3 / 213
#3 さんざめき
しおりを挟む*月*日
それは、個人がやっている小さな美術館で、前から気にはなっていた。
ぼくは、その時、中目黒に住んでいて、その小さな美術館は、アパートのすぐそばに建っていた。
散歩のたびにいつか入ってみたいと思わせる何かがあったけれど、ついつい入りそびれてしまっていた。
何があるのか、見たいけれど入ってはいけないよと、いつも誰かにひきとめられているような気がして、入ることが出来なかった。
まるで、童話のなかに出てくるような、ほんとうに小さな美術館で、受付もなく自由に観ることが出来るけれど、誰も見向きもしない施設だった。
そんな質素な個人美術館を、いつも通りから眺めては、入りたい気持ちをキャンセルし続けてきたのに、ある日、何を思ったのか、ぼくはついに入館してみたのだった。
そして、陳列されている、おそらく誰も見てはくれないコレクションたちと、やっと対峙した。
だが惹かれるものは何一つなかった。
保安用にカメラは設置してあるだろうけれど、盗まれてもいいようなものばかりを置いてあるだけなのだ。つまり税金対策で一般に公開しているわけだ。
でも、そんなガラクタの中で唯一、墓の中を連想させるひっそりとして冷たい、小さな藍色の壺が目にとまった。
上からこっそりとその中を覗いてみた。すると、声というか、さんざめきが聞こえたような気がした。
目を凝らしてみても、何も見えるはずもないのに、さんざめきが気になって見ることをやめられなかった。
ただの空耳かと、帰ろうとしたとき、また、遠くから聞こえてくるような、さんざめきが、確かに聞こえた。
そして、小さな人たちが、薄っすらと浮かびあがるように、見えてきた。
その人たちはお墓に住んでいた。お墓の通路みたいなところや、隅っこに至るまでとにかく空いているところがないくらい、みっしりと小さな人で埋まっていた。
そこには、暗い顔の人など誰ひとりとしていない。老若男女の彼らは、一様に笑顔でお喋りに余念がなかった。
お墓なのに、まるで暢気で陽気なお花見客みたいじゃないかと思った。
やがて、花見客の幸せそうなさんざめきが、不意に消えると、誰かの講釈が始まったらしく、みな一斉にそちらを向いた。
いったい、何の話しをているんだろうと、耳を澄ましてみると、
「血湧き肉躍らせるのが、生きている証しを得られる唯一の方法ではない。死んでみるのも生きていた証しを得られる方法だ。もう取り返しがつかないが。
もう二度と後もどり出来ない絶対的なピンチ、例えば、ビルの屋上から飛び降りて、或いは駅のホームから線路へと飛び込んで、地上に激突するまでの数秒間、鉄の車輪に引きちぎられる数秒間に、合格者の中に自分の番号があった時とか、イジメられてきたこととか、両親の離婚とか、推しメンにガチ恋してたとか、友だちの裏切りだとか、実らなかった初恋だとかを、きっと走馬灯のように思い浮かべるだろうけれど、もうその時には取り返しのつかないことをやらかしたんだなぁなんて後悔しても、遅すぎるのだよ」
空耳のように、ぼくはそれを聞いた。
「生きていさえすれば、やり直しは何度でもできる、恋人に逃げられたら、新しい恋人を探しなさい、ガチ恋の推しメンが結婚してしまったら、別の推しメンを見つけなさい、生きていることに絶望したら、すべてを投げうって推しメンを見つけ、愛しなさい」
説教くさいから偉いお坊さんだったのかもしれない。たぶん、ニーチェではないことは確かだろうけれど、死人に聞かせるような講釈ではないな、とは思った。
でも、みんなこんな笑顔なら、死んでみるのもまた一興ですかね、なんて思いながらぼくは、壺の中のお墓で生活する人たちを、いつまでも、いつまでも、眺めていた。
0
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
【Vtuberさん向け】1人用フリー台本置き場《ネタ系/5分以内》
小熊井つん
大衆娯楽
Vtuberさん向けフリー台本置き場です
◆使用報告等不要ですのでどなたでもご自由にどうぞ
◆コメントで利用報告していただけた場合は聞きに行きます!
◆クレジット表記は任意です
※クレジット表記しない場合はフリー台本であることを明記してください
【ご利用にあたっての注意事項】
⭕️OK
・収益化済みのチャンネルまたは配信での使用
※ファンボックスや有料会員限定配信等『金銭の支払いをしないと視聴できないコンテンツ』での使用は不可
✖️禁止事項
・二次配布
・自作発言
・大幅なセリフ改変
・こちらの台本を使用したボイスデータの販売
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
男性向け(女声)シチュエーションボイス台本
しましまのしっぽ
恋愛
男性向け(女声)シチュエーションボイス台本です。
関西弁彼女の台本を標準語に変えたものもあります。ご了承ください
ご自由にお使いください。
イラストはノーコピーライトガールさんからお借りしました
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる