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ざわつく気持ち
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「この間は悪かったね」
ミートソースパスタを一口頬張り、「うまい」と満足そうに頷いた後、晴斗が美空に謝った。
「いえいえ。ほんと、気にしないで下さい。とっても楽しかったんですから」
美空はフォークとスプーンを皿の上に置くと、顔の前で両手を振った。
先日迷惑をかけたお詫びにと晴斗が誘ってくれたイタリアンの店は、新規オープンのせいか連日満席で、多くの客で賑わっていた。
二人で頼んだマルゲリータを一切れ皿に取りながら、「あいつは……」晴斗が話を切り出した。
「紫雲は、生まれた時から母親がいなかったから、愛情不足っていうか……」
「そんな事……。晴斗さんだって一生懸命……」
「違うんだよ」
皿を置くと、晴斗は溜息を一つ吐いた。
「美空もわかってると思うけど、父親と母親の愛情は違う。父親は……俺は、どう頑張っても、母親にはなれないんだよ」
「晴斗さん……」
「だからって訳じゃないけど、あいつはどうも、甘えん坊な所があって」
晴斗はマルゲリータを一口かじった。
「やっぱり父親じゃあ、思うように甘えられないのかも知れないな」
言い訳かも知れないけど、と、晴斗は寂しそうに笑った。
「こんな事言ったらあれだけど……」
マルゲリータを水で流し込むと、晴斗は手を組んで大きく息を吐いた。
「実は前に……。紫雲がまだ小学生の頃……。一度だけ、再婚話が持ち上がったんだよね」
「そう……なんですか……」
周囲の喧騒が遠のいていく。
美空はナプキンで口を拭くと、晴斗の話に耳を傾けた。
「でも……。いざ対面って時にあいつ、会いたくないって駄々をこねてね。あの手この手で頑張って、何とか二回程合わせる事に成功したんだけど……」
一旦言葉を切り、晴斗は小さく首を振った。
「どうやっても紫雲の心を開くことができなくて……。結局、向こうから断られちゃったんだよね」
「そうですか……」
膝の上のナプキンを何度も手で撫でながら、美空は小さく相槌を打った。
「流石に俺も怖気づいてさ。それ以降は断ってたんだよ、そういう話。だってそうだろ? 俺と紫雲は一心同体なんだ。あいつが受け入れられないものは、俺も受け入れられない」
「一心同体……」
「でもね」
晴斗の口調が変わった。目尻に数本皺が寄る。
「美空の話をした時、あいつ、嬉しそうに笑ったんだ」
「えっ?」
「会いたいって……。あいつ、会いたいって言ったんだ。瞳をキラッキラさせて」
「紫雲君が?」
「あいつのあんな顔、久しぶりに見たよ。まるで、欲しかった玩具をようやく手に入れた時の子どもみたいな目で……」
その時の状況を思い浮かべているのだろう。晴斗が嬉しそうに目を細めた。
「だから決めたんだ。美空に」
「晴斗さん……」
「もしかしたら、これからも我儘言って美空を困らせてしまうかも知れないけど……」
ううん、と美空は首を振った。
「あいつにとって美空は、母親みたいに甘えられる存在なんだと思うんだ」
「母親……」
美空の脳裏に、思い詰めた紫雲の顔が過ぎる。
――母親だなんて……思ってない……。
紫雲の言葉がこだまする。
「もちろん、無理して母親になろうとしなくてもいい。だけど、もし可能なら、これからもずっと、あいつの良き相談相手になってもらえないだろうか?」
「私……が?」
「ああ、ごめん。もちろん、無理にとは言わない。ただ、俺のできない部分をサポートしてくれるだけでいいんだ。この間みたいに」
「それは、勿論」
ぎこちない笑顔を見られないよう、美空は俯き加減で頷いた。
「いいの?」
「ええ。私で良ければ」
「そっか。良かった。断られたらどうしようかと思ってた」
詰めていた息を大きく吐き出し、晴斗は何度も胸を撫でた。
「これからも、親子共々よろしくお願いします」
「はい。こちらこそ」
二人は揃って頭を下げた後、顔を見合わせ笑った。
純粋に息子を思う父の笑顔に、美空の胸はチクリと痛んだ。
和やかな空気が漂った頃、「あのさ……」晴斗が静かに口を開いた。
「この後なんだけど……」
晴斗の顔が、父親から男に変わる。
「今日、紫雲いないんだ」
「え?」
「友だちとオールで勉強会だって。何してんだかわかんないけど」
ははっと笑ったかと思うと、再び晴斗は真顔になった。瞳が熱を帯びていく。
「久しぶりに、部屋に行ってもいい?」
「あ……」
付き合い始めの頃は、晴斗が美空の部屋に上がることは度々あったが、紫雲に関係を知られてからは、お互いなんとなく遠慮していた。
年頃の男の子に変に勘ぐられるのも恥ずかしい。身体を重ねるのは、時間の融通の利く土日か、今日の様に紫雲が不在の夜に限られる。
「いい……ですけど……」
騒ぎ出す胸の鼓動を誤魔化す様に、美空は、殆ど冷めてしまったカニのトマトクリームパスタを再びフォークに巻きつけた。
「じゃあ、これ食べたら出よっか」
「はい」
晴斗が、慌ただしくフォークを口に運び始めた。
――もしもよ? もしも紫雲君が、美空の事を母親として見ていなかったとしたら?
――もし紫雲君が、美空を一人の女性として見ているんだとしたら?
恵令奈の言葉が、美空の心をかき乱す。
美空は、ほんの少しの不安要素を胸の奥底にしまい込み、騒つく想いをパスタと共に飲み込んだ。
ミートソースパスタを一口頬張り、「うまい」と満足そうに頷いた後、晴斗が美空に謝った。
「いえいえ。ほんと、気にしないで下さい。とっても楽しかったんですから」
美空はフォークとスプーンを皿の上に置くと、顔の前で両手を振った。
先日迷惑をかけたお詫びにと晴斗が誘ってくれたイタリアンの店は、新規オープンのせいか連日満席で、多くの客で賑わっていた。
二人で頼んだマルゲリータを一切れ皿に取りながら、「あいつは……」晴斗が話を切り出した。
「紫雲は、生まれた時から母親がいなかったから、愛情不足っていうか……」
「そんな事……。晴斗さんだって一生懸命……」
「違うんだよ」
皿を置くと、晴斗は溜息を一つ吐いた。
「美空もわかってると思うけど、父親と母親の愛情は違う。父親は……俺は、どう頑張っても、母親にはなれないんだよ」
「晴斗さん……」
「だからって訳じゃないけど、あいつはどうも、甘えん坊な所があって」
晴斗はマルゲリータを一口かじった。
「やっぱり父親じゃあ、思うように甘えられないのかも知れないな」
言い訳かも知れないけど、と、晴斗は寂しそうに笑った。
「こんな事言ったらあれだけど……」
マルゲリータを水で流し込むと、晴斗は手を組んで大きく息を吐いた。
「実は前に……。紫雲がまだ小学生の頃……。一度だけ、再婚話が持ち上がったんだよね」
「そう……なんですか……」
周囲の喧騒が遠のいていく。
美空はナプキンで口を拭くと、晴斗の話に耳を傾けた。
「でも……。いざ対面って時にあいつ、会いたくないって駄々をこねてね。あの手この手で頑張って、何とか二回程合わせる事に成功したんだけど……」
一旦言葉を切り、晴斗は小さく首を振った。
「どうやっても紫雲の心を開くことができなくて……。結局、向こうから断られちゃったんだよね」
「そうですか……」
膝の上のナプキンを何度も手で撫でながら、美空は小さく相槌を打った。
「流石に俺も怖気づいてさ。それ以降は断ってたんだよ、そういう話。だってそうだろ? 俺と紫雲は一心同体なんだ。あいつが受け入れられないものは、俺も受け入れられない」
「一心同体……」
「でもね」
晴斗の口調が変わった。目尻に数本皺が寄る。
「美空の話をした時、あいつ、嬉しそうに笑ったんだ」
「えっ?」
「会いたいって……。あいつ、会いたいって言ったんだ。瞳をキラッキラさせて」
「紫雲君が?」
「あいつのあんな顔、久しぶりに見たよ。まるで、欲しかった玩具をようやく手に入れた時の子どもみたいな目で……」
その時の状況を思い浮かべているのだろう。晴斗が嬉しそうに目を細めた。
「だから決めたんだ。美空に」
「晴斗さん……」
「もしかしたら、これからも我儘言って美空を困らせてしまうかも知れないけど……」
ううん、と美空は首を振った。
「あいつにとって美空は、母親みたいに甘えられる存在なんだと思うんだ」
「母親……」
美空の脳裏に、思い詰めた紫雲の顔が過ぎる。
――母親だなんて……思ってない……。
紫雲の言葉がこだまする。
「もちろん、無理して母親になろうとしなくてもいい。だけど、もし可能なら、これからもずっと、あいつの良き相談相手になってもらえないだろうか?」
「私……が?」
「ああ、ごめん。もちろん、無理にとは言わない。ただ、俺のできない部分をサポートしてくれるだけでいいんだ。この間みたいに」
「それは、勿論」
ぎこちない笑顔を見られないよう、美空は俯き加減で頷いた。
「いいの?」
「ええ。私で良ければ」
「そっか。良かった。断られたらどうしようかと思ってた」
詰めていた息を大きく吐き出し、晴斗は何度も胸を撫でた。
「これからも、親子共々よろしくお願いします」
「はい。こちらこそ」
二人は揃って頭を下げた後、顔を見合わせ笑った。
純粋に息子を思う父の笑顔に、美空の胸はチクリと痛んだ。
和やかな空気が漂った頃、「あのさ……」晴斗が静かに口を開いた。
「この後なんだけど……」
晴斗の顔が、父親から男に変わる。
「今日、紫雲いないんだ」
「え?」
「友だちとオールで勉強会だって。何してんだかわかんないけど」
ははっと笑ったかと思うと、再び晴斗は真顔になった。瞳が熱を帯びていく。
「久しぶりに、部屋に行ってもいい?」
「あ……」
付き合い始めの頃は、晴斗が美空の部屋に上がることは度々あったが、紫雲に関係を知られてからは、お互いなんとなく遠慮していた。
年頃の男の子に変に勘ぐられるのも恥ずかしい。身体を重ねるのは、時間の融通の利く土日か、今日の様に紫雲が不在の夜に限られる。
「いい……ですけど……」
騒ぎ出す胸の鼓動を誤魔化す様に、美空は、殆ど冷めてしまったカニのトマトクリームパスタを再びフォークに巻きつけた。
「じゃあ、これ食べたら出よっか」
「はい」
晴斗が、慌ただしくフォークを口に運び始めた。
――もしもよ? もしも紫雲君が、美空の事を母親として見ていなかったとしたら?
――もし紫雲君が、美空を一人の女性として見ているんだとしたら?
恵令奈の言葉が、美空の心をかき乱す。
美空は、ほんの少しの不安要素を胸の奥底にしまい込み、騒つく想いをパスタと共に飲み込んだ。
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