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希紫瑠音

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愛をください

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 陵が見ている。昨日のことがあっただけに体調が気になるのだろう。

 そんなふうに心配してもらうのも、名前を呼ばれたのと同じくらい久しぶりだ。

「おはようございます」

 いつもの通り、挨拶をするとおはようとかえってくる。食堂でのやりとりはそれくらいしかない。

 だが、今日はそれすら特別に感じてしまう。

 嬉しくて口元が緩みそうになるのを必死でこらえていると、昨日の夕方は席にいなかった春日部と目が合う。

「春日部先輩、おはようございます」
「あぁ、おはよう」

 好きな人が陵だということを春日部は知っている。だからか、口角をあげて目を細めた。

「伊藤、今日は用事があって生徒会にはでれない」
「はい、わかりました」

 今日は生徒会がある日だ。まぁ、いまはやることはあまりないので、一人抜けても大丈夫だ。

 どこか嬉しそうなのは、もしかしたら好きな人と会う約束でもしているのだろうか。

 笑顔で帰ってくるのを楽しみに待つことにして、今は朝食を片付けることに専念しなければ。大丈夫だというところを陵にみせておきたい。

「頂きます」

手を合わせてご飯を食べはじめると、安心したのか陵は席を立ち食堂を後にした。


※※※


 授業を終え、生徒会室へと行き雑務を少し。たいしてやることはないのですぐに解散となった。

 いつものように誰かに声を掛けられ、話しながら校門を出て別れる。

 寮は学園のすぐ近くにあり、部屋に戻ると大洋は部活なのでまだ帰っていなく、部屋に一人きりとなる。

 ベッドに寝転んでスマートフォンで撮った画像を眺めていた。

 それは一年生の時に陵と一緒に撮ったものだ。

 それを見ていたら電話が鳴り、相手は春日部からだった。

「どうしました?」
『神楽、部屋に来てくれ』

 淡々としたその声に、妙な胸騒ぎを感じる。

 神楽は急いで春日部の部屋へと向かった。




 ドアをノックして名前を告げると、返事はなくドアが開き、そこに立っている春日部は、顔から表情が抜け落ちているかのようだった。

「せん……」

 腕を掴まれ乱暴に引っ張られて床に倒れる。

 こんなことをされるのは一度もない。驚愕しながら春日部を見上げれば、ドアのカギを閉めて神楽の上に馬乗りとなった。

「先輩、春日部先輩!!」

 表情がないことが何よりも怖い。

 いつもは自分から願うことも、今は逃げたくて必死で彼の名を呼ぶ。

 しかし声は届かぬようで、頬を掴み唇を奪うと、シャツのボタンを全て外して鎖骨に噛みついた。

「いっ」

 一瞬、あまりの痛さに目が眩んだ。

 だが、春日部は神楽を無視して行為を続けていく。

 両腕に爪をたてながら噛んだ箇所を舌が舐め、キスの雨を降らし続ける。痛みと快感がつきぬけていく。

「ひぁ」

 爪がくいこみ、そのまま抉られて血が流れ落ちる。

「先輩、春日部先輩!!」

 その声が要約届いたか、びくりと身体を揺らし、血で濡れた手を眺め、そして慌てて飛びのいた。

「すまん、すぐに手当てを」

 と救急箱を取り出すが、そのまま動きが止まった。かわりに神楽が受け取り、傷口を消毒して絆創膏を貼った。

「本当に、すまない」
「どうしたんですか」

 春日部の表情が暗く陰る。強く握りしめた拳の上に手を重ね、優しく数回たたく。

「今日、兄さんから話があるからと呼び出されてな、待ち合わせをしたんだが、結婚の報告だった」

 恋の相手は血のつながらぬ兄だということは春日部から聞いていた。

 幼いころに家族になり、兄として好きだったが、それが恋へとかわり苦しんでいた。寮のあるこの学園に入ったのは傍から離れるだめだったそうだ。

「それもさ、相手に子供ができたって、父親になるんだって嬉しそうに笑っていた」

 前髪をかきむしり、肩を震わせる。

「もう、恋に苦しまなくていいんだ、俺は。だから神楽、君ともおしまいにしようと思う」
 
 春日部の目から涙がこぼれ落ち、神楽は抱きしめようとするが、大丈夫だと肩に手が触れる。

「こんなことを続けていてはダメだって、君も思っていただろう?」

 そう問われて、神楽は素直に頷く。

「はい、思っていました」
「これ以上、この関係を続けたら俺は君に依存して、君は俺に同情してやめられなくなる」

 神楽は優しいからね、と、側から離れて机の椅子へと腰を下ろした。

「だからこの部屋を出ていってくれ。これからはただの先輩と後輩だ」
「……解りました」

 神楽が優しいのではない。それは春日部の方だ。

 涙が出そうなのを必死でこらえ、踵を返す。

 部屋を出ようとドアノブを掴んだとき、

「今まで有難う。神楽」
「先輩、僕の方こそ、今までありがとうございました」

 そう口にすると、神楽は振り返らず部屋から出て行った。




 神楽の荒んだ心を鎮めてくれたのは春日部だ。今までの思いを込めてドアの前でお辞儀をする。

 どれだけ助けられただろう。春日部には感謝してもし足りない。

 ドアを撫で、部屋に戻ろうと振り返ろうとした、そのとき。

「伊藤」

 と名を呼ばれ、その声に驚いて肩を揺らす。ドアの前で泣いている神楽に声を掛けてきたのは陵だった。

「泣いているのか」
「あ、これは……」

 袖で涙をふき取る。

「何かあったのか?」
「別に何も。生徒会の話をしていただけですけど」

 そんなセリフでは納得できないだろう。だが、春日部との関係を話すことはできないから、それ以上は何も言わずに失礼しますと頭を下げた。

 横をすり抜けようとしたときだ。

「待て」

 と腕を掴まれる。

 そこは傷を負ったところで、痛みに声がでそうになった。

「怪我をしているのか」

 神楽が見えるように掴んだ腕を曲げる。シャツに血がついていた。

「あっ」

 シャツの前を開いていただけだから血が垂れてついていしまったのだろう。

「そ、そうなんですよ、怪我をしちゃって。たいしたことないのに、痛くて泣いてしまったものだから、恥ずかしくて言えませんでした」

 と咄嗟に嘘をつく。

「本当に?」
「本当ですよ。ですから手を離してください」

 今度こそ、ここから立ち去ろう。そうでないとぼろがでてしまいそうだ。

 まっすぐに陵を目を見て本当だと思わせる。

「それなら、首にある痕はなんだ?」

 と言われて、そこへ手を当てる。

 爪をたてられ、痛みと共に身体に口づけた。それは鎖骨と胸と……。

「あっ」

 目を見開き、身体を小刻みに震わせる。

 そこにつけられた情事のあと。

「あぁっ」

 春日部との淫らな行為を知られてしまった。

 足に力が入らない。崩れ落ちそうになる身体を陵の腕が抱きしめる。

「部屋に来い」

 そのまま陵の部屋へと連れて行かれた。

「なぁ、首の痕は、春日部がつけたものなのか?」
「春日部先輩は僕に同情してくれただけです」

 何か言いたそうに口を開きかけたが、何も言わず、タオルを当てていてくれた手がおりる。

 このままでは全て暴かれてしまう。神楽は陵の手から逃れるべく手を振りほどくと、陵から視線を外した。

「……レイプ、か」

 冷静な声でそう問われ、違うと首を横へ振るう。

 あれは合意の上ではなかった。けれど春日部は謝ってくれた。

「そうか。怪我、手当をするから見せろ」

 とシャツのボタンへと手を伸ばす。

「大丈夫です。治療は済んでますから」

 神楽は陵の手を拒否するように、シャツのボタンを掴ん顔を伏せた。

 こんな醜い身体を陵には見せたくない。今はその優しさは残酷なだけだ。

「キスをしたとき、俺を拒んだ癖に。中途半端に干渉してこないでください」

 震える声でそう告げる。

「そうだな。わるかった」

 その声音に、陵の顔を見上げれば、怖い顔をしていた。

「綾瀬先輩」

 ただ、先輩として神楽を心配してくれただけ。それなのにこの態度はない。

 だが、陵にはこの身体は見せたくはないから、何も言わずにいた。

「出て行ってくれ」

 あの時と同じように、神楽を拒否するように突き放す。

「せんぱ……」
「もう二度と、伊藤の心配はしない」

 その言葉に、息が止まったかのように苦しくなり、ぎゅっと胸元を掴んだ。

「わかりました。失礼します」
 
 どうにかそう言葉にし、ふらふらとした足取りで部屋からでると、ドアの前で崩れ落ちた。

 終わった。これでもう完全に。

 この頃、少しだけだが、陵との間にできた溝が埋まってきたと思っていたのに。

 春日部を巻き込んであんなことをしていた罰だ。

「ふっ」

 涙があふれ出る。このまま溺れて死んでしまいたい。

「りょう、せんぱい……」

 止まることなく流れ落ちる涙をそのままに、体育座りをして顔を伏せる。

 陵のことをあきらめることができずに、ずるずると思いを引きずっていたのがわるいんだ。

 春日部との関係も終わったのだ。陵のこともこれを切っ掛けに、すっぱりと諦めろと、そういうことなんだろう。

 いつまでも泣いていてはだめだ。涙をぬぐい立ち上がるが、未練がましい想いが前へと進むことを鈍らせる。

 一歩、足を踏み出す。すると再び目に涙がにじんだ。

 今は偶然にも誰も廊下にいないが、このままだと誰かに見つかり迷惑をかけてしまう。

「部屋に帰ろう」

 そう自分自身に言い聞かせ、足を踏み出せば、ドアがゆっくりと開く音が聞こえて、おもわず振り向いてしまった。

「伊藤!?」

 驚いた顔をしている。まだここにいたのかと思われただろう。

 だが、今度こそ最後だと、陵に声を掛けた。

「ドアの前を塞いでしまってすみません。今、戻りますから」

 頭を下げて立ち去ろうとすれば、陵の手が神楽の手を掴み、自分の方へと引き寄せて腕の中へと抱かれた。

「え、あ」

 目を瞬かせる。どうしてこんな状況になっているのだろう。

「綾瀬、先輩?」
「泣いていたのか」

 と親指が涙の痕をなぞる。

「あの……」
「矛盾しているよな」

 心配はしないと言ったばかりなのになと、陵自身が戸惑っているようすだ。
 
 だけど二人は離れようとはしなかった。
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