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#100 雨はやんでいた
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*月*日
雨はやんでいた。蛙の大合唱も鳴りを潜めている。ただお堀の方からウシガエルの鳴き声が聞こえてくる。
こんもりと生い茂る鎮守の森を右に見ながら畦道をのんびり歩いていくと突き当たりにあるバスの停留所に土地の人ではない見知らぬ女性が立っていた。
服装があか抜けていたし、何よりも綺麗だった。
気まぐれに声をかけてみたら、どうなるだろうかと空想にふけってみたが、やはり空想の中までも苦手意識を引きずっていて、会話はまったく弾まなかった。
お天気の事を話したら、もう何も言葉が出てこない。どちらからいらっしゃったんですか、或いは、お住まいはどちらなんですか、この程度なら失礼にはあたらないだろう。けれど、その言葉すらその時には出てこなかった。
会話はキャッチボールなのだからそのタイミングで出てこなければ、それで終わりなのだった。投げ返さなければボールが返ってくるはずもない。今になってああ言えばよかったなどと思ったところで後の祭りだった。
しかし、あんな綺麗な女性を前にしたら、普段通りに話せという方が無理だろう。いったいこの村にどんな用事があったというのか? お墓まいりとかなのだろうか。
大きなお寺ではないが、それなりの広さのお墓がこの村にもある。あるいは、結婚の報告がてら帰省したとか。
しかし、猛反対され絶縁を言い渡されたとか、それは旦那さんというのが、いわゆる反社会的勢力の団体職員で彼女はよりにもよって彼の見事な刺青が入った上半身裸の写真を親御さんに見せたからとかだろうか。
彼女としては親に嘘をつきたくはないし、現在の彼を隠すことなく紹介し受け入れてほしかったというのは確かにあったのではないだろうか。その気持はわからなくもない。
確かに隠していたところで結婚してから事実が露見して親戚中から村八分になるやも知れず、そのことを考えるならばはじめから堅気の人ではないと知らせておいた方が逆に波風は立たないのかもしれない。だがいずれにせよ周りに知られない内に破談にされてしまうのがオチではないか。
なんてバカなことを考えながら、美人さんの顔を思い出していた。
それにしても、好きになった人がたまたまヤ印の人だったというだけの話で、戦争になれば他国の人間を殺せば殺しただけ功労者として勲章をもらえるというのが常識としてまかり通っているこの世界で、ちゃんちゃらおかしい話だと思った。
非常にわかりやすいので反社会勢力というのが、「悪」として認知されているが、悪いのはほかにいくらでもいる。
むしろ、それら表には絶対に出てこない善の仮面を被ったやつらが、やりたい放題やって、世の中を蝕んでいる。
まあ、それらもいつかは大鉄槌が下るはずだ。そんなことより、問題はあの美人さんだった。あんな別嬪さんを花嫁にもらえたなら、どれだけ幸せなことだろう。
毎日が楽しくて仕方ないにちがいない。まあ、大袈裟でなく、まさにそれこそ天国だろう。
家に帰ると、ばあちゃんと猫のチャコが一緒にころがるように飛び出してきて、開口一番
「ヨシユキ、どこいってたん、いまな、おまえの嫁さんになるっちゅう綺麗な女の人が、ご挨拶に参りましたゆうて、来てたんやぞ?」
オレは腹を抱えて笑ってしまった。「ばあちゃんも、もうろくしたな、はははは」
すると、間髪を入れずにばあちゃんの右の正拳突きが、腹に見事にヒットして、オレはその場に崩折れた。ゲ、ゲホッ!
「な、なにすんねんなー、ばあちゃん」
床に向けてオレはそう蚊が囁くように声を絞り出すのが精一杯だった。涙ぐんでいたのは内緒だ。
やがて、頭上から静かな声音でばあちゃんのハスキーボイスが降ってきた。
「あんなー、ヨシユキ、よく聞けよ。おまえには黙っといたんやけど、おまえ実は、ホンマのうちの子やないんや。由緒あるお寺さんのご住職から、おまえを預かってくれと託されたんや。せやからおまえには、生まれた時から許嫁がおって、あとは目出度く祝言を挙げるばかりっちゅうわけや。よかったな、ヨシユキ。黙ってて悪かったけど、口止めされててん。許してな」
俄かには信じられないことだった。あまりにも急な展開で、それも思ってもみない展開で、しあわせが天から降ってきた。
雨はやんでいた。蛙の大合唱も鳴りを潜めている。ただお堀の方からウシガエルの鳴き声が聞こえてくる。
こんもりと生い茂る鎮守の森を右に見ながら畦道をのんびり歩いていくと突き当たりにあるバスの停留所に土地の人ではない見知らぬ女性が立っていた。
服装があか抜けていたし、何よりも綺麗だった。
気まぐれに声をかけてみたら、どうなるだろうかと空想にふけってみたが、やはり空想の中までも苦手意識を引きずっていて、会話はまったく弾まなかった。
お天気の事を話したら、もう何も言葉が出てこない。どちらからいらっしゃったんですか、或いは、お住まいはどちらなんですか、この程度なら失礼にはあたらないだろう。けれど、その言葉すらその時には出てこなかった。
会話はキャッチボールなのだからそのタイミングで出てこなければ、それで終わりなのだった。投げ返さなければボールが返ってくるはずもない。今になってああ言えばよかったなどと思ったところで後の祭りだった。
しかし、あんな綺麗な女性を前にしたら、普段通りに話せという方が無理だろう。いったいこの村にどんな用事があったというのか? お墓まいりとかなのだろうか。
大きなお寺ではないが、それなりの広さのお墓がこの村にもある。あるいは、結婚の報告がてら帰省したとか。
しかし、猛反対され絶縁を言い渡されたとか、それは旦那さんというのが、いわゆる反社会的勢力の団体職員で彼女はよりにもよって彼の見事な刺青が入った上半身裸の写真を親御さんに見せたからとかだろうか。
彼女としては親に嘘をつきたくはないし、現在の彼を隠すことなく紹介し受け入れてほしかったというのは確かにあったのではないだろうか。その気持はわからなくもない。
確かに隠していたところで結婚してから事実が露見して親戚中から村八分になるやも知れず、そのことを考えるならばはじめから堅気の人ではないと知らせておいた方が逆に波風は立たないのかもしれない。だがいずれにせよ周りに知られない内に破談にされてしまうのがオチではないか。
なんてバカなことを考えながら、美人さんの顔を思い出していた。
それにしても、好きになった人がたまたまヤ印の人だったというだけの話で、戦争になれば他国の人間を殺せば殺しただけ功労者として勲章をもらえるというのが常識としてまかり通っているこの世界で、ちゃんちゃらおかしい話だと思った。
非常にわかりやすいので反社会勢力というのが、「悪」として認知されているが、悪いのはほかにいくらでもいる。
むしろ、それら表には絶対に出てこない善の仮面を被ったやつらが、やりたい放題やって、世の中を蝕んでいる。
まあ、それらもいつかは大鉄槌が下るはずだ。そんなことより、問題はあの美人さんだった。あんな別嬪さんを花嫁にもらえたなら、どれだけ幸せなことだろう。
毎日が楽しくて仕方ないにちがいない。まあ、大袈裟でなく、まさにそれこそ天国だろう。
家に帰ると、ばあちゃんと猫のチャコが一緒にころがるように飛び出してきて、開口一番
「ヨシユキ、どこいってたん、いまな、おまえの嫁さんになるっちゅう綺麗な女の人が、ご挨拶に参りましたゆうて、来てたんやぞ?」
オレは腹を抱えて笑ってしまった。「ばあちゃんも、もうろくしたな、はははは」
すると、間髪を入れずにばあちゃんの右の正拳突きが、腹に見事にヒットして、オレはその場に崩折れた。ゲ、ゲホッ!
「な、なにすんねんなー、ばあちゃん」
床に向けてオレはそう蚊が囁くように声を絞り出すのが精一杯だった。涙ぐんでいたのは内緒だ。
やがて、頭上から静かな声音でばあちゃんのハスキーボイスが降ってきた。
「あんなー、ヨシユキ、よく聞けよ。おまえには黙っといたんやけど、おまえ実は、ホンマのうちの子やないんや。由緒あるお寺さんのご住職から、おまえを預かってくれと託されたんや。せやからおまえには、生まれた時から許嫁がおって、あとは目出度く祝言を挙げるばかりっちゅうわけや。よかったな、ヨシユキ。黙ってて悪かったけど、口止めされててん。許してな」
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