正義の剣は闘いを欲する

花邑 肴

文字の大きさ
上 下
48 / 127
第二章 秘められた悪意

未練

しおりを挟む
「失礼します」
 そう言って、キースリーの執務室を後にしたエフェルローンは、ふらふらと壁に手を突いた。
 
 怒りとも嫉妬とも付かない感情がぐるぐると心の中を渦巻いている。
 それでも。
 額に汗しながら、エフェルローンは壁伝いにゆっくりと歩を進めていく。

 クローディア――エフェルローンが心から愛した元婚約者。
 今は、彼女の父の意向でキースリー元に嫁ぎ、キースリー伯爵夫人となった人。

 ――自分にもっと力があれば。
 ――こんな身体じゃなければ。

 あのとき、違う選択をしていたなら――。

「先輩、ひどい汗……。顔色も良くないですよ、誰か呼んできましょうか?」

 ルイーズが心配そうに辺りの様子を伺う。
 そんなルイーズをよそに。

「チッ」

 エフェルローンはそう舌打ちすると、まるで自分の感情を吐露するかのようにその拳を思いっきり壁に叩き込んだ。
 
 ――ミシッ。

 壁が蜘蛛の巣のように凹み、そこに血が滲む。

「せ、先輩―—!」

 ルイーズが小さな叫び声をあげる。


 脳裏に思い浮かぶのは、やはり[あの時の選択]。
 もしあの時、[爆弾娘リズ・ボマー]を見殺しにしていたならば。

 クローディアも、ディーンもギルもダニーも。
 皆、笑顔で幸せでいられたのだろうか。
 誰も傷つかず、誰も死なずに済んだのだろうか。

(俺が、[正しい選択]をしていれば―—) 

 かつて天才と持て囃された頃の面影は、今や微塵もない。
 ただ今は、自分の不甲斐なさに涙が出る。
 そんな惨めな自分に嫌気がさし、エフェルローンは憎しみを込めて更に壁を殴る。

「くそっ……!」

 愛する人や友のために、何も出来ない自分。

 そんな自分が、不甲斐ない。
 不甲斐なくて、情けなくて。

「くそっ、くそっ、くそっ!」 

 エフェルローンは壁を殴り続ける。
 壁の亀裂に滲んでいく、血、血、血――。

 その異様な光景に、固まっていたルイーズが急いで止めに入った。

「先輩! 止めてください! 血が……!」

 ルイーズが渾身の力を込めて、エフェルローンの小さな拳を両手で押さえる。

「先輩、先輩――止めて下さい……!」

 ルイーズがぼろぼろと涙を零してエフェルローンの名を呼ぶ。
 エフェルローンはそのまま床に崩れ落ちると、血まみれの拳もそのままに、ぐったりと項垂れた。

「結局、俺は……誰も助ける事が出来ないんだ、誰も……」

 そう言って皮肉な笑みを浮かべるエフェエルローンに、ルイーズは涙も気にせず力強い口調でこう言った。

「そんな事ありません! そんな事……絶対に!」
「なんで、そう言い切れる?」

 瞳に殺気を宿しながら、エフェルローンはそう言ってルイーズを嘲笑(あざわら)う。
 そんなエフェルローンに、ルイーズは怯むことなくなくはっきりとこう言った。

「[爆弾娘《リズ・ボマー》]は、きっと感謝してます。どこの誰よりも、先輩に……」

 エフェルローンは思わず笑う。

「ふん……[爆弾娘《リズ・ボマー》]ね。でも俺はいつも悩んでる。あの子を、[爆弾娘《リズ・ボマー》]を助けた事を。あの選択は、本当に正しかったのかってね」

「……そう、ですか。でも! きっと……感謝していますよ、[爆弾娘《リズ・ボマー》]は。私が保証します」

 きっぱりとそう言うと、ルイーズは至極真面目な顔でエフェルローンをじっと見つめた。
 そんなルイーズに、エフェルローンはげんなりとした表情をすると、ため息を吐きながらこう突っ込んだ。

「保障ってなぁ、お前……[爆弾娘《リズ・ボマー》]でもあるまいし」

 その言葉に、ルイーズは一瞬きょとんとした顔をするものの、すぐに「そうでした」とばかりに舌を出し、苦笑しながらこう言った。

「あはは……テキトーなこと言ってすみませんでした、先輩。でも、先輩」
「あ?」

 気のない返事をするエフェルローンの前に正座してかがみこむと、ルイーズは真摯な眼差しでエフェルローンを覗き込むとこう言った。

「先輩は、間違ってません。私はそう信じて……ううん、そう確信しています」

 その言葉は、エフェルローンの心の奥の何かに触れた。
 怒りが、嫉妬が……まるで、潮が引くように引いていく。

 思わず、ルイーズの目をまじまじと見つめるエフェルローンに、口元に笑みを浮かべながら手を差し出すルイーズ。
 エフェルローンはバツが悪そうに頭を掻くと、ふいと顔を背けながらこう言った。

「……そうかな? まあ、そうあれるよう努力はしてみるよ」

 エフェルローンのその言葉に、ルイーズは満面の笑顔を浮かべると元気よくこう言った。

「はい!」

 そんなルイーズの差し出した手を借りて立ち上がったエフェルローンに、ルイーズは更に含むような口調でこう言った。

「それで先輩、次はとこに行きますか?」
「は? どこ?」

(それは俺が聞きたいんだけど)

 エフェルローンがそう心の中で呟き、あっけにとられていると。
 ルイーズは悪戯を思い付いた子供のように目をキラキラ輝かせると、エフェルローンをけしかけるようにこう言った。

「この事件……キースリーに取り上げられたからって、そう簡単に諦めちゃうような、そんなヤワな男じゃありませんよね、先輩は」

 煽てられている感は否めなかったが、諦める気など確かに毛頭ない。
 エフェルローンはルイーズの煽りに素直に乗ることにする。

「……ふん、確かに。そうとなれば……そうだな、まずはディーンの家でも訪ねてみるか」

 憲兵を正式に辞めたなら、高確率で家にいるのではないか。
 そう推測したのである。

「ディーンの家は確か……」

 早速向かおうとするエフェルローンの腕を掴むと、ルイーズはこう言った。

「先輩! 先ずはその手!」
「あ……」

 改めて自分の血まみれの手を見る。

「ひどいな」

 眉を顰め、思わず苦笑しながらそう漏らすと、ルイーズはため息混じりにこう言った。

「もう、止めるの大変だったんですからね! さあ、治療しに医務室に行きますよ!」

 ルイーズに腕を引かれるように。
 エフェルローンはこうして個人的に、[魔魂石]事件とアデラの関係を調べ始めるのであった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

二人分働いてたのに、「聖女はもう時代遅れ。これからはヒーラーの時代」と言われてクビにされました。でも、ヒーラーは防御魔法を使えませんよ?

小平ニコ
ファンタジー
「ディーナ。お前には今日で、俺たちのパーティーを抜けてもらう。異論は受け付けない」  勇者ラジアスはそう言い、私をパーティーから追放した。……異論がないわけではなかったが、もうずっと前に僧侶と戦士がパーティーを離脱し、必死になって彼らの抜けた穴を埋めていた私としては、自分から頭を下げてまでパーティーに残りたいとは思わなかった。  ほとんど喧嘩別れのような形で勇者パーティーを脱退した私は、故郷には帰らず、戦闘もこなせる武闘派聖女としての力を活かし、賞金首狩りをして生活費を稼いでいた。  そんなある日のこと。  何気なく見た新聞の一面に、驚くべき記事が載っていた。 『勇者パーティー、またも敗走! 魔王軍四天王の前に、なすすべなし!』  どうやら、私がいなくなった後の勇者パーティーは、うまく機能していないらしい。最新の回復職である『ヒーラー』を仲間に加えるって言ってたから、心配ないと思ってたのに。  ……あれ、もしかして『ヒーラー』って、完全に回復に特化した職業で、聖女みたいに、防御の結界を張ることはできないのかしら?  私がその可能性に思い至った頃。  勇者ラジアスもまた、自分の判断が間違っていたことに気がついた。  そして勇者ラジアスは、再び私の前に姿を現したのだった……

嫌われ者のお姫様、今日も嫌われていることに気付かず突っ込んでいく

下菊みこと
ファンタジー
家族の愛をひたすら待つのではなく、家族への愛をひたすら捧ぐ少女がみんなから愛されるまでのお話。 小説家になろう様でも投稿しています。 ごめんなさいどのジャンルに含まれるのかわからないのでとりあえずファンタジーで。違ってたらご指摘ください。

伯爵夫人のお気に入り

つくも茄子
ファンタジー
プライド伯爵令嬢、ユースティティアは僅か二歳で大病を患い入院を余儀なくされた。悲しみにくれる伯爵夫人は、遠縁の少女を娘代わりに可愛がっていた。 数年後、全快した娘が屋敷に戻ってきた時。 喜ぶ伯爵夫人。 伯爵夫人を慕う少女。 静観する伯爵。 三者三様の想いが交差する。 歪な家族の形。 「この家族ごっこはいつまで続けるおつもりですか?お父様」 「お人形遊びはいい加減卒業なさってください、お母様」 「家族?いいえ、貴方は他所の子です」 ユースティティアは、そんな家族の形に呆れていた。 「可愛いあの子は、伯爵夫人のお気に入り」から「伯爵夫人のお気に入り」にタイトルを変更します。

魔術師セナリアンの憂いごと

野村にれ
ファンタジー
エメラルダ王国。優秀な魔術師が多く、大陸から少し離れた場所にある島国である。 偉大なる魔術師であったシャーロット・マクレガーが災い、争いを防ぎ、魔力による弊害を律し、国の礎を作ったとされている。 シャーロットは王家に忠誠を、王家はシャーロットに忠誠を誓い、この国は栄えていった。 現在は魔力が無い者でも、生活や移動するのに便利な魔道具もあり、移住したい国でも挙げられるほどになった。 ルージエ侯爵家の次女・セナリアンは恵まれた人生だと多くの人は言うだろう。 公爵家に嫁ぎ、あまり表舞台に出る質では無かったが、経営や商品開発にも尽力した。 魔術師としても優秀であったようだが、それはただの一端でしかなかったことは、没後に判明することになる。 厄介ごとに溜息を付き、憂鬱だと文句を言いながら、日々生きていたことをほとんど知ることのないままである。

転生無双なんて大層なこと、できるわけないでしょう!〜公爵令息が家族、友達、精霊と送る仲良しスローライフ〜

西園寺わかば🌱
ファンタジー
転生したラインハルトはその際に超説明が適当な女神から、訳も分からず、チートスキルをもらう。 どこに転生するか、どんなスキルを貰ったのか、どんな身分に転生したのか全てを分からず転生したラインハルトが平和な?日常生活を送る話。 - カクヨム様にて、週間総合ランキングにランクインしました! - アルファポリス様にて、人気ランキング、HOTランキングにランクインしました! - この話はフィクションです。

元邪神って本当ですか!? 万能ギルド職員の業務日誌

紫南
ファンタジー
十二才の少年コウヤは、前世では病弱な少年だった。 それは、その更に前の生で邪神として倒されたからだ。 今世、その世界に再転生した彼は、元家族である神々に可愛がられ高い能力を持って人として生活している。 コウヤの現職は冒険者ギルドの職員。 日々仕事を押し付けられ、それらをこなしていくが……? ◆◆◆ 「だって武器がペーパーナイフってなに!? あれは普通切れないよ!? 何切るものかわかってるよね!?」 「紙でしょ? ペーパーって言うし」 「そうだね。正解!」 ◆◆◆ 神としての力は健在。 ちょっと天然でお人好し。 自重知らずの少年が今日も元気にお仕事中! ◆気まぐれ投稿になります。 お暇潰しにどうぞ♪

転生幼女の攻略法〜最強チートの異世界日記〜

みおな
ファンタジー
 私の名前は、瀬尾あかり。 37歳、日本人。性別、女。職業は一般事務員。容姿は10人並み。趣味は、物語を書くこと。  そう!私は、今流行りのラノベをスマホで書くことを趣味にしている、ごくごく普通のOLである。  今日も、いつも通りに仕事を終え、いつも通りに帰りにスーパーで惣菜を買って、いつも通りに1人で食事をする予定だった。  それなのに、どうして私は道路に倒れているんだろう?後ろからぶつかってきた男に刺されたと気付いたのは、もう意識がなくなる寸前だった。  そして、目覚めた時ー

骸骨殿下の婚約者

白乃いちじく
ファンタジー
私が彼に会ったのは、九才の時。雨の降る町中だった。 魔術師の家系に生まれて、魔力を持たない私はいらない子として、家族として扱われたことは一度もない。  ――ね、君、僕の助手になる気ある? 彼はそう言って、私に家と食事を与えてくれた。 この時の私はまだ知らない。 骸骨の姿をしたこの魔術師が、この国の王太子、稀代の魔術師と言われるその人だったとは。 ***各章ごとに話は完結しています。お気軽にどうぞ♪***

処理中です...