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第5話 入学編5 サークル決めの夜

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「そういえば雪穂さんはサークル掛け持ちしているんですよね。大変じゃないですか?」
 話は体験練習後のご飯会まで遡る。天瀬紬あまがせつむぎ鈴田雪穂すずたゆきほさんと同じ机になり、雑談に興じていた。
「まあ、暇ではないかな。そうそう、天瀬君は兼サーに興味ある?」
「しませんよ」
「ふーん。合唱団は入ってくれるのに」
「そう言われましても」
「まあ、今日はこのくらいにしてあげる」
「今度話くらいならお伺いするかもしれません」
「何それ、来る可能性限りなくゼロに近いじゃん」
 うむむ、どのように答えようか迷う。その時だった、思わぬ方向から助け船が出る。
「あ、天瀬君、雪穂さんと仲良くなってる。いいね」
「雪穂~新入生を困らせるなよ~」
 声の主を見ると、おっとり先輩と知らない女性の先輩がにこやかに話しかけてきた。助かった~。
「私たちここ座っていい?」
「もちろんです」
 ここは4人卓なので、紬と雪穂さんに加えて2人の先輩方が入ってくれたら丁度いい。知らない女性の先輩は溌剌はつらつとした印象を受けるので、とでも呼ぼうかしら。心の中限定で。
 自己紹介をテーブルで軽く済ませる。雪穂さんと溌剌先輩が近くの女子大の3年生でおっとり先輩が紬と同大の2年生とのことだった。学年、覚えたいのはやまやまだが…複数の学年の先輩がいる中で誰が何年生なのか、紬のような新入生にとって覚えるのは大変である。もちろん同級生も覚えなくてはならない。覚えるのはコミュニティに入った時の宿命だし、頑張ろう。
 おっとり先輩とは同じキャンパスに通っていることもあり、話が合うことも多かった。
「渋谷キャンパスに部室があるから、昼休みにでも来るといいよ」
 絶対行きます!おっとり先輩大好き!おっとり系男子最高!

 別れ際、雪穂さんから声を掛けられた。
「ちょいちょい天瀬君」
「なんですか雪穂さん」
「これ。兼サー先のチラシ」
「前にもらったのとなんか違うんですか?」
「うん。GWまでのイベントが載ってるよ。よければ来てね~」
「うーん、わかりました」
 なんでそこまで誘ってくれるのかお伺いしたいところではありますが。とりあえず素直に受け取っておこう。
「じゃあね、あっちでも待ってるね」
「さようなら。お気を付けて」
「おっそれはモテるぞ!天瀬君こそ、ね」
 おいおい、モテるぞってどの口が言うんだ。もうこれ雪穂さん絶対彼氏いるだろ。紬の第六感がそう告げている。
 雪穂さんとは手を振って別々の方向に歩き出す。親密度がちょっとだけ上がったような気がした。他の人とも親密度上げたーい…。
 
 雪穂さんとは別々の方向に歩き出した、と言っても電車は池袋方向と銀座方向の2方向にしか走っていなく、この時点では人数が半分になるだけなのだ。
 しかし、大学生になって半月が経ち、紬は気付いたことがある。最寄り駅まで一緒に帰る人がいないのだ。というか、一緒に多摩川を超えて神奈川県へ帰ってくれる人がいない。帰り道の半分以上が一人なのだ、なんとなく寂しい。糸織奏太いとおりかなたと同じサークルにはいればよかったと一瞬思ったが、彼とも方向が違うことにも気付いた。寂しいなあ…
 
 多摩川を越え、横浜の実家に帰って紬は気付いた。自分から一緒に行こうと誘っておいて、綾部悠宇あやべゆうさんと全っ然喋ってない!ど、どうしよう。フォローのラインを送ろう。

『こんばんは綾部さん。今日はお疲れ様』
 数十分後、返事が来た。このタイムラグ、多分綾部さんは紬のこと特に気にしていなさそうだな。
『こんばんは。天瀬君こそお疲れ様』
『体験練習、どうだった?』
『うん、聞いて聞いて!パートの先輩がとってもかっこよかったの!』
 めっちゃ楽しんでんじゃん。誘ってよかった、てか紬が誘わなくても、この子なら絶対一人でも椎木合唱団に辿り着いてエンジョイしているだろうな。そう思うと自分の存在とはなんなのかを考え始めてしまう。
『そっかそっか、楽しんでんじゃん。よかったね』
『うん、教えてくれてありがとう!』
 おい。この子めっちゃいい子じゃん。ラインしている相手の自己肯定感を無意識のうちに上げる天才なんだろう。というかこのような会話、青春じゃん。夢見た大学生活だよ。最高だよ。ビバ、共学!
 ここで、おっとり先輩が言っていたことを思い出す。
『ところでさ、先輩が言ってたんだけど渋谷キャンパスにも部室あるんだって。
水曜は3限ないし昼休み行ってみない?』
『何それ楽しそう!行く行く!』
『決まりだね。いい時間だし今日もお疲れ様、おやすみなさい』
『うん、おやすみなさい、いい夢を。真似してみた』
『ははは、僕が忘れちゃってたね。そちらこそ』
 何これ。青春かよ。軽く悶えた。

 その日は特に夢を見なかった。現実が充実していたんだな。良きかな良きかな。

 翌日の火曜日。サークルの翌日に1限があるのはきつい。しかし、青春の代償と考えれば安いものだ。安くてもキッツイなあ…。
「おう紬ぃ、おはよう」
 あら、その声は不破一矢ふわいっしさんではないですか。貴殿も1限に来るの?偉いですね。
「おはよう。1限来るなんて偉いね」
「あほか。来なきゃいけん講義くらい来るわ」
「そりゃそうだわ」
「な。」
「そういや、とっても呼びたいあだ名があるんじゃが」
「めっちゃ嬉しい。何?」
「たくあん」
「え、なんで?」
「紬 たくあん で検索してごらん」
 検索した。…アニメネタかよ。まあ、いいか。
「わかった。僕もたくあん大好きだしな」
 これは本心だ。それに、あだ名をつけてくれること自体がとても嬉しいのだ。
「決まりな」
「なあ、ありがとう」
「おう」
 今日も、いい一日となりそうです。

––––––––––入学編、おしまい。

次回、五月病編、始動-–––––––––––––––。え、五月病?
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