パサディナ空港で

トリヤマケイ

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#70 ジャマ・エル・フナ広場

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*月*日


   そのとき、マラケシュのジャマエルフナ広場の夜の屋台で、オレは白身魚のフライを注文していた。何か不思議なデジャヴに見舞われていたが、敢えて言葉にはしないようにした。

   そのデジャヴがどんな場所で、どんなシチュエーションだったのか、わかりすぎるほどわかるので、それを言葉にすることで定着させたくはなかった。

   なにか様子がおかしいと敏感に察知したのだろう、飛鳥がどうしたの? といいたげな眼差しを投げてきた。

「つまらないことを思い出しただけ」

   そう言って飛鳥の薔薇色の頬に軽くkissした。ほんとうはこっぱずかしい惨めな想い出だった。

    夏の林間学校で最大の山場であるキャンプファイヤーの際に各クラスで何かひとつ出し物ををすることになっていた。

   何をやるのか、それを決める時おれらのクラスは、まったくやる気がなく、誰かが演劇をやろうといったら、いいじゃん、何か劇をやろうということに決まったのだが、それは、何がいいのか考えることが面倒だっただけの話で、たまたま誰かが演劇がいいんじゃねと発言したから、それに乗っただけのことだった。

   だから、出し物はフラッシュモブであろうが、女装と男装のファッションショーであろうが、エアギターコンテストであろうが、なんでもよかったのだ。ただ話し合いを一刻も早く終わらせてしまいたいという、しょうもないクラスだった。

   そんなわけだから、演目が「ロミオとジュリエット」に決まったら、もうそれで満足してしまい誰も何もやらなかった。演目が決まっただけで自分を誤魔化して不安な気持ちを何やら達成感にすり替えてしまったようだ。

   ずるずると時間だけが経過し、誰かがなんとかするだろうと思っているだけで、具体的に芝居の台本すら作ることをしないまま林間学校の当日が来てしまった。

   そして、その当日。

   クラスの名を呼ばれたオレらは、気づくと劇用に用意だけはした衣装を身にまとい、美しいキャンプファイヤーの周りをただまわっていた。

   恥ずかしさに気が遠くなるようだった。しかし何周まわっても奇跡は起こらなかった。あたりまえだった。

   台本もなく何の練習もしていないのだから、できるわけもなかった。ほんとうは機転の利くやつがいて、その場でアドリブのエチュード的なものをやればよかったのかもしれない。

   ロミオとジュリエットじゃなくても全然いい。何か恋愛もので簡単な設定さえ決めてあれば。

   たとえば誰もが経験する告って無残に散るみたいなシノプシスだけさえあれば何とかなっていたかもしれなかった。でも誰もが人任せで何もやらなかったのだ。

   あの時の途方に暮れたシーンをいまこの夜のジャマ・エル・フナ広場でなぜか想い出してしまったのだった。

   飛鳥にあの時のみじめな気持ちが僅かでも伝わらないようにしたかった。だからすっとぼけて嘘をついた。

   あの時、アドリブの寸劇でダダ滑りのぼろぼろになって、大笑いされた方が何もしない恥ずかしさよりもよっぽどよかったにちがいなかった。

   しかし、なぜまたあそこまでクラス全員が無気力だったのだろうか。今流行りのワンチームの真逆だった。クラス全員がバラバラだったわけだ。

   よくはわからないけれど、あれは何か「働いたら負け」に似ているかもしれないと唐突に思った。

   働くことによって、資本主義に加担することになり、スズメの涙ほどのお給金をいただくことによって、主従関係が生まれ奴隷契約は見事に締結される。

   とはいっても何も食べなければ餓死するほかないのだから、わざと犯罪を犯し塀の中で暮らすことを目的にする人もいるかもしれない。いや、いるだろう。自由をある程度我慢したら……

   とそこで、いったい自分は何を考えているのかと思った。とにかく、あの無気力さ加減は怖ろしいものだと思うほかなかった、ということを考えていたのだ。

「働いたら負け」の何ものかにいかにも抵抗しているかのような感じが、燃え盛る美しいキャンプファイヤーの周りを赤恥をかきながらも廻り続けたことに何か似ていると感じているのかもしれない。

   実は、それは決して何も演じないぞという頑なな意志を現わしていたのではないか。

   クラスの誰ひとりとして、そん考えを抱いているわけもなかったが、知らず知らずのうちに、烏合の集のような無言の行進を敢行していたこと、それは、何かひたむきな強い意志というものを表していて、それを演じさせられていたのかもしれなかった。

   だから、あれは前衛演劇だと言い張れば、罷り通ったのかもしれない。わけのわからないアヴァンギャルドがもてはやされていた時代もあったのだから。

   たしかにあの恥ずかしさと情けなさ、あるいは、やるせなさに鎮痛な面持ちで俯いたまま、重い足枷を引きずるように進む無言の行進は、前衛演劇そのままだった。

   そう。そしてあれは、胎内の胎動ともいえるかもしれない。燃え盛る炎は、むろん生命だ。

   生きていくうえには、何らかの負荷が必要であり、その負荷に抵抗していくことが即ち生きることであるといえる。その抵抗を無言という所作で表していたのではないか。

   人生は、平坦な道ばかりではなく、幾多の障害物を乗り越えていかなくてはならないが、人は元来、怠け者にできている。朝起きることからして、既に眠気に抵抗し戦わなければならない。

   出来れば行動したくないし、考えたくもない。脳は実のところ、考えることがきらいらしい。面倒くさいのだ。

   遠い日のキャンプファイヤーのオーバーラップはゆなゆなと消えていき、再び賑やかな夜のジャマ・エル・フナ広場が戻ってきた。

   甲高い客寄せの呼び声が、やけにうるさい。そういえば、このモロッコに限らず外国人観光客を舐めてかかり、ぼったくってくるのはどこでもよく聞く話だ。

   たとえば、注文した品以外にさりげなく料理や茶を出してきて、freeとか言うのでサービスなのかと思いきや、ちゃっかりと請求してきたりする。

   それに気づかれたとしても旅先でもあるし、クレームをつけてわざわざもめるのは嫌だろうから、うやむやにしてしまうだろう、というそこまで考えてのぼったくりや、余計な物まで出して売り上げを伸ばそうとする悪辣なやり口だった。

   人生には初めからその人が成長するための負荷なり試練が用意されているが、それ以外に詐欺や様々な争い事など余計な火の粉も降りかかってくる。

   そんな火の粉を振り払い、飛鳥を幸せにし護っていくのが、これからの自分の役目だろう。

   飛鳥の顔を覗き込み、髪をもしゃもしゃにした。いま、飛鳥は新しい生命を宿している。

   明日の便でどこだったかトランジットして東京へと帰るが、旅先に向かうワクワク感とはまた異なる、胎内回帰とでもいうような懐かしいなんとも言えない満ち足りた気分で機上の人となるのだろう。

   ジャマエルフナは、アラビア語で死人の集会場を意味し、かつてそこが処刑場であったことに由来していることを知ったのは、ホテルに帰ってきてからだった。

   つまり、キャンプファイヤーの烏合の集による無言の行進を想起させたのは、そういうわけだったらしい。はじめから知っていたら、行かなかったかもしれない。

   それはともかく、男の子か女の子かもわからないのに、名前のことで早くもオレは頭を悩ませていた。


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