正義の剣は闘いを欲する

花邑 肴

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第一章 呪われし者

新しい相棒

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 突如、背中全体に大きな衝撃が走る。

「……うっ」

 その衝撃で目を覚ましたエフェルローンの瞳に映るのは、見慣れた石造の天井と、この執務室に移動してきた時からしこたま溜まっている埃が、まるでスノードームをひっくり返した時の様に舞い上がる様子であった。
 そんな埃まみれの床の上には、[呪い]を解くために集めた魔術書と、書き溜めた資料の書き写しのファイル、そして、理論構築の為に書き起こした紙の山が、やはり埃に塗れ、渦高く乱雑に積み上がっている。

 と、そんな煮詰まった魔術研究室の様相を呈した執務室の床の上で。
 エフェルローンは、空間にきらきらと舞う埃をぼんやり眺めていた。

 まるで雨上がりの虹の様に、陽の光でくるくると色を変えて舞う埃。
 そんな埃たちをひとしきり眺め遣ると。

 エフェルローンは、微かに痛み始めた背中に意識を集中させた。

 背中が感じる石の硬さと冷たい感触から。
 
 エフェルローンは、自分が寝ていたソファーから床の上に転げ落ちたのだと悟り、思わず小さく舌打ちする。

 それから、気合を入れる様に大きなため息をひとつ吐くと。
 エフェルローンは額に片手を当て、恨めし気にこう言った。

「……はぁ、朝っぱらからこれかよ。付いてないな」

 昨晩はしこたま酒を飲んだこともあり、家には帰らず執務室のソファーで眠ることにしたエフェルローンであったが、ソファーで眠たせいなのだろうか。
 なかなか寝付けないわ、ようやく眠れたと思ったら悪夢を見るわで、はっきり言って殆ど眠れていない。
 しかも気付けば、身体も頭も、そして背中も若干……いや、かなり痛い。

 エフェルローンは、踏んだり蹴ったりのこの状況に、吐き捨てるようにこう言った。

「ったく、今日は厄日か?」

 そう、いちいち毒付きながら。
 エフェルローンは、半覚醒状態でむっくり床の上に起き上がると、掛け布団代わりに腹に掛けていた上着を無造作に背中に羽織はおった。
 
「…………」 

 柔らかな朝の陽射しと小鳥の優しいさえずりの声が、エフェルローンの意識を少しずつ覚醒させていく。
 
(確か昨夜は、防犯も兼ねて窓もカーテンも閉めて寝たはずなのに。なんで俺の目はこんなに眩しがっているんだ……?)

 その疑問に目を細め、開け放たれた窓の外で燦々さんさんと輝く太陽をじっと見つめる。

「……やっぱりおかしい、よな?」

 そう腕と胡座を組み、その場で唸るエフェルローンを尻目に。
 開け放たれた窓に吹き込む柔らかな風。

 白いレースのカーテンを控えめに揺らすその風は、エフェルローンの蜂蜜色のショートボブの前髪を優しくなぶると、部屋の背後の壁に当たり、霧散した。

「窓、閉め忘れたか……?」

 顎に片手を添え、エフェルローンは昨晩の記憶を引き出そうと頭を捻る。

 と、そのとき。

「あ、おはようございます!」

 やる気に満ち満ちた元気な娘の声が、部屋全体に響き渡る。

「大丈夫ですか? なんかソファーから落ちてたみたいですけど」

 そう言って、エフェルローンを気遣う娘の声は、甲高いわけでも低すぎるわけでもなかったが、二日酔いもはなはだしいエフェルローンにとって、今はどんな声も殺人レベルの凶器であった。

「悪い……その声のトーン、少し落としてくれる?」

 たまらずエフェルローンはそう注文をつける。
 そして、ズキズキ痛み始めた頭を抱えながら、声のする方を向いてこう言った。

「君、誰……?」

 徐にソファーに座りなおし、エフェルローンは声のした方――ソファーの後ろに立つ人影を眇め見る。

 と、そこには。
 年の頃は二十歳前後の、緩くウェーブの掛かった紅茶色のショートヘアに、栗色の瞳の娘がなぜか嬉しそうに立っていた。
 片手に雑巾を、もう片方の手には鉄製のバケツを持ったその娘は、バケツを埃っぽい床の上に勢いよく置くと、臙脂色えんじいろの上着の腕を捲り、雑巾を喜々と絞りながらこう言った。

「私は、ルイーズです。ルイーズ・ジュペリって言います。ルイーズって呼んで下さい! この度、今日付けで伯爵の下|《した》に配属されました! 新人ですが、一応憲兵魔術師です。以後、よろしくお願いします!」
 
――新人?

(おいおい……聞いてないぞ、そんなこと)

 寝耳に水の話に、エフェルローンは思わずげんなりした。

 憲兵の仕事はピンきりとはいえ、場合によっては自分の生死を左右する危険な案件が回ってくることもある。
 そんな中で新人のフォローをしつつ、任務を成功させるのは至難の業と言っていい。
 しかも、信頼の置ける相棒もなく、体力もそこそこ、魔力も減退してしまっているエフェルローンに、新人の命を預かる余裕など全くなかった。

(適任者は俺以外にもたくさんいるだろうに……それとも何か訳ありなのか?)

 エフェルローンはまじまじとその娘――ルイーズを見る。
 普通の子より少し可愛いという程度で、別段気になる要素はない。

(訳ありってことでもなさそうか。なら、新手の嫌がらせってところか。ったく、上層部うえは一体、何を考えてるんだか)

 「無駄なことを」とばかりに、しばし寝ぼけ顔で沈黙するエフェルローンを、ルイーズは不安そうに見詰めている。
 そんなルイーズに気づいたエフェルローンは、困ったように寝癖の付いた頭を掻くと、詳しい説明をすっ飛ばしてこう言った。

「俺の下に配属ってのは、きっと何かの間違いだろうね。俺はそんな話上から聞かされていないし。もう一度、人事課に行って確認してくるといいよ」

 素っ気無くそう言うと。
 エフェルローンはズキズキする頭を片手で抑えながら、部屋の隅に置いてある魔法を動力とした簡易冷却装置の中から、硝子瓶がらすびんに入った水を一本取り出してがぶ飲みする。

 一瞬、頭の痛みが消え、ため息を吐くエフェルローン。

 しかし――。

「ま、間違いじゃありません!」 

 ルイーズはそう慌てた様子で叫ぶと。
 ポケットから何やらくしゃくしゃの紙を取り出し、その皺を懸命に引き伸ばすと、これでもかと言わんばかりにエフェルローンの眼前に突きだした。

「…………」

 一瞬の安らぎをルイーズの大声で奪われたエフェルローンは、剣呑な瞳でその突き出されたくしゃくしゃの紙を見ると、不快感も露わにこう言った。

「……なにこれ」

 そして眉間に縦皺を刻むと、深いため息と共に呆れ果てた様にこう言った。

「これ、点数の悪かったテストの答案か何か? よく机の奥の方に入ってるやつ」
「…………!」

 さすがに恥ずかしかったのだろう。
 ルイーズは顔を真っ赤にし、声を裏返しながら早口でこう言った。

「じ、辞令書……です! い、急いでいたので、ちょっと……しわ寄っちゃいましたけど! 間違いなく、今日発行された出来立てほやほやの辞令書です! 憲兵庁長官の名前もちゃんと入ってますよ、ほら!」

 そう言って、長官のサインをこれでもかと見せ付けてくるルイーズ。
 その一際甲高い声に。
 エフェルローンは堂々と片耳を指で塞ぐと、徐にルイーズに向かって手のひらを突き出した。

「な、なんですか? もしかして、袖の下……」

 そう言って顔を強張らせ、動揺するルイーズに。
 エフェルローンは、ため息交じりにルイーズの顔を見上げるとこう言った。

「悪いが、俺はそんな物分かりのいい憲兵じゃないんでね。賄賂は不要だ。その代わり、君の言っている話の事実確認がしたい。ほら、その辞令書とやら……取り敢えず見せてみな」

 そういうと、エフェルはルイーズのほうへと更に手を伸ばす。
 そのとき、背中に引っ掛けていた上着が床にバサリと落ちる。

「あっと、悪い」

 そう言って、上着を拾い上げるエフェルローンのその姿に。

「あ……」

 ルイーズは、そう小さく呟くと。
 淡い栗色の瞳を大きく見開き、弾かれたようにこう言った。

「その傷……」

 おもむろに上着を拾い上げようとするエフェルローンの身体には、様々な種類の無数の傷が痛々しく刻み込まれているのであった。
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