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第6話 五月編1 五月病予防は無理だ!

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 2016年4月末 

 天瀬紬あまがせつむぎ大学に入学してから3週間余りが過ぎ、四月も下旬になった。それと同時に、紬にとっての青春もだいぶ衰えてきた。
 四月序盤の方は、その場の勢いで押し切ればクラスの人気者になることができるのだが、2~3週間接しているうちに他人の本性がなんとなくわかる。その頃にはもうコミュニティ内での対人関係の雛形は完成されていて、個人にとっては、広く浅い友人関係から狭く深い友人関係へと変化するのだ。
 それは大学生活とて例外ではない。しかし、夢想しがちな漠然としたキラキラ青春とは、とかく広く浅い友人関係を描きがちなのだ。紬は考えが浅い人間である。
 変わったのは人間関係だけではない。大学生活にも慣れ、講義に対する価値観も変化して来る。例えば、不破一矢ふわいっし君のように講義をサボる人が増えて来た。理由はわからないけど自分までサボりたくなって来る。サボるかは決めていないが、するにしてもせめて理由を聞いてからサボり始めよう。
「不破君」
「なんじゃ、たくあん」
「なんで講義ブッチするの?」
 大学生の間ではサボることをブッチすると表現することが多い。
「それはな…バイトしたいからな」
「本当にそれだけ?」
「それだけとは?」
「考えてみて。学費と履修上限単位から計算すると、1コマの授業料が1500円でしょ。たった1500円であんなに価値のある講義を受けることができるんだよ?」
「まあ、そうかもな。でも受ける価値があるかどうかは儂が決める。受ける意味がないから受けない、それだけやな。それが儂の信念じゃ」
 不破君の言うことは一理ある。
 信念なきブッチはただのサボりである。だが、講義を受けなくとも信念を持って自らの価値をあげようと思考している者を、誰が責めることができようか。…やっぱ教えている先生は責める権利あるわ。
「結局、思考停止でいたくない、と思っているんだね。かっこいいな、その生き方」
「かっこいい、か。普通に生きているだけや」
 すぐにかっこいい、と言ってしまう癖は良くないのかもしれないと思った。今度は、自分がかっこよくなる番である。
「それもそうだね」
「ああ。じゃあ儂はこっちや。またな」
「うん。またね」
 そう言って手を振って別れた。
 振り返ると、綾部悠宇あやべゆうさんがすっごい微妙な顔をして紬を見ていた。やめて、その表情。あなたの素材を無駄にしてしまうわ。まあ紬のせいなんだが。
「あの、あやちゃん?どうしたの」
「授業には行きなさい」
「まだなんも言ってない」
「い き な さ い」
「……はい」
 あちゃー、全部聞かれていた。しかし、不破君の言葉に心動かされず我を貫く綾部さんの姿勢は流石といったところである。
 ところで説明しよう。人間関係が完成されていくにつれて、呼び名も固定されて来る者である。紬の場合は不破君考案のあだ名であるが、綾部さんの場合はどこからともなくの呼び名が浸透していた。なんかこう、いいね。あだ名って。でもできればじゃない方がいいんだけど…。
「たくあんはさぁ…ダメ人間になっちゃだめだよ」
「善処しますぅー」
「よろしい」
 よろしくない!たくあんというあまり可愛くないあだ名を可愛く言える人類が存在するなんて思わなかったよ!
「ほら。椎木に行くよ」
 椎木しいのきとは、中旬から体験練習に行っている椎木合唱団しいのきがっしょうだんの略称であり、綾部さんも紬もすでに入団している。てか綾部さん、あなたはおかんかよ。
「そうだね、行こっか」
 椎木の先輩とは一通り知り合うことができ、そこでもと呼ばれるようになった。先輩方との仲も順調に深まっており、紬も大学での居場所を作ることができたと安心している。
 え、鈴田雪穂すずたゆきほさんに以前誘ってもらったオールラウンドサークルの方?行ってないよ。だって興味ないし、何よりキャパシティがない。多分に漏れず、紬も新生活でいっぱいいっぱいなのだよ。でもサークル名だけは覚えたよ。「インカレオールラウンドサークル MEERミーア」だって。なんだかビールみたいな名前だね。雪穂さんには絶対言えないけど。
 そのようにして四月の残りはあっという間に過ぎ去った。人間関係に特筆すべきことはない。強いて言えば、椎木の渋谷部室に入り浸るようになり、先輩方や同級生たちとゲームやおしゃべりに興じるようになった程度である。また、四月初めに開設したSNSもすっかり友達が多くなり(この大学ツイ廃多すぎだろ!)、リアルでの言動にも影響を与えることとなったくらいか。
 まあ、完全に後の祭りだが、この時点でも兆候はいくつかあった。まあ、当時は気付かないものだ。
 そして五月になり、紬は講義を初めてブッチした。五月病の幕開けである。五月病とは、四月に新生活を張り切りすぎた反動として、五月に講義などを急激にサボりたくなる一種の病気である(諸説あり)。待って、紬は悪くない。GWの合間に授業日がある方が悪い。その話を綾部さんにしたら「言い訳だよっ」、おっとり先輩にしたら「君も目覚めたねぇ」、雪穂さんにしたら「ダメ人間の第一歩だね!」、奏太にLINEしたら「単位落とすなよ」、不破君にLINEしたら「おう、今度飲みに行こうぜ」と言ってきた。濃いメンツだな、てか最後おかしいだろ。紬はまだ未成年だからお断りします。嘘、ジンジャーエールだけならいいよ。
 何かモヤモヤしたものを抱えつつ季節は飛行機雲のように過ぎ去ってゆく。気温は上がってゆく。そして、一大イベントである五月の文化祭も近づいてくるのだ。にしても何もラブコメイベント起こらなかったな…。
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