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紫雲の願い
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「なるほどね……」
美空の話を全て聞き終わると、恵令奈は焼き鳥にかじりついた。
週末、美空はいつもの居酒屋に恵令奈を誘った。
二人だけで飲みたいという美空の真剣な眼差しに、余程の重大な話だと悟ったのか、恵令奈は二つ返事で承諾した。
「こりゃあ、てっちゃんには聞かせられない訳だ。奴には刺激が強すぎる」
一つ頷き、恵令奈は生ビールを喉の奥に流し込んだ。
美空が哲太を誘わなかったのは、恵令奈の言う通り哲太には聞かれたくない内容だったこともあるが、最たる理由は、彼に申し訳が立たないと思ったからだ。
あの日、哲太の制止も聞かずに熱で寝込む紫雲の元へと赴き、結果、最悪の事態を招いた。
だから言わんこっちゃない、という哲太の呆れ顔が容易に想像でき、あれ以来美空は、哲太の顔をまともに見られなくなっていた。
「紫雲君の記憶は、まだ戻らないの?」
ホッケをつつきながら、恵令奈が聞いた。
「わからない。LINEも退会したみたいだし」
「そっか……。晴斗さんの仕業ね、きっと。まあ、当然と言えば当然だけど……」
恵令奈は力なく肩を落とした。
「電話番号は? それも変えられちゃった?」
「どうだろ? でも、いつ晴斗さんがチェックするかと思うと、怖くてかけられないよ」
「確かに」
恵令奈が眉間に皺を寄せた。
美空はレモンサワーを一気に飲み干すと、はあぁぁっと大きく息を吐いた。
「終わっちゃったよ……。何もかも……。自業自得だ……」
そのままテーブルに突っ伏すと、美空は声を殺して泣いた。
目を瞑ると、これまでのことが走馬灯のように駆け巡る。
晴斗のぬくもり、紫雲の笑顔が、次から次へと通り過ぎていく。
壊れてしまった幸せが如何に大切なものだったのか、今更ながら思い知る。
いくら償っても尽きることのない罪の重さを抱え、美空の心は崩壊寸前だった。
「これで良かったの?」
恵令奈が静かに言葉を紡ぐ。
質問の意図が分からない。美空は息を詰め、恵令奈の次の言葉を待った。
「好きなんでしょ? 紫雲君のこと」
美空の肩が、ピクリと震えた。
「そりゃあそうだけど……」
「だったら……」
恵令奈の言葉を「もういいの」と美空が遮る。
「私に、紫雲君を好きになる資格なんて……」
しゃくり上げながら、美空は答えた。
「恋愛に、資格もへったくれもないんじゃない?」
「でも……」
「記憶がないなら、もう一度初めからやり直せば? 晴斗さんとはもう終わった訳だし……。今度こそ、ちゃんとした恋愛を……」
「馬鹿な事言わないで! そんなことできる訳ないでしょ?」
突っ伏したまま声を荒げる美空に、「だよねぇ……」恵令奈は深い溜息を吐く。
「これでいいんだよ。このままずっと思い出さなければ……」
そう。これでいい。辛い記憶など、忘れてしまえばいい。
再び涙が溢れ、美空は小さく嗚咽を漏らした。
「……いっそのこと、駆け落ちでもする?」
「かっ、駆け落ちっ!?」
突拍子もない恵令奈の言葉に、美空は勢いよく顔を上げた。
「どう? この案」
悪戯っぽく、恵令奈が笑う。
驚きとも呆れともつかない顔で、美空は恵令奈を凝視した。
「ほんと……。いつものことながら、恵令奈って奇想天外だよね」
「お褒め戴きありがとう」
「褒めてないし……」
ふふっと笑うと、「次、何にする?」恵令奈がおもむろにメニューを広げた。
「今日はとことん付き合いましょう」
恵令奈が差し出すメニューの上に、美空の涙がポトリと落ちた。
「じゃんじゃん頼んでね。割り勘だけど」
涙で歪む視界の向こうで、わざと明るく恵令奈が笑う。
今の美空にとって、この笑顔だけが救いだった。
「ありがとう」
かけがえのない親友に、美空は深く、頭を下げた。
美空の話を全て聞き終わると、恵令奈は焼き鳥にかじりついた。
週末、美空はいつもの居酒屋に恵令奈を誘った。
二人だけで飲みたいという美空の真剣な眼差しに、余程の重大な話だと悟ったのか、恵令奈は二つ返事で承諾した。
「こりゃあ、てっちゃんには聞かせられない訳だ。奴には刺激が強すぎる」
一つ頷き、恵令奈は生ビールを喉の奥に流し込んだ。
美空が哲太を誘わなかったのは、恵令奈の言う通り哲太には聞かれたくない内容だったこともあるが、最たる理由は、彼に申し訳が立たないと思ったからだ。
あの日、哲太の制止も聞かずに熱で寝込む紫雲の元へと赴き、結果、最悪の事態を招いた。
だから言わんこっちゃない、という哲太の呆れ顔が容易に想像でき、あれ以来美空は、哲太の顔をまともに見られなくなっていた。
「紫雲君の記憶は、まだ戻らないの?」
ホッケをつつきながら、恵令奈が聞いた。
「わからない。LINEも退会したみたいだし」
「そっか……。晴斗さんの仕業ね、きっと。まあ、当然と言えば当然だけど……」
恵令奈は力なく肩を落とした。
「電話番号は? それも変えられちゃった?」
「どうだろ? でも、いつ晴斗さんがチェックするかと思うと、怖くてかけられないよ」
「確かに」
恵令奈が眉間に皺を寄せた。
美空はレモンサワーを一気に飲み干すと、はあぁぁっと大きく息を吐いた。
「終わっちゃったよ……。何もかも……。自業自得だ……」
そのままテーブルに突っ伏すと、美空は声を殺して泣いた。
目を瞑ると、これまでのことが走馬灯のように駆け巡る。
晴斗のぬくもり、紫雲の笑顔が、次から次へと通り過ぎていく。
壊れてしまった幸せが如何に大切なものだったのか、今更ながら思い知る。
いくら償っても尽きることのない罪の重さを抱え、美空の心は崩壊寸前だった。
「これで良かったの?」
恵令奈が静かに言葉を紡ぐ。
質問の意図が分からない。美空は息を詰め、恵令奈の次の言葉を待った。
「好きなんでしょ? 紫雲君のこと」
美空の肩が、ピクリと震えた。
「そりゃあそうだけど……」
「だったら……」
恵令奈の言葉を「もういいの」と美空が遮る。
「私に、紫雲君を好きになる資格なんて……」
しゃくり上げながら、美空は答えた。
「恋愛に、資格もへったくれもないんじゃない?」
「でも……」
「記憶がないなら、もう一度初めからやり直せば? 晴斗さんとはもう終わった訳だし……。今度こそ、ちゃんとした恋愛を……」
「馬鹿な事言わないで! そんなことできる訳ないでしょ?」
突っ伏したまま声を荒げる美空に、「だよねぇ……」恵令奈は深い溜息を吐く。
「これでいいんだよ。このままずっと思い出さなければ……」
そう。これでいい。辛い記憶など、忘れてしまえばいい。
再び涙が溢れ、美空は小さく嗚咽を漏らした。
「……いっそのこと、駆け落ちでもする?」
「かっ、駆け落ちっ!?」
突拍子もない恵令奈の言葉に、美空は勢いよく顔を上げた。
「どう? この案」
悪戯っぽく、恵令奈が笑う。
驚きとも呆れともつかない顔で、美空は恵令奈を凝視した。
「ほんと……。いつものことながら、恵令奈って奇想天外だよね」
「お褒め戴きありがとう」
「褒めてないし……」
ふふっと笑うと、「次、何にする?」恵令奈がおもむろにメニューを広げた。
「今日はとことん付き合いましょう」
恵令奈が差し出すメニューの上に、美空の涙がポトリと落ちた。
「じゃんじゃん頼んでね。割り勘だけど」
涙で歪む視界の向こうで、わざと明るく恵令奈が笑う。
今の美空にとって、この笑顔だけが救いだった。
「ありがとう」
かけがえのない親友に、美空は深く、頭を下げた。
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