あの日交わした約束がセピア色にかわっても

紫水晶羅

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小さな綻び

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「お邪魔しまーす」
「あ! 恵令奈先生!」
 大きな歓声に迎えられ、「はぁい。よろしくねぇ」恵令奈は子どもたちの頭を順に撫でた。

 就学に向けてお昼寝が無くなったぞう組は、他クラスがお昼寝をしている間は読み書きを習ったり、自由遊びを楽しんだりしている。
「今日は何したの?」
「文字のお稽古したよ」
 塗り絵をしている子どもが、恵令奈の問いかけに答えた。
 前半は学習をし、後半は遊ぶというのがいつもの流れだ。
「そっかぁ。頑張ったね」
 子どもたちに優しく微笑んだ後、「美空先生、休憩どうぞ」恵令奈は美空に声を掛けた。今日の後半は、恵令奈が見てくれることになっている。
「ありがとう」
 作りかけのドミノを倒さないよう、美空はゆっくり立ち上がった。

「じゃ、よろしくね」
 美空が退室しようとした時、「美空先生」恵令奈が唐突に呼び止めた。
「何?」
 振り返った美空に、恵令奈が近づく。子どもたちに聞こえないよう声を潜めると、「なんかあったの?」恵令奈は神妙な顔をした。
「な、なんで?」
「五回よ」
「五回?」
「そう。あんたが今日、伴奏トチった回数」
「伴奏……?」
 美空たちの園は今、十一月にある発表会の練習に大忙しだ。
 美空は、全体合唱のピアノ伴奏を担っている。
「あんたが伴奏トチるなんて、珍しいじゃん」
 ピアノが得意の美空は、弾き間違えることは滅多にない。それが、今日は五回も間違えたのだ。
「晴斗さんのこと? それとも……」
 恵令奈が言いかけた時、突然ガラリとドアが開いた。

「きゃっ!」
 可愛らしい声の主は、園長だった。
「びっくりした。何してんの? 入り口で」
「園長先生……」
 三人はお互いの顔を見比べると、同時にほうっと息をいた。
「ええっと、美空先生」
「は、はいっ」
 急に名前を呼ばれ、美空は上ずった声で返事をした。
「今日の放課後、少しお話できないかしら?」
「私……ですか?」
「そう。場所は……。そうね。ここを使わせてもらおうかしら?」
「ここですか?」
「ええ」
 ぞう組の部屋は、園舎の一番奥にある。大切な話をするには絶好な場所なのだ。
「じゃあ、放課後にね」
 それだけ言うと、園長は颯爽と戻って行った。

「何だろう?」
 園長の姿を見送った後、恵令奈と美空は顔を見合わせた。
「今日のピアノが酷かったから?」
 美空の言葉に、「まっさかぁ」恵令奈が笑って答えた。
「それくらいなら、今ここで言えばいいじゃん?」
「そう……だよね」
「劇の事じゃない? こないだ、最後のとこがもたついてるって言ってたじゃん」
 美空のクラスは、発表会で『ピーターパン』の劇をする。カーテンコールの際、役ごとで順に出て来るところが、いつももたついてしまうのだ。
「そのことかなぁ?」
「何かいい案が閃いたんじゃない? 園長先生」
「そうだといいけど……」
 一抹の不安を抱えながら、美空は保育室を後にした。

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