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1日だけの恋人

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 遊覧船の窓の向こうで、陽の光を浴びた湖面が不規則に輝いている。
「綺麗……」
 その眩しさに、美空は思わず目を細めた。

 三月。
 約束通り美空は紫雲に、二十四時間だけの贈り物をした。
 土曜の午前九時から日曜の午前九時まで。丸一日を、紫雲に捧げる。
 はにかみながらやって来た紫雲を車に乗せ、美空はドライブに連れ出した。

「晴斗さんにはなんて?」と聞く美空に紫雲は「卒業記念に友達んちで一晩中ゲームするって言って来た」と答えた。
 晴斗は、紫雲の記憶が戻ったことを知らない。その紫雲が、まさか美空と会っているなど夢にも思わないだろう。
「またそんな嘘……」
 美空が非難めいた表情を浮かべると、「だって……」紫雲は口を尖らせた。
「さすがに本当のこと言えないでしょ?」
「そうだけど……」
「それに……」
 窓枠に頬杖をつきながら、紫雲が小さく溜息をついた。
「俺の顔見なくて済むからホッとしてるよきっと。わかるんだ。避けられてるって」
 紫雲の横顔に、寂しそうな影が落ちる。
 仲の良かった頃の登坂親子を思い出し、美空は切なさに顔を歪めた。
 自分を責める美空の心を見透かすように、「まあ俺のせいなんだけどね」と紫雲が自虐的な笑みを浮かべた。
「だからさ。今日は思いっきり楽しもうよ。何もかも忘れて」
 身体ごと美空の方を向くと、紫雲は「ねっ!」とくしゃくしゃの顔で笑った。


 当てもなく走る美空の目に、遊覧船の看板が飛び込んできた。
「遊覧船かぁ」
「遊覧船?」
 紫雲が瞳を輝かせる。
「乗りたい?」
「うん!」
 子どものようにはしゃぐ紫雲に顔を綻ばせると、美空は湖へと車を走らせた。

 乗り場に着くと、遊覧船は間もなく出発するところだった。すぐにチケットを購入し、二人は急いで乗り込んだ。
 船は、煌めく波の間を滑るように進んで行く。
 窓から臨む景色を暫く二人で楽しんでいると、湖のなかほどに小さな島が見えてきた。
「あそこで降りられるみたいだよ?」
 桟橋の向こうに鳥居が見える。
「神社があるみたい」
 美空の言葉に、「行ってみたい」紫雲が声を弾ませた。


 青い空と緑の木々を背に立つ真っ赤な鳥居は目にも鮮やかで、神秘的な光を放っていた。
 四方八方を湖に囲まれ、打ち寄せる水の音が耳に心地良い。
 時折吹く風が、サラサラと木の葉を揺らしながら通り抜けていく。
「気持ちいい」
 紫雲が空を仰ぎ、眩しそうに目を細めた。
 見上げた顔に穏やかな春の日差しが降り注ぐ。そのあまりの美しさに、美空は思わず息を呑んだ。
「ん?」
 突然向けられた紫雲の目が、柔らかく弧を描く。
「なんでもない」慌てて首を振ると、「行こ」美空は鳥居に向かって歩き出した。
「美空さん」
 その背中を、紫雲が呼び止める。
「一緒にくぐろ?」
 大股で美空に追いつくと、紫雲はそっと、美空の左手を包み込んだ。
 美空の肩がピクリと震える。驚きの眼差しを向ける美空に、紫雲はにっこり微笑んだ。

 これまでも幾度となく触れたはずの紫雲の大きな手が、今日は何故か新鮮に思える。
 なんだか無性に恥ずかしくなり、美空は俯きながらギクシャク歩いた。
「行くよ」
 気がつくと、鳥居は既にあと一歩のところに迫っていた。
「せーの!」
 紫雲の掛け声と共に、二人は大きく一歩踏み出した。

「うわぁ……」
 二人は同時に声を上げた。
 鳥居をくぐった先には、木々の間を縫うように一本の細い道が真っ直ぐ伸びていた。どうやらそれは本殿へと繋がっているようだ。
 木の葉の隙間から陽の光が降り注ぎ、無数の光の筋を作る。
 所々雪の残るその道を、二人は並んで静かに歩いた。

「紫雲君……」
 鳥居をくぐった後もずっと繋がれている手を見つめ、美空は恥ずかしそうに名前を呼んだ。
「何?」
「手……」
「ああ、これ?」
 手を繋いだまま、紫雲がぶんぶん腕を振る。
「だって、俺んのだから」
「え?」
「明日までは俺のもの……でしょ?」
 寂しそうに、紫雲が笑う。『明日まで』という言葉が、二人の間にかげを落とす。
「……そうだね」
 涙を堪えながら、美空は笑顔で頷いた。

 どちらからともなく、二人指を絡ませる。
 今日という日が、永遠に続きますように……。
 美空はこっそり、神に願った。

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