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あゆみとあゆむ4
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あゆむは、銭湯に行こうと最初の四つ角を曲がったところで不意に立ち止まり、回れ右すると再び来た道を戻りはじめた。
あゆむの頭上遥か彼方に銭湯の煙突の白い煙が、ゆるやかに立ち昇ってゆくのが見える。銭湯に行きがてら、今日が返却期限であるレンタルビデオを持って出ようと思っていたのを、すっかり忘れていたのだった。
いや、実のところあゆむは、わかっていてわざわざ忘れて来たのだった。自分でも馬鹿げている行為だとは思うのだけれども、それはひとつのお約束、儀式みたいなものなのだ。
むろん、時間のない時などは出来るわけもないのだが、日常の流れのなかで起こる齟齬というか、ちょっとした失敗———人間の生は、こういったものの連続なのだが———これらを逆に愉しんでやれというわけなのである。
実のところこれは、後になってあゆむが動機づけというか、正当化したのだけれども、実際は繰り返し行なっているうちに、それが儀式めいた様相を呈してき、いつしか逆にこの儀式にがんじがらめにされていながら、こういった遊びこそが生活にゆとりをもたらしてくれると意地になって頑なに信じようとしているという、皮肉というか、笑えない喜劇を実践しているのだった。
そもそもそんなことをやろうなどと思い立ったのは、ずっと以前に遡るのだけれど、吉祥寺のとある屋台で友達とふたりで呑んでいる時に、隣り合わせたカップルの男の方が、店の主人にトイレの場所を訊ねたことに起因する。
というのは、彼氏がトイレに立った後で、その彼女が唐突にあゆむに話し掛けてきたのだった。
「あの人、知ってるんですよ、トイレの場所。知っていてわざといつも聞くんです」さも愉しげに笑いながら彼女はそういった。
唐突にそんなことを見ず知らずの女からいわれても可笑しくもなんともなく、却ってしらけるばかりだったが、後になって妙にその男の行為が気になって思い出され、あの男は、なぜあんなことをし、女性もなぜあんなに愉しそうだったのだろうと、あゆむは考えさせられたのだった。
つまり、屋台にトイレがあるはずもないなのに、敢えてトイレの場所を聞いたということ。
そして、さらに店の主人も心得たもので、あたかもお店のトイレであるかのように公園のトイレの場所を教えたところに面白みがあるわけだ。
つらつらそんなことを考えているうちに、あゆむは自分でもそれと類似していることを既にやっていることに思い到った。
あゆむはギターをやっていて、ジャズを少しだけかじったことがあったのだけど、アドリヴをとる際にその楽曲のトーナリティから敢えて離れ、外した音を加えてゆくのが好きだった。
そのトーナリティからアウトしてゆく感覚がなんともいえず心地いいのだったが、それはコード進行をしっかりと把握した上でないと出来ない芸当であって、わかっていて敢えてアウトしてゆくのと、でたらめに弾いた結果、単にそうなるのとではまったく異なるわけだ。
という具合で、屋台での男のわけの分からない行動と似たようなことを、あゆむも恣意的に行なっていたと気付いてから、それをさらに日常生活のなかで実践してみるのにさしたる苦もなかった。
というわけで、あゆむはアパートへと続くバス通りをまいったなあ、などと独りごちながら、頭をかく———などというそんな演出をしてまでも、この不毛な試みをなんとか意義づけようと努力を惜しまないのだけれど、実は努力すればするほど全ては自己欺瞞以外のなにものでもないのではないのか、という思いをどうしても拭い切れないのだった。いや、払拭できないからこその努力ともいえた。
しかし、実際はやはり面倒な手続きを踏んでいかないと、狙い通りのよい結果はもたらされないのであって、そこにおいて型というものが必要なわけで、それらしく装わなければ、まったく意味のない行為へと一瞬にしてすべては無化してしまう。
自分ひとりでやるのだからこそ、それらしく振舞うことが更に肝要となり、それが皮肉にも自己欺瞞となるかならぬかのギリギリの瀬戸際なのだった。
自己欺瞞たらしめないためには、まず自分を騙さなければならないのだ。
屋台での男も、あたかもここが一個の店舗のように振る舞い、屋台のおやじも「ああ、うちのトイレはちょっと遠いんだけど」などと、言いつつ教えた場所は、なんのことはない近くにある公園の公衆便所なのだけれども、ここでおやじが、「公衆便所は、どこそこ……」などといったらすべてはぶち壊しなのである。
それらしく振舞うこと、そこがミソなのだ。もとより、屋台なのだからトイレなどあるはずもないのに、敢えてトイレの場所を訊き、訊ねられた方もそれに乗っかって、当然のように答える。
屋台の主人、トイレの場所を訊ねた本人、そしてその彼女と、この場合三人がこの遊びに参加しているわけで、少なくともこの三人は、共犯者めいたある種の連帯感を感じ———こういった遊びを理解しえない人には、それこそ鼻つまみものの臭い小芝居以外のなにものでもないのだろうけれど———当人たちは、確信犯的な喜びを共有したのだ。
ただあゆむには、くだらないジョークにつきあってくれるような暇人の存在はないわけで、いや、たとえばマックのカウンターで、確信犯的なジョークをぶちかまし、たとえ一瞬でも同じ時間を共有できえたと感ずることは可能だろうし、実際、営業スマイルでない笑顔を勝ち得たことは一再ならずあるにはあったが、逆に白けきった冷たい一瞥を送られることの方が圧倒的に多く、敢えて一瞬でも繋がりたいとか、共感を得たいなどと考えては駄目なのだと思い知らされていた。
一瞬でもつながりたいとか、共感を得たいとかではない。問題は、問題は……。
そう。たぶん、何らかの実益を、結果を効果を期待してはならない。何ものをも期待してはならないのだ。ただただ、とにもかくにもやみくもに繰り返し繰り返し、徒労であることがわかっていようが、無為な行為を重ねてゆくだけなのだ。
また、無為な行為だからこそ、逆に意味があり意義があることなのだなどと、天邪鬼ぶりを発揮しているわけでもない。
行為に目的など必要ではなく、結果も求めてはならない。ひたすら行為のための行為でなくてはならぬ。
誰も顧みることのない全くの無為だからこそ、それを為すことに意義があるなどというのは、もっての外なのだ。
行為の前に思考などあってはならないのだ。行為による行為のための行為。では、いったいそこに何が生ずるのか、などと考えてはならない。
思考することは、即ち行為停止を意味する。行為の前に思考はなく、また、思考の後に行為もない。
人生とは繰り返しなのだ。飯を食い、糞を垂れ、眠る。飯を食いながら考えたら食えなくなるし、寝しなにものを考えたら眠れなくなる。
飯を食うのに、糞を垂れるのに、そして眠るのに目的も結果も何も求めてはいない。
ただ食い、垂れ、眠るのみなのだ。本当に考えに考え詰めたら、まったく喉を通らず、出るものの出ず、眠ることすら出来るものではない。
———などと愚にもつかない思考を重ねたところで己の行為を正当化できるわけでもないのだが、すくなくとも思考が行為のさまたげになることを証し立てることは出来るだろう。
と、そこであゆむは軽い眩暈を覚え、傍らの電柱に手をついた後、コンクリート塀に背をつけたままずるずると座り込んでしまった。
どうしたって考え込んでしまうのだ。思考を断ち切ろうとしても、次から次へと考え込んでしまう。
いっそのこと電柱に頭を打ち付けて馬鹿になりたいと思った。思考を断ち切れたならどれだけ楽だろうと思った。それほどあゆむは病的に考え込んでしまうのだった。
まあ、これを思考などというのはおこがましいが、とまれ、あれやこれやと考え出して行動を妨げられてしまうのだった。
あることを為そうと、こうと決め行動を起すのだが、着手したとたんになんだかなんだとなんくせをつけ、いとも簡単に計画は頓挫してしまうのはいつものことだった。
つまり、考えに考え抜いてアウフヘーベンされたところの、新しい地平に降り立って新たにやり直そうというのではまったくないのだ。
それは、単に理屈をこねくり回すのが愉しいというのではなく、なんとかして、いったんは動き出したものを潰してしまおうという明確な意図を感じさせる。
それでは端から行動など起さなければよいのだが、そういわけにもいかないのである。
アイディアは次から次へと生まれ、やる気満々で事に臨むのだが、いざはじめてみるやたちまちやる気が失せてしまうのだった。
そこでああだ、こうだと理屈をつけだしはじめ、やめてしまうというパターンが常なのだった。
これが自分ひとりの中で行なわれるならよいのだが、他者を巻き込んでの事だから、巻き込まれた方は大変である。
その気になって助走をつけて飛んだはいいが、着地の場所が見当たらないという事態となる。それでひとり去り、ふたり去りして今日に至っている。
もとより人間は、どこまでいっても判りあえることなど皆無なのだから、それはそれでいいとしても、しかし、これはいったいなんなのだろうか。
他者を巻き込むことはなくなったものの、自分のなかでは相も変わらずいきつもどりつを繰り返している。
単なる気まぐれなのか。
ひとつの考えや行動に対して、すぐさまアンチテーゼを突きつけているもうひとりの異なる存在———それは、病巣のようなものか———を抱えているようなのだ。
あゆむはそんなことを考えながら、再び俯き加減で歩きはじめた。
やがて、アパートのそばまでやってくると何気なく自分のアパートを見上げたのだが、二階の窓から灯りが洩れている部屋は、自分の部屋だと気がついた。
たしか時間がないので、灯りもつけずに飛び出したのだが、これは予定外の演出だった。あゆむは、何か釈然としないまま、二階へと階段を上った。
階段を上がって右手四つ目のドアがあゆむの部屋である。鍵をジーパンのポケットから取り出し、鍵穴に差し入れると、ドアには鍵などかかっていなかった。何の抵抗もなく鍵は回転してしまった。
ビデオ、灯り、そして更になんと鍵もかけ忘れるという、二重三重の演出を用意していたことを、敢えて忘れる———という、演出を敢えて忘れるつもりが、実際に忘れてしまったのだろうか。
だとしたなら、これはこれで喜ぶべきことなのかもしれない。
やみくもにとにかく考える前に行動だと自分に言い聞かせ、砂を噛むような味気ない生に潤いをもたらすとか、大人の遊びだとか色々こじつけて、くだらないとは思いながらも、やり続けてきた試みが、やっとなんらかの実を結びはじめているのだろうか。
ジャズのアドリヴでいうのならば、敢えて外した音を交えながら、アドリヴを構成していくということを意図したというのではなしに、ごく自然に体の中から滲み出てきた音が、結果としてコードからアウトした音だった———といったところだろうか。
実際の演奏時に於いて、音を外すというのは、やはり勇気の要るものであり、その部分だけが突出したぎこちないものとなりがちだが、奏者がほんとうにその音を必要として、ごく自然に身体から滲むようにしてその音を出したならば、けっして取ってつけたようなイビツなものにはならずに、不協和を不協和と感じさせない大きなうねりの中に内包された、流麗に流れるひとつのラインとして聴こえてくるものなのだ。
いままであゆむが行なってきた試みは、あくまでも予定調和の世界内での出来事であったに過ぎないが、もし今回あゆむが無意識の内に第二、第三の演出を行なっているとするならば、そこではごく自然にアドリヴが為されたとういうことであり、予定調和から一歩抜け出せたわけなのである。
今までも敢えて音を外してきたには違いないが、すべては予定調和内の出来事であって、そこには偶然というものの介在する余地はなかったのだけれども、もし、自然体で無意識の内にアドリヴが出来るようになったならば———と、そこまで考えてあゆむは、はたと気がついた。
敢えてレンタルビデオを忘れてきたり、灯りを消し忘れてきたりするという行為は、つまり『擬似アドリヴ』だったのであり、それはジャズのAd-Libの精神そのものだったのである。
即ち、それは予定調和から脱却し、更なる自由を希求するという行為に他ならなかったわけなのだ。
ここに至ってあゆむは、自分のやってきた愚かしい試みの意味を理解出来た。あれやこれやと理由をこじつけて、あるいは、行為に意味など求めることは、行為を阻害することであるとして、やみくもに行なってきたひとつの試みを正当化できたのだった。
そこであゆむは、鍵穴からキーを引き抜き、ドアを開けた。
———と、あゆむは我目を疑った。
自分の部屋ではない。そこは、やけに整理整頓がゆきとどいたまったく見知らぬ空間だった。
あわてて、もう一度外へと取って返し、部屋番号を確かめてみた。204。むろん確かめるまでもない。
自分の部屋を間違えるわけもないのだった。それとも、これもまた敢えて忘れていたとでもいうのだろうか。
だが、それは一瞬の錯覚に過ぎなかった。
ゆうべ、バイトに出掛ける前にあまりにも汚い部屋を掃除したことを、あゆむはすっかり忘れていたのだった。そして、今夜帰宅して灯りも点けぬまま、泥のように眠ってしまったのだ。
と、その時。
未だに鍵穴から抜き取ったまま、鍵を手にしていることに気付いた。
そのまま、何気なく視線を右腕に沿って這わせてゆくと、なにやら違和感を覚えた。視線は握ったままの鍵からぶら下がっている皮製のキーホルダーでぴたりと止まる。
どうやら違和感は、ここより発生しているらしい。キーホルダーを表向きにしてみるまでもなかった。キーホルダーには、もう一本鍵が入っているのだった。
問題はそんな鍵の存在を一切関知していないということなのだ。
皮製のキーホルダーを広げると、その鍵は真ん中のフックに掛けられていた。先程使った鍵と同じALPHAという文字がエンボスされていて、寸分違わぬ形状である。
同じ形状からスペアキーかとも思ったが、スペアキーを一緒に持ち歩いている筈もなく、並べて仔細に見比べてみると、わずかだが形状が異なることがわかった。
同じALPHAの鍵で、なおかつ鍵の部分の形状がわずかに異なるとなると、つまりは、同じこのアパートのいずれかの部屋の鍵である可能性が高いのではないか。それを確かめるためには、ひとつひとつドアを確かめてみるしかないのだが———それにしても、なんということだろう。
この鍵の存在をまったく関知していないということは、やはり……やはり自分は、記憶をなくしているのだろうか。
あゆむは、いつしか額に脂汗を浮かばせながらも、なにか強力な磁力に引き寄せられるようにして、すぐ右隣の205のドアの前に立っていた。
先ずは、このドアからだ。
件の鍵を鍵穴に挿し込みひねると、カチリと開錠する感覚が、右手に伝わってきた。
実にあっけなかった。あっけなさすぎてあゆむは、たじろいだ。
しかし、いくら開錠できたとしても、他人の部屋を覗き見するような違和感は拭えなかったが、それよりも好奇心が勝ったのだった。
靴を脱いで部屋にあがり、デスクの上のラップトップに吸い込まれるように近づいていった。なぜなのか自分でもよくわからない。
とんでもない事実に直面してしまったのではないだろうかとの予感めいたものがあった。
いや、実はもうずっと以前からうすうすその可能性に思い至ってはいたのだが、どうしてもそれを否定したかったのである。
その為に言葉を弄してきたと言えなくもなのではないか。あゆむは、そんなことを考えながら、ラップトップを起動し、小説と書かれたフォルダを開いて、ずらりと並ぶタイトルらしきものの中から、『あゆみとあゆむ』というアイコンを見つけだした。
そして、それを開き、冒頭の文章を読み始めてすぐに、戦慄した。
まちがいない。
むさぼるように読み進め、やがて、すべてを読み終えたあゆむは、茫然とその場に立ちすくんだまま、どうしていいものやら途方に暮れた。
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