正義の剣は闘いを欲する

花邑 肴

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第三章 生きることの罪

翡翠の楔を胸に抱いて

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「そういえば、ルイーズさん。アダム君の具合、あれからどんな感じですか」

 何気ないアダムの質問に。
 エフェルローンも被せるようにこう言った。

「それは、俺も聞きたかったところだ。どうなってる?」
「それが……まだ、昏睡状態が続いているみたいで」

 そう言ってルイーズは、やるせない表情で目を伏せる。
 そんなルイーズに、エフェルローンは渋い顔で口元を片手で扱いた。

「そう、か……」

(日記は何とか死守出来てはいるが、アダムに関しては完全にバックランド候にしてやられたな……)

「早く目が覚めると良いですね、アダム君……」

 アダムがそう言って、瓶に入りきらなかったナッツを口に頬り込む。

「そうですね」

 ルイーズは、口元に笑みを浮かべるものの、難しい顔でそう言う。
 そんなルイーズの顔を何気なく見ていたエフェルローンは、ある異変に気付き首を捻った。

(ルイーズの奴、確か顔に傷を負っていたはずだったのに傷が、無い……?)

「ルイーズ」

 エフェルローンは少し気になって、そうルイーズに声を掛ける。

「はい? 何ですか、先輩」

 きょとんとした顔でそう答えるルイーズに。
 エフェルローンは、神妙な顔をしてこう尋ねた。

「怪我は、顔の傷は……大丈夫なのか?」
「えっ、あ……はい、大丈夫です。傷跡も全部[整形魔法]で直して貰いました。カーレンリース卿が、『嫁入り前の娘にひとつでも傷があるのは許せない』って言って……」

 そう言って、ルイーズは困ったような顔をして俯いた。
 何やら、カーレンリース伯爵に言いたいことがあるようである。
 だが、エフェルローンはそんな何かを話したくてうずうずしているルイーズを故意に無視すると、簡単にこう相槌を打つ。

「良かったなー、ルイーズ。嫁に行ける確率が微妙に残って」
「あー! もう、先輩! その言い方、酷すぎます!」

 そう言って、顔を赤くし、頭から湯気を立てるルイーズを堂々とこき下ろすと。
 エフェルローンは、「やってられるか」とでも言うように、心の中でこう毒吐いた。

(やっぱり金のある奴はするよな、[整形施術]。俺だって、金さえあれば……)

 そう心の中で恨み節をかますと。
 エフェルローンは無意識に喉元の傷に手を伸ばす。
 数日後に溶けてなくなる糸が、ボコボコと皮膚の上に出ていて、自分で言うのも難だが見ていて非常に不気味である。

(数日後に、糸は消えてなくなるとはいえ、この傷はちょっと人前に出るにはエグいよなぁ。やっぱ、首元を隠せるようなシャボ(ひだの付いた胸元の飾り)を少し買わないと駄目か……ちっ、[整形施術]程ではないにしろ余計な出費だよな……ったく)

 などと、頭の中でみみっちい計算をしながら頭を搔いていると。
 ダニーが乾いた笑いと共に、庶民と貴族の違いを自虐を交えてこう言った。

「は、はは。さすがはカーレンリース伯爵。お金持ちはやることが違いますね。僕の父や兄さんたちは、もう体中、打身や打撲や切り傷でいっぱいですよ。騎士の給料なんてたかが知れてますから、[整形施術]なんて論外ですし。ちなみに僕は、ほぼ傷なんて出来ないので[整形施術]なんて無縁の代物何ですけどね。はは……」
「私は、『必要ない』って言ったんですけどね」

 そう、不服そうに唇を突き出すルイーズに。
 サニーは、「まあまあ」と宥めるようにこう言った。

「ほら、カーレンリース伯爵は、ルイーズさんに対してかなり入れ込んでるみたいですし、しょうがないですよ。それにルイーズさん、女の子ですし」
「でも、過干渉は困りものです……」

 そう言って、肩を竦め眉を顰めるルイーズ。
 そんな風に、談笑し合うダニーとルイーズをぼんやり眺めながら。
 エフェルローンは、心の中でため息交じりにこう呟く。

(俺は、全部の傷は駄目でも、せめてこの喉元の傷だけは消したいところだよな。やっぱり、リアル・ホラーだし……)

 子供がいかにも怖がりそうな傷跡に、エフェルローンは顔を顰めた。
 
(せめて、もう少し傷が小さければ良かったんだけど……)

 そう言って、再び喉元に手をやるエフェルローン。
 そこには、約十セイル(十センチ)程の傷口を縫い合わせた跡が生々しく残っている。
 そんなエフェルローンの何気ない仕草に目を止めたルイーズは、エフェルローンを心配しながらこう言った。

「先輩、やっぱりまだ傷が痛むんじゃ……」

 そう言って、眉を顰めるルイーズに。
 エフェルローンは首を横に振るとこう言った。

「いや、大丈夫だ。痛みは無いんだが、無意識に傷が気になってな。気付けば手がそこにいってしまってる」

 情けないとでもいうかのように苦笑し、首を竦めるエフェルローン。

「そう、なんですか。なんか傷が深そうですね、色々と……」

 そう言うと、ルイーズは自分のことのようにしょんぼりと俯く。
 そんなルイーズを困ったように見つめると。
 エフェルローンはささやかな希望と若干の皮肉を込めてこう言った。

「まぁ、時間が経てば良くなるって言うしな。俺もそう願うよ、ほんと」

 そう自分で言ってはみたものの。
 やはり、「無理だろうな」とぼんやり思う。

(……時が解決してくれるなら、俺は今も、こうして過去のことで苦しんだりはしてないだろうし。さて、そうなると。このトラウマ、どうやって克服していくかなぁ……)

 そんなことを考えながら、片手を無意識に胸元のブローチに添えると。
 エフェルローンは翡翠のそれを、徐にもてあそび、宙をじっと睨んだ。

 と、そんなエフェルローンの行動をじっと見つていたルイーズは、複雑な表情をしてそっとエフェルローンの手元を盗み見る。
 その恨みがましく絡むような視線に気づいたエフェルローンは、面倒くさそうにこう言った。
 
「……なんだ、何か言いたいことでもあるのか」

 その単刀直入な質問に。
 ルイーズも単刀直入に答えて言った。

「その、ブローチ」

 そう言ってルイーズの視線が指し示す先、そこには――。

「あ?」

 翡翠のブローチを弄ぶ、エフェルローンの小さな手。
 それを、恨めしそうに見つめると。
 ルイーズは、視線を斜め下に逸らし、少ししょげた様にこう言った。

「先輩にとって、何か大切な意味のあるものなんですか? さっきらからずっと、傷にふれるぐらいさわってますけど……そのブローチ」
「え……」

(俺が、ブローチを何度も……?)

 恐る恐る手元を見たエフェルローンは、その隠しようもない事実に一瞬、心臓が止まる。

 バックランド候の一人娘にして、キースリー伯爵の妻であるバックランドの[青い宝石ブルーサファイア]、クローディア。
 もう決して手の届かない、エフェルローンが唯一本気で愛した、最初で最後の女性ひと
 今でもくすぶり続けるクローディアへの想いは、今生では決して抱いてはならない、背徳の感情。
 だがそれは、決して抗うことの出来ない甘美な誘惑となって、エフェルローンを破滅に至らしめようと日々、欲望の渦へと誘う。

――あの時、クローディアの耳元で輝いていたのは、翡翠の石ではなかったか。

 そう、耳元で甘く囁く声がする。
 エフェルローンを破滅へと唆そうとする声がする。

(呪いで全てを失った俺を、彼女は受け入れてくれるだろうか――)

 期待と不安が混じった感情がぐるぐると渦巻き、エフェルローンを甘く苦しめる。

(いつか、共にどこか遠くへ、誰も知らない名もない土地へ――)

 そう口を突いてしまいそうになる自分をリアルにその身に感じ。
 エフェルローンは、得体のしれない恐怖に駆られる。

(俺は一体、彼女に何を期待してる――?)

 その突きつけられた、余りに残酷で目を背けたくなるようなおぞましい現実に。
 エフェルローンは、少しの間、息をする事さえ忘れてしまうのであった。
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