71 / 127
第二章 秘められた悪意
気の利いた言葉
しおりを挟む
禁書室のある地下から地上に出てきたのは、図書館に入ってから約二時間半後の午後四刻半を過ぎた頃であった。
遺留品管理室に向かうダニーと夕食の約束をして別れてから、エフェルローンとルイーズは言葉少なに執務室へと向かっている。
そんな、執務室への道すがら。
エフェルローンはぼんやりと、禁書室での会話を思い出していた。
禁書室での話の内容が内容なだけに、怖くないと言えば嘘になる。
憲兵歴もそれなりに長いエフェルローンでさえ、「今、誰かに見張られているのでは?」と、思わず後ろを振り返りたくなる始末。
この恐ろしさは言葉では言い表せない。
そしてそれは、新人であるルイーズにも言えることで、案の定、彼女は地上に上がってからというもの、ずっと辺りを警戒し、表情を硬く強張らせている。
(そうなるよな、やっぱり……)
気の利いた言葉の一つや二つ、掛けてやるのが上司の務めなのかもしれない。
だが、そういう領分が思い切り欠けているエフェルローンにはどう言葉をかけてよいか分からず、ただ悪戯に重苦しい沈黙だけが過ぎる。
とはいえ、考えてばかりいては何も解決しない。
エフェルローンは、どうすればこの窮地――恐怖で無口になったルイーズを励ますことが出来るのか、考えに考えた末こう言った。
「なんか、冷えてきたな」
だが――。
「…………」
聞こえなかったのだろうか。
ルイーズは進行方向を虚ろな目でじっと見据え、頼りなげな足取りで歩いていた。
(無理させ過ぎたか……)
エフェルローンはそう心の中で反省する。
考えてもみれば、ルイーズにとってはすべてが初めての事ばかりなのである。
初めての仕事、初めての任務、初めての情報取引…疲れないはずがない。
(今日は、帰らせるか)
捜査はアダムからの連絡がなければ先に進むことは出来ない。
それを踏まえ、エフェルローンはふらつきながら歩くルイーズにこう言った。
「ルイーズ、今日はもういい。帰れ」
その、エフェルローンの命令口調の言葉に。
ルイーズは、ハッと我に返るとムッとした表情でこう言った。
「嫌です。だってこの後、今後の作戦の詳細を練るんですよね? 私も参加します」
聞き分けなくそう言い張るルイーズに。
エフェルローンは深いため息をひとつ吐くと、イライラを滲ませながらこう言った。
「いいから、家に帰れ、そして、寝ろ。明日にはアダムからの連絡も入るだろうし、忙しくなる」
突き放すような、冷たい口調でそう嗜めると。
エフェルローンは上着の内ポケットから懐中時計を取り出す。
「明日は、朝八時までに執務室に来い。ぞれじゃあ、俺は行く。お疲れ」
そう言って片手をあげ立ち去ろうとするエフェルローンの襟首を、ルイーズは有無を言わさず背後から鷲掴む。
「うっ……」
思わず後ろに仰け反るエフェルローン。
そんなエフェルローンを座った目でじっと見つめると。
ルイーズは、口元に薄ら笑いを浮かべながら、淡々とした口調でこう言った。
「先輩がそう出るなら、私にも考えがあります」
そう言い切るルイーズの顔には揺るぎない決意の色がはっきり見て取れた。
「なんだっていうんだ……」
うんざりと。
詰襟の喉元に二本の指を入れると、エフェルローンは顔色を青くしながらそう尋ねる。
そんなエフェルローンに。
ルイーズはムッとした表情をすると、これでもかと云わんばかりにこうのたまった。
「私、アダムさんとデートはしません」
「なにぃ!」
そう激怒し、ルイーズを下からねめつけるエフェルローンを。
ルイーズは、上から冷たく見下ろしながらこう言った。
「でも、先輩が是非に『今夜の夕食会を兼ねた作戦会議に私を招きたい』とおっしゃるのなら。私もデートの事、考え直してもいいかなぁ、なんて」
そういって、満面の笑みを湛えるルイーズに。
エフェルローンは、憎々し気にこう言った。
「人が、気を使って言ってやってるってのに……!」
そんなエフェルローンに、ルイーズはムッとしながらこう言った。
「私だってチームの一員です。女だからって変な気を回さないで下さい。それで、先輩。私の事、招いて下さるんですか」
そんな、明らかな脅迫行為を前に。
エフェルローンは返す言葉もなく、深いため息と共にこう言った。
「わかった。勝手にしろ……」
「はい! 勝手にします!」
ルイーズは嬉しそうにそう言うと、この時初めてエフェルローンの後ろ襟首を離した。
エフェルローンは恨みがましくルイーズを見上げると、イライラしながら吐き捨てる様にこう言う。
「だが明日、朝八の刻の出勤時間に遅れたら、只じゃ置かないからな、いいな!」
「はーい」
「はぁ……」
そんなルイーズの、気の抜けた返事に頭を抱えながら。
エフェルローンが、ダニーとの約束の場所である大通りに向かって歩いていると。
ちょうど向かい側から、見知った顔が近づいて来るのが見えた。
短髪の黒髪に黒茶の瞳、そして眼鏡―—。
(確か、あいつは)
エフェルローンは記憶をフル回転させる。
相手もエフェルローンたちに気付いたようで、その場でぴたっと立ち止まる。
「おや? クェンビー伯爵ではありませんか。こんなところで会うとは奇遇ですね」
眼鏡の中心を押し上げ、黒髪の銀縁眼鏡男はそう言って苦笑するのだった。
遺留品管理室に向かうダニーと夕食の約束をして別れてから、エフェルローンとルイーズは言葉少なに執務室へと向かっている。
そんな、執務室への道すがら。
エフェルローンはぼんやりと、禁書室での会話を思い出していた。
禁書室での話の内容が内容なだけに、怖くないと言えば嘘になる。
憲兵歴もそれなりに長いエフェルローンでさえ、「今、誰かに見張られているのでは?」と、思わず後ろを振り返りたくなる始末。
この恐ろしさは言葉では言い表せない。
そしてそれは、新人であるルイーズにも言えることで、案の定、彼女は地上に上がってからというもの、ずっと辺りを警戒し、表情を硬く強張らせている。
(そうなるよな、やっぱり……)
気の利いた言葉の一つや二つ、掛けてやるのが上司の務めなのかもしれない。
だが、そういう領分が思い切り欠けているエフェルローンにはどう言葉をかけてよいか分からず、ただ悪戯に重苦しい沈黙だけが過ぎる。
とはいえ、考えてばかりいては何も解決しない。
エフェルローンは、どうすればこの窮地――恐怖で無口になったルイーズを励ますことが出来るのか、考えに考えた末こう言った。
「なんか、冷えてきたな」
だが――。
「…………」
聞こえなかったのだろうか。
ルイーズは進行方向を虚ろな目でじっと見据え、頼りなげな足取りで歩いていた。
(無理させ過ぎたか……)
エフェルローンはそう心の中で反省する。
考えてもみれば、ルイーズにとってはすべてが初めての事ばかりなのである。
初めての仕事、初めての任務、初めての情報取引…疲れないはずがない。
(今日は、帰らせるか)
捜査はアダムからの連絡がなければ先に進むことは出来ない。
それを踏まえ、エフェルローンはふらつきながら歩くルイーズにこう言った。
「ルイーズ、今日はもういい。帰れ」
その、エフェルローンの命令口調の言葉に。
ルイーズは、ハッと我に返るとムッとした表情でこう言った。
「嫌です。だってこの後、今後の作戦の詳細を練るんですよね? 私も参加します」
聞き分けなくそう言い張るルイーズに。
エフェルローンは深いため息をひとつ吐くと、イライラを滲ませながらこう言った。
「いいから、家に帰れ、そして、寝ろ。明日にはアダムからの連絡も入るだろうし、忙しくなる」
突き放すような、冷たい口調でそう嗜めると。
エフェルローンは上着の内ポケットから懐中時計を取り出す。
「明日は、朝八時までに執務室に来い。ぞれじゃあ、俺は行く。お疲れ」
そう言って片手をあげ立ち去ろうとするエフェルローンの襟首を、ルイーズは有無を言わさず背後から鷲掴む。
「うっ……」
思わず後ろに仰け反るエフェルローン。
そんなエフェルローンを座った目でじっと見つめると。
ルイーズは、口元に薄ら笑いを浮かべながら、淡々とした口調でこう言った。
「先輩がそう出るなら、私にも考えがあります」
そう言い切るルイーズの顔には揺るぎない決意の色がはっきり見て取れた。
「なんだっていうんだ……」
うんざりと。
詰襟の喉元に二本の指を入れると、エフェルローンは顔色を青くしながらそう尋ねる。
そんなエフェルローンに。
ルイーズはムッとした表情をすると、これでもかと云わんばかりにこうのたまった。
「私、アダムさんとデートはしません」
「なにぃ!」
そう激怒し、ルイーズを下からねめつけるエフェルローンを。
ルイーズは、上から冷たく見下ろしながらこう言った。
「でも、先輩が是非に『今夜の夕食会を兼ねた作戦会議に私を招きたい』とおっしゃるのなら。私もデートの事、考え直してもいいかなぁ、なんて」
そういって、満面の笑みを湛えるルイーズに。
エフェルローンは、憎々し気にこう言った。
「人が、気を使って言ってやってるってのに……!」
そんなエフェルローンに、ルイーズはムッとしながらこう言った。
「私だってチームの一員です。女だからって変な気を回さないで下さい。それで、先輩。私の事、招いて下さるんですか」
そんな、明らかな脅迫行為を前に。
エフェルローンは返す言葉もなく、深いため息と共にこう言った。
「わかった。勝手にしろ……」
「はい! 勝手にします!」
ルイーズは嬉しそうにそう言うと、この時初めてエフェルローンの後ろ襟首を離した。
エフェルローンは恨みがましくルイーズを見上げると、イライラしながら吐き捨てる様にこう言う。
「だが明日、朝八の刻の出勤時間に遅れたら、只じゃ置かないからな、いいな!」
「はーい」
「はぁ……」
そんなルイーズの、気の抜けた返事に頭を抱えながら。
エフェルローンが、ダニーとの約束の場所である大通りに向かって歩いていると。
ちょうど向かい側から、見知った顔が近づいて来るのが見えた。
短髪の黒髪に黒茶の瞳、そして眼鏡―—。
(確か、あいつは)
エフェルローンは記憶をフル回転させる。
相手もエフェルローンたちに気付いたようで、その場でぴたっと立ち止まる。
「おや? クェンビー伯爵ではありませんか。こんなところで会うとは奇遇ですね」
眼鏡の中心を押し上げ、黒髪の銀縁眼鏡男はそう言って苦笑するのだった。
0
お気に入りに追加
13
あなたにおすすめの小説
【書籍化進行中、完結】私だけが知らない
綾雅(ヤンデレ攻略対象、電子書籍化)
ファンタジー
書籍化進行中です。詳細はしばらくお待ちください(o´-ω-)o)ペコッ
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。
優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。
やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。
記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。
【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ
2024/12/26……書籍化確定、公表
2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位
2023/12/19……番外編完結
2023/12/11……本編完結(番外編、12/12)
2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位
2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」
2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位
2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位
2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位
2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位
2023/08/14……連載開始
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。

【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。
三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎
長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!?
しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。
ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

無能なので辞めさせていただきます!
サカキ カリイ
ファンタジー
ブラック商業ギルドにて、休みなく働き詰めだった自分。
マウントとる新人が入って来て、馬鹿にされだした。
えっ上司まで新人に同調してこちらに辞めろだって?
残業は無能の証拠、職務に時間が長くかかる分、
無駄に残業代払わせてるからお前を辞めさせたいって?
はいはいわかりました。
辞めますよ。
退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。
自分無能なんで、なんにもわかりませんから。
カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる