正義の剣は闘いを欲する

花邑 肴

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第一章 呪われし者

夢と希望、そして現実

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「ああ、これね」

 その場でしばし固まるルイーズをよそに。
 エフェルローンはおもむろに上着を拾い上げると、それを背中に羽織ってこう言った。

「俺、任務でドジる事が多くてさ。魔力が弱過ぎて、魔魂石まこんせき精神ヌスを底上げしてるんだけど、直に魔法で攻撃しないと思うような効果がなくってね。だから体も鍛えてる訳なんだけど、それでもこの有様でさ。おかげで陰では[戦う魔術師]なんて、面白おかしく呼ばれてるよ」

 自嘲めいたエフェルローンの物言いに、ルイーズはむすっとした顔をするとこう言った。

「でもそれは、与えられる任務に危険なものが多いからだって……そう噂で聞いたことがあります。伯爵の実力を知っていながら、魔術師団の上層部が伯爵に能力以上の任務を与えるなんて、そんなのまるで……まるで、伯爵に死んでほしいみたいに見えるじゃないですか! そんなのおかしい。そんなの、間違ってる!」

 ルイーズは義憤に満ちた口調でそう言った。

「ま、恨みも妬みも抱えた人間が作った世界だからね。色々あるのさ、大人の事情ってのが」

 そう言って、エフェルローンは皮肉な笑みを浮かべて見せる。
 それでも、ルイーズは納得しないというようにこう反論した。

「でも、それって[故殺]になりますよね? 国王はそのことを知っているんですか?」
「知っているも何も、そこに辿り着くまでの間に大金やら権力やらが動いて揉み消されて終わりだよ」

「金と権力、ですか……」

 顎に片手を当て、神妙に視線を落とすルイーズにエフェルは畳み掛けるようにこう言った。

「そうだよ、世の中全て金と権力。俺みたいな名ばかりの貴族や平民は死ぬまでお偉い方の食い物にされて終わりってね」
「死ぬまで食い物って……そんな言い方、そんなの良くありません!」

 雑巾をきつく握り締め、ルイーズはエフェルローンにそう言い放った。

「きっと、論理的に話し合えば分かって貰えます! 伯爵、長官に掛け合いに行きましょう!」
「掛け合うってねぇ。ま、たぶん君の場合、言いくるめられるか論破されるかで終わりだと思うよ。下手すれば、強制的に自主退職なんてのもあり得る。俺はそんなのごめんだ。定年まで平穏無事に勤めさせてくれるなら、俺は今のままで一向に構わない」

 自分の命が懸かっているにも係わらず、まるで他人事のようにそう言い切るエフェルローンに。
 ルイーズはキリキリと眉を吊り上げると、「臆病者」と言わんばかりにこう言った。

「伯爵は憲兵ですよね? 公正な裁きを遂行する責任があるんですよね? それなのに、伯爵には自分の身に起きている[不公正]を正す勇気と信念はないんですか!」

 ルイーズの怒鳴り声が遠くに聞こえる。
 
 エフェルローンは、こめかみの辺りを人差し指で押さえながら不機嫌極まりない口調でこう言った。

「……だーかーら! 勇気も信念も何も、初めから負けるって分かっている戦はしないって、そう言っているだけだって! 俺は無駄な争いは嫌いだ。出来れば賢くスマートに、願わくば穏便に定年を迎えたい」

 そうささやかな理想を口にするエフェルローンに、ルイーズは容赦なくこう言い放った。

「そんなの、伯爵の自己満です! 間違ってると分かっているなら、どんな事をしてでも命がけでそれを正すべきです! だって憲兵って、そういうものじゃないんですか! それとも、伯爵はこのまま上層部の人たちに間接的に殺されても構わないって、そう言うんですか!」

 新人の新人たる所以なのか。
 そう言って、眉をいからせ、エフェルローンを睨むルイーズの目は本気である。

(まいったな……)

 エフェルローンは心の中で頭を抱えた。

 若いうちは、理想に燃えるのもいいだろう。
 だが、現実は夢や理想だけでは生きていけない汚い世界だ。
 その汚い世界を制して、初めて人は理想を現実にする事がで出来る。

 それも、多くの人の血と汗と涙をそのいしずえとして――。

 まあ、それが良いことなのか悪いことなのかは別として。

 これが、不完全な人間の成せる最大の正義。
 大義という名の下に作り上げられる、妥協にまみれた見せかけの正義。

 ――そんな正義を貫くぐらいなら、俺は躊躇うことなく死を選ぶ。

(この子はまず、現実の汚さを知らなきゃいけない)
 
 エフェルローンは、水の入っていた空瓶を床の隅に置くと、大きなため息と共にこう言った。

「丁度今日、十三の刻に長官から新しい任務のことで呼ばれてるから、一緒に来るといい。そのとき、交渉でも何でもしてみたら?」
「えっ、良いんですか?」

 目を大きく見開き、驚いたようにそう答えるルイーズに。
 エフェルローンは、受け取った辞令書にさっと目を通しながらこう言った。

「良いも何も……君の理論でいくと『憲兵は、間違っていることは命がけで正す』んでしょ?」

 その言葉に、ルイーズの顔がぱっと明るくなる。

「お任せて下さい、伯爵。伯爵に対する[不公正]の数々、必ず改善して見せますよ!」

 そう言って片手で拳を作って見せると、ルイーズは鼻息も荒くそう言った。
 その両の頬は、桃色の花びらのように薄く紅潮している。

 そんな、青臭い信念に燃えるルイーズに、若かりし頃の自分を重ねながら。
 エフェルローンは、諦めにも似た笑みを浮かべてこう言った。

「不公正、ね」

 弱肉強食のこの世界で。
 弱いものが正義を振り翳したところで、一体何の意味があるだろう。
 それがどんなに正しい事だったとしても、強い者に力で抑え込まれてしまえばそれは悪になってしまう。

 頂点から底辺に転げ落ちた今だからこそ、はっきり言えることがある。

――力あってこそ[正義]は成される。たとえそれが、間違った[正義]だったとしても。

(だから、ルイーズの言っている事が[正義]だったとしても、俺に対する長官の[正義]は変わらないだろう。それが間違った[正義]だったとしても、長官にはそれを真の[正義]に変える[力]がある)

「だから、俺への[不公正]は奴にとっては[公正]。それは決して、正されることはない。あいつが[力]を持っている限り……」

――[力]。

 そう心の中で呟き、エフェルローンは自分の小さな手足をじっと見つめる。

 かつて、国内で誇った数々の[力]。
 その、失った[力]の大きさに一抹の未練を覚えながら。

 エフェルローンはこの変えようのない現実に、諦めにも似た笑みをそっと漏らすのであった。
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