87 / 127
第三章 生きることの罪
悪意の胎動
しおりを挟むカルロが咳払いをすると、潮が引いたように女中たちがいなくなった。いまだナイフとフォークを突き立てたまま現実を受け入れられない俺に、カルロはカラッとした声色で言う。
「大失敗でしたね」
「でも料理は喜んでもらえた」
「そう……でしょうか……?」
ほとんど手をつけられていない料理を一切れ口に放り込む。
「祝杯でもこんな料理を食べたことないと言っていたではないか。カルロ、節約に付き合わせて悪かったな」
俺は立ち上がり、甲冑の前に歩きだす。
「カルロ、馬車はもう用意されているのか?」
「はい。昼過ぎからずっと待たせてあります」
「もう少しだけ待たせることはできないだろうか」
目の前の甲冑は美しいが、やはり幼少の頃に思い描いていたそれより劣っているように感じる。それなのにこれを纏ったアンドリューを想像すると、つい手が伸びてしまうから不思議だ。
「リノール様」
「そうか、素手で触っては……」
「違います。往生際が悪うございます」
カルロの言葉にガツンと殴られたような気分になる。それが伝わったのかカルロはまごまごとしはじめた。
「リノール様の気持ちもよくわかりますが、こうなってしまっては修復できない絆もございます。こんなことを繰り返しては、あとでアンドリュー様も……」
カルロはこの屋敷で唯一、俺の立たされている苦境を知る人物だ。そしてこんなにもつれてしまった兄弟の関係に、双方の悪意がないことを知る者もまた、彼ひとり。
「じゃあ……」
俺は甲冑をゆっくりと抱きしめる。
これが生身のアンドリューだったらどんなによかっただろうか。
父が急逝してから5年。あの日見た抱擁を願ってきたが、遂に叶えることはできなかった。
「リノール様……」
「いいではないか……どうせ叙任の儀式なんて無いんだ……」
正確に言えば、この甲冑だって無用の長物だ。
叙任の儀式そのものがアンドリューをこの家に呼び戻す口実であり、この甲冑は──。
「馬上槍試合、見てみたかったな……」
つまりは自己満足だった。アンドリューから母親を奪った罪や、2年も従騎士として放り出した罪を、こんなもので償えるとは思っていない。
本当の贖いは今、外に待たせている馬車にこそある。
「わかりました。運転手に仮眠をとるよう、屋敷に招き入れます。しかし朝には必ず到着していなくてはなりませんよ」
「カルロ……」
「アンドリュー様とお別れができたら、そのまま馬車に乗り込んでください。私とも、ここでお別れです」
「カルロ……本当に今まで苦労をかけた……アンドリューを……アンドリューを……」
「リノール様も、自身の幸福をお求めください。カルロは毎日お祈りいたします」
カルロと抱擁を交わしたら、アンドリューの部屋へ走りだす。
出迎えでも、食事でも、奇跡は起きなかった。
しかし人はなぜ、その確率を無視してまで奇跡を信じるのだろうか。
「大失敗でしたね」
「でも料理は喜んでもらえた」
「そう……でしょうか……?」
ほとんど手をつけられていない料理を一切れ口に放り込む。
「祝杯でもこんな料理を食べたことないと言っていたではないか。カルロ、節約に付き合わせて悪かったな」
俺は立ち上がり、甲冑の前に歩きだす。
「カルロ、馬車はもう用意されているのか?」
「はい。昼過ぎからずっと待たせてあります」
「もう少しだけ待たせることはできないだろうか」
目の前の甲冑は美しいが、やはり幼少の頃に思い描いていたそれより劣っているように感じる。それなのにこれを纏ったアンドリューを想像すると、つい手が伸びてしまうから不思議だ。
「リノール様」
「そうか、素手で触っては……」
「違います。往生際が悪うございます」
カルロの言葉にガツンと殴られたような気分になる。それが伝わったのかカルロはまごまごとしはじめた。
「リノール様の気持ちもよくわかりますが、こうなってしまっては修復できない絆もございます。こんなことを繰り返しては、あとでアンドリュー様も……」
カルロはこの屋敷で唯一、俺の立たされている苦境を知る人物だ。そしてこんなにもつれてしまった兄弟の関係に、双方の悪意がないことを知る者もまた、彼ひとり。
「じゃあ……」
俺は甲冑をゆっくりと抱きしめる。
これが生身のアンドリューだったらどんなによかっただろうか。
父が急逝してから5年。あの日見た抱擁を願ってきたが、遂に叶えることはできなかった。
「リノール様……」
「いいではないか……どうせ叙任の儀式なんて無いんだ……」
正確に言えば、この甲冑だって無用の長物だ。
叙任の儀式そのものがアンドリューをこの家に呼び戻す口実であり、この甲冑は──。
「馬上槍試合、見てみたかったな……」
つまりは自己満足だった。アンドリューから母親を奪った罪や、2年も従騎士として放り出した罪を、こんなもので償えるとは思っていない。
本当の贖いは今、外に待たせている馬車にこそある。
「わかりました。運転手に仮眠をとるよう、屋敷に招き入れます。しかし朝には必ず到着していなくてはなりませんよ」
「カルロ……」
「アンドリュー様とお別れができたら、そのまま馬車に乗り込んでください。私とも、ここでお別れです」
「カルロ……本当に今まで苦労をかけた……アンドリューを……アンドリューを……」
「リノール様も、自身の幸福をお求めください。カルロは毎日お祈りいたします」
カルロと抱擁を交わしたら、アンドリューの部屋へ走りだす。
出迎えでも、食事でも、奇跡は起きなかった。
しかし人はなぜ、その確率を無視してまで奇跡を信じるのだろうか。
0
お気に入りに追加
13
あなたにおすすめの小説
神託の聖女様~偽義妹を置き去りにすることにしました
青の雀
恋愛
半年前に両親を亡くした公爵令嬢のバレンシアは、相続権を王位から認められ、晴れて公爵位を叙勲されることになった。
それから半年後、突如現れた義妹と称する女に王太子殿下との婚約まで奪われることになったため、怒りに任せて家出をするはずが、公爵家の使用人もろとも家を出ることに……。
子持ちの私は、夫に駆け落ちされました
月山 歩
恋愛
産まれたばかりの赤子を抱いた私は、砦に働きに行ったきり、帰って来ない夫を心配して、鍛錬場を訪れた。すると、夫の上司は夫が仕事中に駆け落ちしていなくなったことを教えてくれた。食べる物がなく、フラフラだった私は、その場で意識を失った。赤子を抱いた私を気の毒に思った公爵家でお世話になることに。
病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない
月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。
人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。
2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事)
。
誰も俺に気付いてはくれない。そう。
2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。
もう、全部どうでもよく感じた。

女神の代わりに異世界漫遊 ~ほのぼの・まったり。時々、ざまぁ?~
大福にゃここ
ファンタジー
目の前に、女神を名乗る女性が立っていた。
麗しい彼女の願いは「自分の代わりに世界を見て欲しい」それだけ。
使命も何もなく、ただ、その世界で楽しく生きていくだけでいいらしい。
厳しい異世界で生き抜く為のスキルも色々と貰い、食いしん坊だけど優しくて可愛い従魔も一緒!
忙しくて自由のない女神の代わりに、異世界を楽しんでこよう♪
13話目くらいから話が動きますので、気長にお付き合いください!
最初はとっつきにくいかもしれませんが、どうか続きを読んでみてくださいね^^
※お気に入り登録や感想がとても励みになっています。 ありがとうございます!
(なかなかお返事書けなくてごめんなさい)
※小説家になろう様にも投稿しています

侯爵家の愛されない娘でしたが、前世の記憶を思い出したらお父様がバリ好みのイケメン過ぎて毎日が楽しくなりました
下菊みこと
ファンタジー
前世の記憶を思い出したらなにもかも上手くいったお話。
ご都合主義のSS。
お父様、キャラチェンジが激しくないですか。
小説家になろう様でも投稿しています。
突然ですが長編化します!ごめんなさい!ぜひ見てください!

S級冒険者の子どもが進む道
干支猫
ファンタジー
【12/26完結】
とある小さな村、元冒険者の両親の下に生まれた子、ヨハン。
父親譲りの剣の才能に母親譲りの魔法の才能は両親の想定の遥か上をいく。
そうして王都の冒険者学校に入学を決め、出会った仲間と様々な学生生活を送っていった。
その中で魔族の存在にエルフの歴史を知る。そして魔王の復活を聞いた。
魔王とはいったい?
※感想に盛大なネタバレがあるので閲覧の際はご注意ください。

身体強化って、何気にチートじゃないですか!?
ルーグイウル
ファンタジー
病弱で寝たきりの少年「立原隆人」はある日他界する。そんな彼の意志に残ったのは『もっと強い体が欲しい』。
そんな彼の意志と強靭な魂は世界の壁を越え異世界へとたどり着く。でも目覚めたのは真っ暗なダンジョンの奥地で…?
これは異世界で新たな肉体を得た立原隆人-リュートがパワーレベリングして得たぶっ飛んだレベルとチートっぽいスキルをひっさげアヴァロンを王道ルートまっしぐら、テンプレート通りに謳歌する物語。
初投稿作品です。つたない文章だと思いますが温かい目で見ていただけたらと思います。

人の才能が見えるようになりました。~いい才能は幸運な俺が育てる~
犬型大
ファンタジー
突如として変わった世界。
塔やゲートが現れて強いものが偉くてお金も稼げる世の中になった。
弱いことは才能がないことであるとみなされて、弱いことは役立たずであるとののしられる。
けれども違ったのだ。
この世の中、強い奴ほど才能がなかった。
これからの時代は本当に才能があるやつが強くなる。
見抜いて、育てる。
育てて、恩を売って、いい暮らしをする。
誰もが知らない才能を見抜け。
そしてこの世界を生き残れ。
なろう、カクヨムその他サイトでも掲載。
更新不定期
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる