正義の剣は闘いを欲する

花邑 肴

文字の大きさ
上 下
32 / 127
第二章 秘められた悪意

私念

しおりを挟む
――公務執行妨害。

 エフェルローンの脅しともとれるその言葉に。

 憲兵の一人――背の高い骨太の男は別段気にする様子もなく、それどころか、敵意剥き出しといった体でこう言った。

「実力の伴わない奴が何をほざいてやがる。まあいい、俺がお前に教えてやるさ。あんたが置かれている現実ってやつをな」

 そう言って指をバキバキと鳴らすと、男は更に首を左右に動かし肩を回した。
 それを横目で見ていた小太りのがたいの良い男は、好都合とばかりに唇を舐める。

「へっ、丁度いい。自分の立場ってのも分からせてやるか」

 そう言うと、憲兵たちはエフェルローンの前に壁のように立ちはだかった。
 憲兵といえども、人を殴り傷つければそれは立派な[暴行罪]である。

 驚いたルイーズは怒りも露にこう怒鳴った。

「あなたたち! それでも本当に憲兵なの? 仕事も差し置いて[私闘リンチ]? 死者を愚弄ぐろうするにも程があるってものよ!」

 そして、続けざまに鑑識責任者の男をきつく睨むと、噛み付くようにこう言い放った。

「それに責任者の貴方も! 何でこの憲兵たちを止めないんですか! 下手したら皆[暴行罪]で牢獄ろうごく行きですよ! それなのに、何もしないでただ傍観ぼうかんしているなんて……間違ってます!」

 怒りに肩を震わせそう叫ぶルイーズを鼻で笑うと、鑑識責任者の男は無精髭をさすりながらこう言い切った。

「これが[暴行罪]だって? 馬鹿言っちゃいけないぜ。こいつらにとっちゃあ、こんなの日常茶飯事、唯のじゃれあい、挨拶さ。上に報告するほどのものじゃない」
「貴方、自分が何を言っているかわかっているの?」

 憲兵の規律を無視した行動に、ルイーズは憤りを感じながらもそこはぐっと堪え、努めて冷静にそう言う。
 そのルイーズの言葉に、鑑識責任者の男は凄みの利いた低い声でこう言い放った。

「ここは俺たち鑑識課の縄張りだ。俺たちのルールに従えないなら、ここから即、出ていきな」

 男の言葉に気圧されながらも、ルイーズは負けじとこう言い放つ。

「そんなこと、まかり通ると思っているの? 上に報告します!」

 そんなルイーズの脅し文句にも怯むどころか、鑑識責任者の男は小馬鹿にしたように鼻で笑うとこう言った。

「はっ、勝手にしな。まあ、上からの指示がある頃には、死体にゃウジが湧いてるだろうよ。さ、どうする? 伯爵さんよ」
「そんな、そんな言い分……!」

 怒りで唇を震わせながら更に食って掛かろうとするルイーズを小さな片手で制すると、エフェルローンは眉間にしわを寄せ、ため息を吐きながらこう言った。

「分かった……もういい、ルイーズ」

 ある種のあきらめとさげすみをはらんだ言葉に、鑑識責任者の男は敏感に反応する。

「何が分かったって? なあ、小さな伯爵さんよ?」

 エフェルローンの言葉から少なからず悪意を感じ取った男は、そう言ってエフェルローンに詰め寄った。

「呪われる前ならいざ知らず、今のあんたに俺たちが馬鹿にできるのかい? なあ、プライドのお高い最下級魔術師さんよ?」

 そう言って、冷たい目で見降ろす鑑識責任者の男を、エフェルローンはじっと見つめる。

(プライドのお高い、か)

 そう心の中で呟き苦笑にがわらうと、エフェルローンは男たちから目を逸らさすに、一歩、また一歩と近づきながらこう言った。
 
「プライドが高いが低かろうが、そんなの俺はどうだっていい。とにかく、死体を見せろ、今すぐにだ」

 そう言って男たちの目の前で立ち止まると、エフェルローンは不敵な笑みを浮かべながら男たちを下から睨みつける。
 だが、男たちにとって子供の姿のエフェルローンの脅しなど、子供だましでしかないのだろう。
 彼らはそんなエフェルローンに失笑の笑みを浮かべると、微動だにせずこう言った。

「家に帰りな、坊や」

 そのやり取りに嫌気が差し始めたエフェルローンは、呆れたようなため息をひとつ吐くと、何を思ったか、姿勢を正してこう言った。

「悪かった。俺が間違っていた。申し訳ない」
「えっ、先輩? 何言って……」

 ルイーズが呆然あぜんとした顔でそう呟く。
 そんなルイーズを尻目に、エフェルローンは頭を下げたまま男たちにこう言った。

「俺は確かに、あなた方の言うように使えない人材だ。本来なら、憲兵をやめるべきなんだろう。それが、未だに過去の実績を盾に憲兵隊に居座っている。しかも、任務のたびに国民の血税から[青銅の魔魂石]を支給してもらっている有様。それでいて憲兵としての特権を振り翳している俺を許せないというのは良く分かる」

 真摯な口調でそう言うと、エフェルローンは更に話を続けてこう言った。

「堅実な仕事を誇りとするあなた方に、俺はもっと敬意をもって接するべきだった。俺はあなた方と比べたら取るに足りない人間なのに……本当に申し訳ない」

 そう言って深々と頭を下げたエフェルローンは、そのままの姿勢でこう言葉を続ける。

「今更許される事とは思わないが、俺は事件解決のために、どうしても現場を確認する必要がある。だからどうか、無理を承知でお願いしたい。ここを通してくれ」

 そんな愁傷しゅうしょうなエフェルローンに、背の高い骨太の憲兵は吐き捨てるようにこう言った。

「ふん、初めからそうしてれば良いんだよ、出来損ないのチビが」

 だが、もう一人の小太りのがたいの良い憲兵は怒り収まらぬといった体で、こうのたまった。

「だがな、今更遅いってもんよ、伯爵さん。あんたのせいで、俺たちの自尊心はボロボロさ。あんた、一体どうやってこれを癒してくれるっていうんだ? あぁ?」

 エフェルローンの襟首を掴み、男はそう凄む。

「俺に、どうしろと?」

 努めて殊勝にそう尋ねるエフェルローンに、小太りのがたいの良い憲兵はえげつない笑みを浮かべてこう言った。

「そうだなぁ。とりあえず、靴でも舐めて貰おうか」
「ふ、ふざけないで下さい!」

 それにいち早く反応したのはルイーズであった。
 ルイーズは必死の形相で憲兵の男に詰め寄る。

「うるさいな、あんたは黙ってな!」

 憲兵の男はそう言ってルイーズを突き飛ばした。

「きゃっ」

 そのまま尻餅を付くルイーズ。
 その顔には信じられないという表情が浮かんでいる。

 ルイーズの無事を確認すると、エフェルローンは視線を憲兵の男――小太りのがたいの良い男――に向け、至極真面目な顔で尋ねて言った。

「靴を舐めればいいんだな」

 その言葉に、小太りの男はニヤニヤしながら頷く。

「ああ」
「ヤーヴェ神に懸けて誓うか?」
「いいぜ、誓ってやるとも。何度でもな」

(これ以上、この男たちの私念に振り回されたくはない。それに――)

 今こうしている間にも、上層部による証拠品の隠滅いんめつが図られているかもしれないのである。
 エフェルローンは、自分の怒りの感情を押し殺すと、意を決してこう言った。

「分かった、いいだろう」

 ルイーズが目を見開いて猛抗議する。

「先輩! 何考えてるんですか! そんなの無視すればいいんです! 先輩? 聞いてます? 先輩ってば!」
「うるさい、黙ってろ!」
「うっ……」

 そう涙目で言葉を飲み込むルイーズを横目に。
 エフェルローンは小さなため息をひとつ吐く。

(一人の若者の死が、事件解決の糸口が、こんなことで有耶無耶うやむやにされてしまう……そんなのは、許せない。いや、許さない!)

 身を焦がすような屈辱感を覚えない訳ではない。
 
 だが、真実が闇にほうむり去られるぐらいなら、こんな茶番……さっさと終わらせるに越した事はない。

 エフェルローンは意を決するとツカツカと小太りの男の前まで歩み寄り、そして身をかがめた。
 その光景に、残りの憲兵や監察官たちの好奇こうきの視線が集まる。

 そして、漏れる下卑た笑い。

「先輩……」

 ルイーズが目に涙をためてその光景を凝視する。
 そして、エフェルローンが憲兵の男の薄汚れた靴の前に屈み、それに口を近づけようとした、そのとき。

「さっきから見ていれば……これってあれだよね、パワハラの反対の―—」
「逆ハラです」

 煉瓦色れんがいろの髪の青年の言葉に、灰黒色アッシュ・グレーの髪を軽く固めた男がそうフォローする。

「誰だ、お前……」

 いい所を邪魔されたと言わんばかりの不機嫌な表情かおで、小太りのがたいの良い憲兵は煉瓦色れんがいろの髪の男をにらんだ。
 他の憲兵や監察官たちも一斉にその男を見る。

 皆の視線を一身に受け、煉瓦色れんがいろの髪の男はなぜか嬉しそうに微笑ほほえむと、赤味あかみ掛かった紫の瞳を鋭く光らせるとこう言った。

「私かい? 私はレオン。レオン・フォン・カーレンリース。[紫眼のプリンス・オブ・貴公子イビル]とは、私の事さ」

「――――!」
 
 憲兵と鑑識官たちの顔は、面白いほど一斉に青ざめるのであった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【書籍化進行中、完結】私だけが知らない

綾雅(ヤンデレ攻略対象、電子書籍化)
ファンタジー
書籍化進行中です。詳細はしばらくお待ちください(o´-ω-)o)ペコッ 目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2024/12/26……書籍化確定、公表 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。

三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎ 長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!? しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。 ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。 といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。 とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない! フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

無能なので辞めさせていただきます!

サカキ カリイ
ファンタジー
ブラック商業ギルドにて、休みなく働き詰めだった自分。 マウントとる新人が入って来て、馬鹿にされだした。 えっ上司まで新人に同調してこちらに辞めろだって? 残業は無能の証拠、職務に時間が長くかかる分、 無駄に残業代払わせてるからお前を辞めさせたいって? はいはいわかりました。 辞めますよ。 退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。 自分無能なんで、なんにもわかりませんから。 カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

悪意のパーティー《完結》

アーエル
ファンタジー
私が目を覚ましたのは王城で行われたパーティーで毒を盛られてから1年になろうかという時期でした。 ある意味でダークな内容です ‪☆他社でも公開

処理中です...