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#3 さんざめき
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それは、個人がやっている小さな美術館で、前から気にはなっていた。
ぼくは、その時、中目黒に住んでいて、その小さな美術館は、アパートのすぐそばに建っていた。
散歩のたびにいつか入ってみたいと思わせる何かがあったけれど、ついつい入りそびれてしまっていた。
何があるのか、見たいけれど入ってはいけないよと、いつも誰かにひきとめられているような気がして、入ることが出来なかった。
まるで、童話のなかに出てくるような、ほんとうに小さな美術館で、受付もなく自由に観ることが出来るけれど、誰も見向きもしない施設だった。
そんな質素な個人美術館を、いつも通りから眺めては、入りたい気持ちをキャンセルし続けてきたのに、ある日、何を思ったのか、ぼくはついに入館してみたのだった。
そして、陳列されている、おそらく誰も見てはくれないコレクションたちと、やっと対峙した。
だが惹かれるものは何一つなかった。
保安用にカメラは設置してあるだろうけれど、盗まれてもいいようなものばかりを置いてあるだけなのだ。つまり税金対策で一般に公開しているわけだ。
でも、そんなガラクタの中で唯一、墓の中を連想させるひっそりとして冷たい、小さな藍色の壺が目にとまった。
上からこっそりとその中を覗いてみた。すると、声というか、さんざめきが聞こえたような気がした。
目を凝らしてみても、何も見えるはずもないのに、さんざめきが気になって見ることをやめられなかった。
ただの空耳かと、帰ろうとしたとき、また、遠くから聞こえてくるような、さんざめきが、確かに聞こえた。
そして、小さな人たちが、薄っすらと浮かびあがるように、見えてきた。
その人たちはお墓に住んでいた。お墓の通路みたいなところや、隅っこに至るまでとにかく空いているところがないくらい、みっしりと小さな人で埋まっていた。
そこには、暗い顔の人など誰ひとりとしていない。老若男女の彼らは、一様に笑顔でお喋りに余念がなかった。
お墓なのに、まるで暢気で陽気なお花見客みたいじゃないかと思った。
やがて、花見客の幸せそうなさんざめきが、不意に消えると、誰かの講釈が始まったらしく、みな一斉にそちらを向いた。
いったい、何の話しをているんだろうと、耳を澄ましてみると、
「血湧き肉躍らせるのが、生きている証しを得られる唯一の方法ではない。死んでみるのも生きていた証しを得られる方法だ。もう取り返しがつかないが。
もう二度と後もどり出来ない絶対的なピンチ、例えば、ビルの屋上から飛び降りて、或いは駅のホームから線路へと飛び込んで、地上に激突するまでの数秒間、鉄の車輪に引きちぎられる数秒間に、合格者の中に自分の番号があった時とか、イジメられてきたこととか、両親の離婚とか、推しメンにガチ恋してたとか、友だちの裏切りだとか、実らなかった初恋だとかを、きっと走馬灯のように思い浮かべるだろうけれど、もうその時には取り返しのつかないことをやらかしたんだなぁなんて後悔しても、遅すぎるのだよ」
空耳のように、ぼくはそれを聞いた。
「生きていさえすれば、やり直しは何度でもできる、恋人に逃げられたら、新しい恋人を探しなさい、ガチ恋の推しメンが結婚してしまったら、別の推しメンを見つけなさい、生きていることに絶望したら、すべてを投げうって推しメンを見つけ、愛しなさい」
説教くさいから偉いお坊さんだったのかもしれない。たぶん、ニーチェではないことは確かだろうけれど、死人に聞かせるような講釈ではないな、とは思った。
でも、みんなこんな笑顔なら、死んでみるのもまた一興ですかね、なんて思いながらぼくは、壺の中のお墓で生活する人たちを、いつまでも、いつまでも、眺めていた。
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