パサディナ空港で

トリヤマケイ

文字の大きさ
上 下
86 / 216

#86 ぼくのイヴ

しおりを挟む
*月*日

 

 サトシは、充電が切れかかったスマホの電源を落として、音もなくベッドルームに入ってゆく。

 アヤは、まだ起きていた。
  
    とはいってもそれはサトシが勝手に付けた源氏名であり、サトシは彼女の本名などしらない。ケンジかもしれないし、オサムかもしれない。

 真っ暗な部屋のなかで、ケータイの灯りに青白く浮かびあがる、アヤの顔。

 小さな画面を見つめながら、なにやら深刻な内容の文面でも打っているのだろうか。

 その真摯な様子が伝わってくるので、おやすみの声すら掛けられないのだった。

 とはいっても、サトシは眠りにきたわけでもないし、サトシのいう「おやすみ」はまた別な意味の、おやすみなのだけれど。

 サトシの頭のなかでは、ラマタムいう昔のハードロックバンドの楽曲が流れている。

    そのリズムに合わせるようにして、チューインガムを噛む。もうブルーベリーの味がしない。

   さらにもうひとつ、口のなかに放り込むか、新しいガムだけにするか、少しだけ悩んでみた。

 今夜のアヤは、スレンダーで髪はワンレンのようだ。ピーナッツバターみたいな、なにか甘い匂いがする。

 昨夜は、ボブでぽっちゃり系のアヤだった。ちなみに、サトシはぽっちゃり系も好き。

 お気に入りの真っ赤なパーカーのフードを下ろすと、アスファルトを走行する自動車のタイヤの音が、聞こえてきた。どうやら雨が降ってきたようだ。

 いつものことながら、バタフライナイフを先ずちらつかせるのだけれど、今夜のアヤは、なぜまた怖がらないのだろう。

   見ず知らずの男がニューハーフヘルスの女の子が住むお店の寮に侵入しているのに、である。

 だが、近づいてゆくとアヤの歯がカチカチと鳴り出した。どうやら恐怖に声すら上げられないらしい。

 すぐ楽にしてあげるからね、そうサトシは心のなかで嘯く。

 さらに近づいて少しばかり驚いた。今夜のアヤは上玉だし、それに男の娘だった。

 胸はなく中性的ですこぶる付きの美形なターゲットに、サトシは気後れすら覚えた。

 用意してきたタオルで、アヤを後ろ手に縛る。獲物を傷つけないように細心の注意を払って両手を縛り上げてゆくのが、サトシの美学だ。

 と、その手首から二の腕にかけて、ザラついた感触に驚いて手を止めた。

 見るまでもなかった。

 間違いなくリスカだ。

 生半可ではない夥しい数の傷跡。

 この男の娘は、いったいどれほどの苦しみをくぐり抜けてきたのだろう。

 この傷のひとつひとつが、彼女の苦悩の表出であり、また唯一の逃げ場なのだ。

 そう思ったら涙がこみあげてきた。

 こんな人形みたいな整った顔なのに、いったい何を悩んできたのだろうと、醜いサトシは思った。

 まるで美女と野獣さながらだな、と苦笑する。

 そして、やっと見つけたと思った。

 心に深い痛手を負った、この美しく穢れないアヤこそが、サトシにはふさわしい。 

 そう思った刹那、サトシは心に決めていた。でも、そう決めてしまったらなおさら、彼女が可哀想でならなかった。

 愛する男の手にかかるならまだしも、こんな見ず知らずの醜い男の手にかかって道連れにされるなんて、アヤが憐れでならなかった。

 でも、ぼくもじき逝くから。

 ひとりじゃ寂しいだろ。

 そうつぶやいて、サトシは、白磁のごとく透き通るように白い、アヤのか細い首に手をかけた。

しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

体育座りでスカートを汚してしまったあの日々

yoshieeesan
現代文学
学生時代にやたらとさせられた体育座りですが、女性からすると服が汚れた嫌な思い出が多いです。そういった短編小説を書いていきます。

【Vtuberさん向け】1人用フリー台本置き場《ネタ系/5分以内》

小熊井つん
大衆娯楽
Vtuberさん向けフリー台本置き場です ◆使用報告等不要ですのでどなたでもご自由にどうぞ ◆コメントで利用報告していただけた場合は聞きに行きます! ◆クレジット表記は任意です ※クレジット表記しない場合はフリー台本であることを明記してください 【ご利用にあたっての注意事項】  ⭕️OK ・収益化済みのチャンネルまたは配信での使用 ※ファンボックスや有料会員限定配信等『金銭の支払いをしないと視聴できないコンテンツ』での使用は不可 ✖️禁止事項 ・二次配布 ・自作発言 ・大幅なセリフ改変 ・こちらの台本を使用したボイスデータの販売

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

会社の上司の妻との禁断の関係に溺れた男の物語

六角
恋愛
日本の大都市で働くサラリーマンが、偶然出会った上司の妻に一目惚れしてしまう。彼女に強く引き寄せられるように、彼女との禁断の関係に溺れていく。しかし、会社に知られてしまい、別れを余儀なくされる。彼女との別れに苦しみ、彼女を忘れることができずにいる。彼女との関係は、運命的なものであり、彼女との愛は一生忘れることができない。

【⁉】意味がわかると怖い話【解説あり】

絢郷水沙
ホラー
普通に読めばそうでもないけど、よく考えてみたらゾクッとする、そんな怖い話です。基本1ページ完結。 下にスクロールするとヒントと解説があります。何が怖いのか、ぜひ推理しながら読み進めてみてください。 ※全話オリジナル作品です。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

処理中です...