あの日交わした約束がセピア色にかわっても

紫水晶羅

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冗談だよ

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 着替え終えて再び現れた紫雲は、何事も無かったかのように、鍋を用意したり茶碗を並べたりと手際よく準備を進めていった。
 初めはぎこちなかった会話も、時間が経つにつれ以前のテンポを取り戻し、徐々に笑い声も混じるようになってきた。

 父親との二人暮らしが長いだけあって、特に指示しなくても着々と仕事をこなす紫雲の姿に、美空はある種の感動を覚えた。
「凄いね、紫雲君。いいお嫁さんになるよ」
「ならねーし」
 食卓に鍋をセットしながら、紫雲が口を尖らせる。
「あははは」
 堪らず美空が笑い声を上げた時、「楽しそうだね」ドアから晴斗が顔を出した。

「あ、晴斗さん! お帰りなさい」
「ただいま」
 鍋を覗き込みながら、「昆布出汁?」晴斗が嬉しそうに笑った。
 お帰り、と晴斗に声を掛けながら、紫雲が不満げに腕を組んだ。
「本当は闇鍋するつもりだったんだけどさ」
「闇鍋?」
「うん。でも美空さんがダメだって」
「ダメに決まってるでしょ!」
 横から美空が口を出す。
「面白いと思うんだけどなぁ」
 つまらなそうに口を曲げる紫雲に、「よし! やるか? 闇鍋」晴斗が悪戯っぽい笑顔を向けた。

「え? いいの?」
「ちょっと! 晴斗さんまで何言ってんですか!」
 慌てる美空に構わず、二人は頭を突き合わせて密談を開始した。
「で? 何入れんの?」
「それは……」
 にまりと不敵な笑みを浮かべると、晴斗はおもむろに靴下を脱いだ。
「脱ぎたてホヤホヤの、オッサンの靴下だ」
「げぇーっ!」
「晴斗さんっ!」
 美空と紫雲が同時に悲鳴を上げた。
「俺らを殺す気かっ!」
「闇鍋っつったら靴下だろ?」
「そんな常識は無い!」
「もうっ! 闇鍋はしませんっ!」
 美空の一喝により、登坂親子の闇鍋抗争は幕を閉じた。

「いいから着替えて来て下さい!」
 美空に睨まれ、「いい出汁だし出ると思うんだけどなぁ」晴斗がしょんぼり呟いた。
「出さなくていいです!」
 がっくり肩を落としながら、晴斗は渋々自室へと向かった。


 美空の必死の抵抗により昆布の風味を守り抜いた鍋は、あっという間に空になった。
「美味しかった。ごちそうさま」
 満足そうに腹を撫でながら自室へと向かう紫雲を見送りながら、美空はホッと胸を撫で下ろした。

 食事中、紫雲は終始ご機嫌で、出会った頃と変わらぬ陽気な笑顔で食卓に彩を添えていた。
 はたから見ればきっと、仲良し家族の団らん風景そのものだろう。
 美空さえ黙っていれば、この先もずっと、家族として暮らしていける。
 皆が幸せでいられるのなら、自分の気持ちに蓋をするくらい容易たやすいことだ。
 棚に並んだ食器を見つめ、美空は一人決意した。

「美空」
 食器棚を閉じる美空の手に、晴斗の手が重なった。
 驚いて振り返ると、至近距離に晴斗の甘い顔があった。
「晴斗さ……」
 とろけそうな瞳を潤ませたまま、晴斗は美空の唇を塞いだ。
「ん……」
 晴斗の腕が、美空の頭を抱え込み、髪や頬を優しく撫でる。
 次第に熱くなる吐息と共に、晴斗が舌を絡ませた。
「ふ……っ」
 徐々に下がる晴斗の手に、堪らず美空は身をよじった。
「だめ……」
 慌てて身体を引き離そうとするも、晴斗の熱は収まらない。
 その手がTシャツの中に滑り込んだところで、「だめです」美空は晴斗の腕を掴んだ。
 食器棚が、ガタリと大きな音を立てた。
「紫雲君がいるのに……」
「あ……」

 勉強に集中しているのか、紫雲の部屋からは物音一つ聞こえてこない。
 二人は顔を見合わせ、ほうっと安堵の息を漏らした。
「もしかして、酔っぱらってます?」
 食事中、晴斗は缶ビールを二缶開けた。それ程強くはない晴斗にとっては、一番心地の良い量なのだろう。
「んー。どうだろう?」
 ほのかに色付く顔に無邪気な笑みを浮かべたまま、晴斗は、美空の頬を掌に収めた。
「みーちゃんのせいかな?」
 晴斗が『みーちゃん』と呼ぶ時は、大抵酔っている時だ。
 再び重ねようとする唇に指先を当てると、「だめですってば」美空は晴斗の欲望を止めた。

「紫雲君が来たら……」
「大丈夫。あいつ、部屋から滅多に出てこないし」
「でも、こんなところで……」
「じゃあ、俺の部屋行く?」
 甘えたように、晴斗が上目遣いで小首を傾げた。
 晴斗の部屋と紫雲の部屋は、壁一枚で隔てられている。
「声出さなきゃ、大丈夫だよ」
「そういう問題じゃありません!」
 真っ赤になって、美空は晴斗をきつく睨んだ。
「やっぱだめか……」
 がっかりしながら、覆いかぶさるように晴斗は美空を抱き締めた。

「明日なら……」
「ん?」
「うち、来てもいいですよ……」
「みーちゃん……」
 美空を見つめる晴斗の瞳が、嬉しそうに弧を描いた。
「わかった。じゃあ明日まで我慢する」
 額を美空の頭にこすりつけると、晴斗はふにゃりと笑った。
「もう。晴斗さんたら……」
 思わず吹き出す美空の口を、晴斗がついばむように何度も塞ぐ。
 二人は食器棚が揺れるのも構わず、気が済むまでお互いの熱を確かめ合った。

 晴斗のぬくもりに守られながら、美空は、これでいいんだと、何度も自分に言い聞かせていた……。

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