黄昏色の音楽室

紫水晶羅

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音楽室

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「ショパンはね、嵐の日に『雨だれの前奏曲』を作ったのよ」

 白くて細い指先から繊細な音色が次々と生まれ出て、俺を優しく包み込む。

「こんな日だったのかなぁ?」

 俺は窓の外を見て呟いた。

 空は厚い雲に覆われ、まるで灰色の絵の具を塗りたくられてうんざりしているかのように、どんよりオーラ全開で俺の顔を見下ろしている。
 滝のように落ちてくる雨が、容赦なく窓ガラスを打ちつける。
 黒い雲を時折輝かせているのは、稲光だ。

「こっちに来るかな?」

 俺は、ぼんやりとした目で宙を見上げた。


「あー! やっぱりここだった」

 勢いよく開け放たれた扉から、見慣れた――いや、見飽きたと言うべきか――顔がひょっこり覗いた。

 日に焼けて少し茶色がかったショートヘアを気だるそうに右手でかき上げながら、「帰るよー」ぶっきらぼうに聖羅が言った。

「ほら、彼女のお迎えよ」
 扉の音と同時に止んだピアノの前で、水島先生が微笑んだ。
「いや、彼女じゃねぇし」
 つっけんどんに答えると、俺はため息混じりで立ち上がった。

「今日、部活は?」
「あんた、この雨が見えないの? テニスコートびしゃびしゃじゃん。廊下で筋トレちょっとして、解散だよ」
「ふぅん。外部はラッキーだな」
「あんたはいいね。お気楽で」

 いつものくだらないやり取りをしながら廊下に出ると、「じゃ、先生。また明日ね」手を振り、扉を閉めた。

「気を付けて帰るのよ」

 急いで振り返る。
 扉に阻まれる瞬間。ほんの一瞬だけ、視線が絡まる。

 よし。今夜もよく眠れそうだ。


「ほんと、好きだよねぇ」
 傘を広げながら、呆れた顔で聖羅が睨む。
「何が? 別にそんなんじゃねぇし」
 仏頂面で一歩踏み出すと、みるみるズボンの裾が濡れてきた。

「じゃあ、何でいつも音楽室にいるの?」
「部室、隣だからだよ。それに、いつもじゃねぇし。合唱部の練習が無い日に、たまに寄るだけだよ」
「ふぅん。ま、いいけど」
「なんだよそれ」

 制服のズボンは既に膝までびしょびしょだったが、俺は構わずスピードを上げた。
「ちょっと待ってよー」
 聖羅が派手な水飛沫を上げながら、俺の背中を追いかけて来た。

 聖羅と俺の家は隣同士。要は幼馴染だ。
 物心ついた頃から、聖羅は俺の後ばかりついて来ていた。

 高校くらいは離れたくて、わざと聖羅には無理めの高校ばかりを選んだのに、コイツは死ぬ程勉強して、俺と同じ高校を受験した。   
 そして、まさかの合格だ。
 しかも、部活まで俺の真似してテニス部に入部した。

「帰りが一緒だと心強いわ」

 どうやら、隣のおばさんの策略らしい。
 おまけに何の因果か、クラスまで一緒ときたもんだ。

 絶対何かの陰謀だ。


 一年の冬。部活中の怪我をきっかけに、俺はテニス部を辞めた。
 怪我は大したことなかったのだが、休部しているうちに何だか面倒くさくなったのだ。

 お陰でようやく、聖羅づくしの毎日から解放された。
 朝から晩までまとわりつかれちゃ、たまらない。

 そんな時、声を掛けてきたのが、軽音部の木ノ下。
 たまたま一緒にカラオケ行った時、「お前、うめぇな。うちのバンドのボーカルやらね?」ってスカウトされたのだ。
 どうやら、ボーカルが抜けて困っていたらしい。

 てな訳で、暇を持て余していた俺は、二つ返事でその役を引き受けた。
 聖羅には散々、「軽音なんて似合わない」と罵られたが。


 そんなこんなであっという間に季節は変わり、気がつくと俺たちは二年になっていた。

 きっかけは、木ノ下のまるで思い付きのような提案だった。

 ずっとアーティストのカバーがメインの俺たちだったが、それだけでは物足りなくなった木ノ下が、ある日突然「オリジナルやらね?」と言い出したのだ。
 それならまだしも、「お前、曲作ってくんね? 歌、うめぇし」と訳の分からない理屈で、俺に白羽の矢を立てたのだった。

 さすがに皆反対すると思ったが、俺の予想は大幅に外れ、「いいね!」の見事なハーモニー。

 結局、メンバー全員に押し切られ、全く納得のいかないまま、俺が曲を作るハメになったのだった。
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