正義の剣は闘いを欲する

花邑 肴

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第一章 呪われし者

現実からの洗礼

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「やっぱり、納得できません!」

 執務室に戻ってくるなり、ルイーズは鼻息も荒くそう言った。
 床を蹴り上げる長靴の激しい靴音が、ルイーズの苛立ちを大いに物語っている。

 だが。

 エフェルローンは自らの椅子に深く腰かけると、深いため息と共にこう言い切った。

「でも、あれが現実。素直に受け止めるんだな」

 まるで他人事のようにそういうと、手元の資料に目を通し始めるエフェルローン。
 
 ――確かに、間違ってはいるのだろうが、それがこの国の現状だ。

 エフェルローンはそう自分に言い聞かせ、手元の資料に集中する。
 
 しかし―—。

「でも、伯爵!」
「…………」
「伯爵ってば! ねえ、聞いてます? もう、伯爵~!」

 ルイーズが、納得できないと駄々をこね始め、集中力を乱されたエフェルローンは、深いため息と共に資料からゆっくりと目を上げる。

「…………」

 大きな机を挟んだ目の前で、ルイーズが口をへの字に曲げてエフェルローンを恨みがましそうに睨んでいる。

(……ったく、俺が何したっていうんだ)

「はぁ……」
 エフェルローンは面倒くさそうにため息を吐くと、頭をかきかきこう言った。
「良いんだよ、あれはあれで。下手を打てば俺の首が飛ぶ。そしたら俺と俺の家族は飢え死にだ。ともかく、何事もなくて良かったよ」

 そう言ってまた、何事もなかったかのように資料に目を落とすエフェルローンに、業を煮やしたルイーズは眉をキリキリと吊り上げこう怒鳴った。

「良くなんかありません! あんなの……あれは恐喝です。立派な犯罪です! 伯爵は魔術師団本部に訴えるべきです!」

 そう言って、執務机に勢いよく両手を突くルイーズ。

 魔術師団本部とは、簡単に言うと憲兵庁の上に当たる機関のことであり、実際、憲兵庁に対して大きな発言権を持っている機関である。
 ルイーズは、そこへ訴えろと言っているのだ。

 だが―—。

(まったく、単純というか純粋というのか……)

 エフェルローンはのろのろと視線を上げ、怒れるルイーズをため息交じりに一瞥すると、椅子の背に背中をもたれ掛けながらこう言った。

「いいか、ルイーズ。それは、無理……いや、無駄だ」
「はぁ? そんなの、やってみないとわからないじゃないですか! 伯爵は自分に対して横着過ぎます! もっと人としての権利をしっかり主張すべきです! だから、キースリーみたいな奴に良いように使われるんです!」
 
(まあ、それは一理ある……だが)

 根本的な理由は別のところにある。
 
 エフェルローンは資料を机の上に投げ置くと、更に椅子に深く寄りかかり、腹の前で両手を組みながらこう言った。

「いいか、そういった身内のごたごたってのは、表に出ないだけでかなり多くの案件が上に上がっているはずだ。だがな、俺はそれが表沙汰になって目に見える形で解決されたのを見たことがない。権力で更迭され、金で懐柔された奴は何人か見たことはあるが、俺はそんな結末はごめんだ」

 吐き捨てるようにそう言うエフェルローンに、ルイーズの怒りは更に度を増した。
 ルイーズは、怒りに歯をカチカチと鳴らすと声を震わせこう怒鳴った。

「だから、黙っているんですか? だから涙を飲むんですか? 先輩は正義を守る憲兵ですよね? 先輩にはそういった間違いを正そうっていう、そういう気概のようなものはないんですか!」

 その問いに、エフェルローンは即答してこう言った。

「ない」
「な……」

 そう言って押し黙るルイーズに、エフェルローンはおどけた口調でこう言った。

「汝、平和を求めよ、だ。平和が一番。只でさえ魔術師団のお荷物状態なのに、今更波風立てるつもりはない。分かったら、さっさと仕事しろ」

 きっぱりそう言い放つと、エフェルローンは机に放り出した資料に手を伸ばす。

「でも……誰しも基本的人権は尊重されるべきなんです。だから、そんな基本も出来ていないキースリーは上司として失格なんです。彼は更迭されるべきなんです……」

 エフェルローンの言い分に一理を見出したのだであろうか。
 そう不服そうに語るルイーズの語調は勢いを無くし、もはやそれは風前の灯火のようである。
 しかも、自身の正義を語るその顔は、半分泣き出しそうであった。

 執務室の中に重苦しい沈黙がし掛かる。

 エフェルローンはおもむろに腕を組むと、心の中で大きなため息を一つ吐いた。

(キースリーをあいつ呼ばわりか。しかも更迭とか……末恐ろしい奴。けど……)

 この世界で生きていくのに、その純粋さは致命的だ――。

(嫌がるだろうが、一応釘は刺しておくか)

 エフェルローンは咳払いをひとつすると、ルイーズにファイルを突き出しながらこう言った。
「事件の資料だ、良く目を通しておけよ。それと、人前でキースリー伯爵の悪口は言わないように。呼び捨ても駄目だ」

「……嫌です」

 案の定、反発するルイーズに、エフェルローンは容赦なくこう言い放った。

「なら、出ていきな。元々、俺は誰かと仕事する気は毛頭ないから」

 有無を言わせぬ口調でそう突き放すと、エフェルローンは差し出した資料を自らに引き寄せながらそう言った。
 ルイーズはというと、怒りと口惜しさとで顔を歪めながら、エフェルローンを恨めしそうに睨んでいる。

「で、どうするの? 出て行くの? 残るの?」
「く……」

 急き立てながら言葉で詰め寄るエフェルローンに、ルイーズは思わず後ろに仰け反る。
 その表情からは、相反する感情のせめぎ合い――心の葛藤が見て取れた。

 しばしの沈黙――そして。

「……残ります」

 やっとの事でそう言ったルイーズの顔は真っ赤で、口はへの字に引き結ばれている。
 その顔には、やっぱり……というべきか、はっきりと『納得できない』と書かれていた。

(予想通り、だな)

 エフェルローンは思わず心の中で苦笑する。
 そんな、ルイーズのエフェルローンを見る目は、案の定、恐ろしいほど据わっていた。

(それにしても……こんなんで本当に約束、守れるのか?)

 一抹の不安を覚えながらも、ともかく毅然とした態度でこう釘を刺す。

「なら、約束は守ってくれよ。俺と俺の家族の生活が掛かってるんだからさ」
「……はぃ」

 視線の定まらないルイーズの反応が、薄い。
 エフェルローンはイラッとした。

(……ったく、だから子供ってのは)

 大きなため息と共に、エフェルローンは身を乗り出してこう言った。

「ほんと、頼むよ!」
「……はぃ」
「聞いてる?」
「はぃ……」
「…………」
「…………」
 
 そんなやり取りがしばし続いたのち――。

 二人が本題である事件の検証に入ったのは、辺りも赤く染まり始めた夕刻であった。
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