上 下
3 / 8

第2話 入学編2 履修計画は無理だ!

しおりを挟む
 サークル勧誘の日の夜、僕は夢を見た。何かのテストの答案用紙が帰ってくる。必修科目だろうか。帰ってきたテスト用紙にはこう書かれていた。
「中国語 48点 落第」
 は?一瞬理解できなかった。そして天瀬紬あまがせつむぎは目を覚ます。

ー2016年3月31日 8時

 なんだったのだろうか今の夢は。確かに紬が選択した第二外国語は中国語であるので、却って現実味があるのが怖い。また50点未満では単位を落とすということも事実だ。しかし自分の選択した科目に限って単位を落とすことなんて実際はありえないだろう。それにこんな具体的で現実にありうる数値が出てきた夢なんて見たことがない。よし、今の夢は見なかったことにしよう。
 紬はまた、昨晩決意した通り、有益な情報を得るためにSNSのアカウントを作ることにした。アカウント名は…適当でいいか。『春から●大生です!よろしくお願いします』、最初の投稿もこんなもんでいいだろう。よし、投稿。4月になったらフォロワー増やそう。
 ところで今日ものんびりしていられない、というのもサークルオリエンテーションなるものがある。昨日のサークル勧誘と何が違うんだよ…と思ったが、手引きによると昨日みたいに半強制的ではなく今日は新入生自身が興味を持ったサークルのブースを訪れるものらしい。時間もそんなにかからなさそうだ、それなら話は早い。合唱団をいくつか見て回ろう。
 親友の糸織奏太いとおりかなたはピアノ演奏が得意らしいのでピアノ同好会に入るらしいが、あいにく紬はピアノを弾くことができない。奏太とは入るサークルはばらばらになるだろう。まあ仕方ない、大学生になれば新しい友人ができるだろう。それが青春だ。さみしくなんてないんだからね…
 お昼過ぎ、電車に揺られて大学まで着くと、昨日に比べて人出は疎らだったものの十分賑わっていた。目的の合唱団を探す。
「お、昨日のきみだ。名前はえっと…」
 振り向くとA子さん、もとい鈴田雪穂すずたゆきほさんがいた。
「あ、こんにちは。昨日は名乗らずすみませんでした。僕は天瀬紬と言います」
「天瀬君だね。私は鈴田雪穂といいます。よろしくね」
「鈴田さん、よろしくお願いします」
「こちらこそ。天瀬君はいま合唱団を探しているところかな」
「はい」
椎木合唱団ウチにくる?」
「そうですね、まずお話を伺おうかなと」
 雪穂さんと関わる大学生活なんて想定していなかったが、ここは素直にお言葉に甘えておこう。すぐ終わるだろうし。

 …と、思ったのだが。現在の時刻は15時過ぎ。
「やーでも本当にそうなんだよ。横浜って意外と遊ぶところないよねー」
 雪穂さんとの会話はすぐに終わるどころか2時間以上続き、さらには先輩の人数が増えている。完全に世間話だ。先輩が皆穏やかで人が良さそうなのが、却って退出しにくい環境を作っている。どうしたものか…
 紬が考え事をしていると誰かに突かれ、目線をあげた。すると、雪穂さんと目があった。
「なんでしょうか」
「天瀬君、心ここに在らずって感じ」
「すいません、ついうっかり」
 雪穂さんはちらりと僕を一瞥する。ん?なんだこの視線。少し違和感を覚えたのもつかの間、雪穂さんは何事もなかったように言葉を投げかける。
「ちょっと長い間引き止めちゃったから疲れているよね、ごめんごめん」
「あ、むしろこちらこそ気を遣わせてしまいすみません。でも確かに、他の団体も見て回りたいです」
「そっか、そうだよね。今日は来てくれてありがとう。毎週月・水に練習やっているから是非来てね」
「こちらこそありがとうございました。お伺いしようと思います、その時はよろしくお願いします」

 そう言って一礼し、席を立ち上がった。にしても男女比半々のサークルなんて実在するんだ、すげー。青春に一歩近づいた気がした。正直他の合唱団も回っている余裕もないな、今日はここで帰ろう。
 そんなことを思いながら部屋の外に出ると、後ろから声をかけられた。
「あの、落としたよ」
 声に気付いて振り向くと、確かに椎木合唱団のパンフレットを落としていた。気づかんかったなあ…
 声の主をよく見ると、彼も新入生向けのファイルを持っている。
「ありがとうございます。もしかして新入生ですか?」
「おう。君も?」
「うん。何組?僕は理工のQ組」
「同じじゃな。儂は不破一矢ふわいっしや。よろしく」
 独特の包容力がある喋り方である。瀬戸内地方あたりの出身だろうか。それにしても、出会えて本当に良かった。クラス内で孤独になる最悪の事態を逃れることができたのだから。しかも包容力がありそうで、一緒にいると安心する。
「同じクラスの人か。知り合えて良かったよ。不破君、よろしくね。僕は天瀬紬」
「おう、つむぎって呼んでええか?」
「うん」
「ところでつむぎさァ、どの授業受けるか決めとるか?」
「いや、まだだよ。と言ってもほとんど必修で埋まるんでしょ?」
 ああ、履修相談。優雅な響き。最高だ。これこそ大学生の青春だよねっ!
「わかっとらんなぁー。どの授業を切るかの話じゃ」
「はい?」
 前言撤回。碌でもない話だ。何言ってんだこいつ。青春を返せ。
「切るって?サボるってこと?」
「当たり前じゃろ。全部受け取ったら体持たんわ」
「えええ…」
 紬にとっては今まで授業を受けることが当たり前だったので、切るという考え方が理解できなかった。カルチャーショックというものである。というか必修はサボっちゃまずいでしょ!でもこの人も同じクラスの人だし、いいのかなぁ…
「うーん、まだ決めてないよ。1ヶ月授業受けて見てまた考えればいいんじゃない?」
「それがそうもいかん。金欠でな、バイトしなきゃいけんのじゃ…4月たくさんシフト入らなきゃいけん。あ、儂こっちじゃ。またな」
 た、大変だなあ…
 不破君は実家勢ではないようで、大学のすぐそばで別れて帰途についた。
 にしても、ここでまた一つ、碌でもない出会いをしてしまった。どうなるの、僕の大学生活…履修計画はまたあとで立てよう。不破君以外の人に相談しよう、そうしよう。そうしないと今朝の夢が正夢になってしまう。
 
しおりを挟む

処理中です...