹司
さらに
自分もグループ会社のひとつの社長
さらに
ドイツ人ハーフの金髪碧眼銀縁眼鏡
そして
極度の溺愛体質??
******
表紙は瀬木尚史@相沢蒼依さん(Twitter@tonaoto4)から。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
【完結】maybe 恋の予感~イジワル上司の甘いご褒美~
蓮美ちま
恋愛
会社のなんでも屋さん。それが私の仕事。
なのに突然、企画部エースの補佐につくことになって……?!
アイドル顔負けのルックス
庶務課 蜂谷あすか(24)
×
社内人気NO.1のイケメンエリート
企画部エース 天野翔(31)
「会社のなんでも屋さんから、天野さん専属のなんでも屋さんってこと…?」
女子社員から妬まれるのは面倒。
イケメンには関わりたくないのに。
「お前は俺専属のなんでも屋だろ?」
イジワルで横柄な天野さんだけど、仕事は抜群に出来て人望もあって
人を思いやれる優しい人。
そんな彼に認められたいと思う反面、なかなか素直になれなくて…。
「私、…役に立ちました?」
それなら…もっと……。
「褒めて下さい」
もっともっと、彼に認められたい。
「もっと、褒めて下さ…っん!」
首の後ろを掬いあげられるように掴まれて
重ねた唇は煙草の匂いがした。
「なぁ。褒めて欲しい?」
それは甘いキスの誘惑…。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる