正義の剣は闘いを欲する

花邑 肴

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第三章 生きることの罪

溢れる愛と気遣いと

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――カチャ。

 扉のラッチボルトが引っ込む音がして、エフェルローンの思考は勢いよく現実に引き戻された。
 すると、今までの静けさが嘘のように、急に部屋の中がにぎやかしくなる。
 この部屋のもう一人の住人であるルイーズと、半住人と化しているダニーが昼から戻ってきたようであった。
 彼らは体が半分隠れてしまいそうな大きな紙袋を腕に抱えたまま、エフェルローンの姿をその視界に認めると、驚いたように目を見開いた。

「あ、先輩?」
「どうしてここに?」

ルイーズとダニーは、そう言ってエフェルローンの前まで小走りで駆けて来ると、酷く心配そうな顔で口々にこう言った。
 
「あれ……? 先輩、傷は……もういいんですか?」

 ダニーが神妙な顔でそう言うと、ルイーズが訝しむようにこう言った。

「まさか先輩、病院から抜け出したりなんてしてませんよね……」

 日頃のエフェルローンの言動から、そう用心深く尋ねるルイーズに。
 エフェルローンは、ため息交じりにこう言った。

「退院したんだよ、今日の昼頃。傷は塞がってるから、後は食事とかでどうにかしろって」

 そう言って、机の上に両足を投げ出すエフェルローンを困ったように見ながら。
 ダニーは、思い出したようにこう言った。

「あっ、そうそう。それで、きっとそんな事になるんじゃないかって思って、ほら。僕ら、先輩の為に色々と買って来たんですよ!」

 そう言って、ダニーはエフェルローンの執務机の上に、ドンと紙袋を置いた。
 ルイーズも、紙袋を何度か抱え直しながらこう言う。

「血液を増やすために必要な食べ物、市場で調達してきました! はい、先輩」

 そう言うと、ルイーズは椅子の上でふんぞり返るエフェルローンに紙袋を押し付けた。
 ずっしりと重く大きな紙袋にすっぽりと体が隠れてしまったエフェルローンは、その脇からルイーズを眇め見ると、訝し気にこう言った。

「何なんだ、これは……」

(生臭い匂いはしないから、生ものとかではなさそうだけど……やけにずっしりと重いし、なんか固いし……)

 二人の奇行に無意識に身構えるエフェルローンを前に。
 ルイーズは改まったように両手を前で重ねると、照れた様に目を伏せこう言った。

「アサリの缶詰とか、豆乳とか、松の実とか、その……血液を作る食べ物、色々です。あ、生物はちょっと匂いとか鮮度とかがあれなので控えました」

 慌ててそう付け加えるルイーズの言葉に、ダニーが更に言葉を加えてこう言った。

「ルイーズさんが調べてくれたんですよ、先輩。血液を増やす食べ物のこと」

 そう言って、ダニーはルイーズに笑いかける。
 ルイーズもにかっと笑い返すと、袋の中に入っていたココアの缶とチョコレートの箱を取り出すと、それを片手ずつに持ちながらエフェルローンにこう言った。

「このココアとチョコレート、適当に飲んだり食べて下さいね、先輩」
「何でも、ココアとかチョコレートとかは、血液を増やすんだそうですよ。あ、ナッツと一緒に食べるといいかもですね!」

 ダニーは名案とばかりにそう言うと、早速袋の中からナッツの袋を取り出し、買ってきたらしい蓋付きの瓶の中にそれらを移し始める。
 そんなダニーを半ば、唖然と眺めるエフェルローンを尻目に。
 ルイーズは、見慣れたエフェルローンのステンレス製のカップを差し出してこう言った。

「はい、先輩。ココアです」
「……言われなくても匂いで分かる。それより、俺は珈琲派なんだけど……」

 そんなエフェルローンに、ルイーズは人差し指を突き出すと、それを左右に
動かし、それから肩を竦めて見せるとこう言った。
 
「先輩は、珈琲、紅茶それに緑茶はしばらく禁止です! 今の先輩の体にはよくないみたいですから。その代わり、飲み物はココアでお願いしますね。ココアは私が作ります!」
「…………」

 その、恐ろしい申し出に。
 エフエルローンは思わず身を固くした。

「どうしました、先輩?」

 不思議そうにきょとんとするルイーズに。
 エフェルローンは素直な気持ちを言葉に乗せてこう言った。

「いや……ココア以外の何かが出来てきそうでなんか、怖い」
「むっ、失礼ですよ先輩! ココアだけはカーレンリース伯爵のお墨付きです」

 そういきり立つルイーズを冷めためで眺め遣ると、エフェルローンは口元に皮肉な笑みを浮かべてこう呟く。

「ココアだけ、ね……」

(つまり、料理全般駄目ってことか。まぁ、サンドウィッチもあれだしな……)

 そう心の中で苦笑すると。
 エフェルローンは恐る恐るココアに口を付けた。

 ココアの豊潤な香りとミルクの柔らかい味わいが口の中に広がる。

(……確かに、カーレンリース伯爵のお墨付きだけはある、か)

 その様子を固唾をのんで見守るルイーズを完全に無視し。
 エフェルローンは、ふと思い出したように尋ねて言った。

「ダニー、この部屋のことなんだが……」
「あ。そうそう! この部屋……どうですか! 凄い元通りでしょ?」

 そう言って、部屋を満足げに見回すダニー。
 そんなダニーの言葉を補足するように、ルイーズは苦笑しながらこう言った。

「監察の調査の後、あまりにも被害が大きかったので、憲兵庁の負担でお掃除屋さんが入ったんですけど。実は、私たちも無理言って一緒にお掃除したんです」
「そうなんです! あ、それと日記の内容をまとめた資料も、一応出来るだけ復元しておきました。ルイーズさんと一緒に」

 ダニーはそう言うと、エフェルローンの机の向かって左側に載っている紙の束を指さした。
 ルイーズも、恥ずかしそうに肩を竦めながら、こくんと一回頷いて見せる。

(部屋の掃除に、資料の整理……ほんと、なんて言ったら良いか……)

 今までなら、全部自分一人で行わなくてはいけなかったはずだ。

 怪我の治療のことも、資料の再整理も……破壊され、自らの血で汚れたトラウマを引き起こす部屋の掃除も――。

 エフェルローンは言葉に詰まり、思わず口元を片手で覆った。

(ったく、余計ことしてくれやがって……)
 
「…………」
「先輩? 大丈夫ですか?」

 ダニーが心配そうにエフェルローンの顔を覗き込む。
 エフェルローンは、目じりに滲んだ涙を隠すように片手で目を覆うと、やっとのことで言葉を絞り出してこう言った。

「……いや、俺がいない間……色々と手間をかけたな」

 そんな、いつになく素直なエフェルローンの謝辞に。
 ダニーは「とんでもない」と云わんばかりに両手を前で振るとこう言った。

「そんな……気にしないで下さい、先輩。先輩が無事だっただけで、僕らはもう先輩に感謝しかないんです! 先輩、生きてて良かった……ほんとに」
「先輩、お帰りなさい……」

 そう言って、唇を横に引き結ぶ感極まったダニーや目を赤くし涙を溜めるルイーズを前に。
 エフェルローンは、弱々しい舌打ちと共に、溢れる涙と赤くなった顔を片腕で必死に覆うのであった。
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