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メルカリ編
月に叢雲花に風 〜ネフェルティティの呪い
しおりを挟む🈲いわゆる18禁の内容を含みます。性的なテキストが苦手な方、そしてお子さまはお読みにならぬよう、お願い申し上げます。
🦀バスストップの女
タロウは、ネフェルティティの活動が順調で有頂天とまではいかないが、なんだかんだ調子ぶっこいていたのかもしれない。
むろん、それは恋がうまくいっているからだろうし、中学生が恋したように、いや、もう中学生の時のような純粋な気持ちはとっくのとんまに失くしてしまっただろうけれど、世界がキラキラ輝いて見えるのは、たぶんあの頃と同じなのかもしれなかった。
そんなウキウキした気分で、タロウは地下鉄に乗り込んだ。そして、そこでなぜか心に突き刺さってくる光景に出くわした。
それは、隣で砂浜に打ち上げられたセイウチの屍体のように両手で吊革にぶら下がり、テレピン油を塗布されたように光るザビエル禿げの頭を、がっくりともたげたままの男だった。
この不条理に過ぎる世界から遁走もせずに生き抜いているのだから少なくとも自分よりも遥かに強い男なのだ、なんの疑問もなく生きているわけもないだ。
タロウは、そう思いながらゴルゴダの丘のキリストの磔刑のようなその強烈な光景から視線を離すことが出来なかった。もしかしたなら、これは罪を贖えという暗示なのか。
やがてタロウは、後ろ髪を引かれる思いのまま、浮遊霊のように電車を降り改札をすり抜けると、エスカレータで地上に向った。
しかし、あらゆるものすべては、なぜまたこうも薄汚くなってしまうんだろう。もしかしたら、さっきのあのおっさんだって四十年くらい前は、紅顔の美少年だったかもしれないのだ。そしてそれは、とりもなおさず自分も遠からず襟足の辺りから加齢臭を撒き散らす、ただのおっさんと化すことを明示しているのだとタロウは思った。
誰しもエイジングから逃れられない。そして、エイジングと共に想い出が増えていく。人は、ノスタルジーに浸るのが好きだが、それはたぶん脳が喜んでいるからだと何かの本で読んだことがある。
確かにそれはそうなのかもしれない。自動で記憶を溜め込むという脳の記憶システムにより記憶された事象や物事が、一度もまさぐられることもなく、風化するに任せるよりは何かしらのアクションによって抽き出され、さらにそれに紐付いた事柄も思い出されるとなると、膨大な記憶の中から、その記憶を探し出し、さらにそれを再現させるという作業は、脳にとって負担どころか快楽に近いのではないだろうか。
そうでなければ、脳が物事を記憶している意味がない。やはり使われてこその脳の機能なのだ。どんなものでも使わないと錆びついたり固着したりして使いものにならなくなる。
Xで誰かが80年代のロックの再生のリンクを貼り付けたツイートをしていた。タロウは、ホームのベンチに座り、リンクをタップしてみた。懐かしい「Rebecca -フレンズ」だった。
〔脱線するが、ちなみに未だにネットニュースなどでX(旧ツイッター)という但し書きを見かけるが、あれは知らない人への思い遣りではなく、無意識のうちにちょっぴりノスタルジー入っているのではないか〕
それは、1985年の映像らしい。ちょうど40年前ということになる。40年前に渋谷公会堂でレベッカを観ていた人もいるわけだ。
音楽的には、まったく古臭くはなく、むしろ今のロックバンドよりも遊び心があって、実験的なことをやっていた。コメント欄には、さすがに50代くらいの人が多いようだが、懐かしい青春の1ページとして想い出される光景に音楽は必須なのかもしれない。
想い出がダイレクトに音楽に結びついている場合もあるだろうし、音楽が想い出に紐付けられているのかもしれないが、それほど若い世代には音楽が欠かせない。
やがて、そんな音楽への情熱はウソのように薄らいでゆき、厳しい現実から逃避するために、より強く濃い刺激を求めて不倫やらパチンコやら競馬やらアルコール、ドラッグ、更に刺激を求める者は、いわゆる犯罪へと興味は移行していく。
タロウは地上に出ると、きょうはまっすぐ帰りたくない気分だと思いながらも、いつもの習慣でバス待ちの長い列に並んだ。立ったままで眠りに落ちそうなほどだった。昨夜、生まれてはじめて坂口安吾を読んで眠れなくなってしまったのだ。
それは、六十枚弱ほどの作品だった。その小説の世界が不意に脳裏に去来し、焼き鳥の作り方であるとか、高低のない死の通奏底音だとか、空襲警報やら、カラカラという乾いた焼夷弾の音とか、あるいは、蕩けた炉心や、爆発で吹っ飛んだ建屋、豚の背にも日はさすのだろうかとか、現実と創作がごちゃ混ぜになったものを反芻するように想い出していると、前に並んでいた若い女の子が、不意に身体をタロウに預けてきた。つまり、寄りかかってきたのだ。
はじめは、貧血かなと思った。女の子には、よくあることだから。しかし、彼女は、タロウによりかかりながら、甘ったるい声で、こういった。
「ねえ、どこかいかない?」
そのひとことに、タロウのなけなしの理性はふっとんで、渡りに舟とばかりにいいね、と応えるかわりに、首を傾げこちらを向いた彼女の甘い唇を上から吸う欲望にかられた。誰かに見られるだろうか、むろん、誰かは見るだろう。でも、もうそんなことはかまやしない。どうにでもなれだ。戦争というあの信じられない未曾有の出来事のあとで、まともな心理状態でいられるわけもない。世界は、あの日を境にしておおきく変わってしまったんだ。
そうやって、タロウは安吾の小説世界の中の、自分は経験したことのない戦争という史実にあった悲惨な出来事に、自身を引きずられるままに任せた。
しかし実のところ、もろに小説に影響を受けているというテイで、非日常に身を置いて、傍若無人に好き放題無双したいという願望を解き放ちたかったのだ。
自分らしくはないけれど、一度は殻を破りたかった、ちがう自分になってみたかった。というか、心の奥底にいるもうひとりの獣のような自分を解放してみたかった。あくまでもこれは、ゲームなのだからと、タロウは自分にいい聞かせた。
バスがきた。
ふたりは、バスの乗り口へと前進しながらも、少しずつ少しずつ列からズレていく。それはあたかも、フェードアウトこそ美である、と控え目ながらも、フィジカルに表現しているようだった、知らんけど。
いや、大袈裟でなく、考えてもみてほしい。これは、日常からの逸脱なのである。実は、大変な事態なのだ。ふたりは、とりあえずおあつらえ向きに目の前にあった、カフェに入った。そして窓際の席に座るなり、タロウは、開口一番こういった。自己紹介もせずに。
「あ、おれ、アラブ系のヲンナが好きなんだ。だから、ほんとうだったら、顔を覆う、れいのアレをつけてほしいんだけど、ないから、マスクで代用」
そういって、マスクを手渡そうとしたら、あ、マスクならもってるからと、女は、ミュウミュウらしきバッグから、マスクを取り出して、つけた。
「でも。マスクは、いいいんだけど、こんなんで、ほんとうに代用になるわけ?」
「できれば、白じゃなくて黒ならもっといいんだけど、大丈夫。あとは、想像力でカバーするから。なんていうのかなあ。女性の瞳、まあ、目だけれど、ほんとうに魅力的だと思うんだよね。蠱惑的かな。なんかね、みつめていると、すいこまれそうな気がする」
「ふーん。そんなもんなんだ。じゃ、なおさら目が大きい人の方が、素敵よね?」
「やや。そんなこともないんだけど。とにかく布切れで顔を覆ってしまうと、ほかのパーツは消えて、目だけが強調されるよね。なんかさあ、それがとってもセクシーなんだよねえ」
女は、手馴れた手つきでタバコを咥えようとして失敗し、慌ててマスクをずりさげ、タバコを咥えて火をつけた。それをまともに見てしまったタロウは、坂道をころがるようにしゃべりはじめた。
「あの、たぶん憶えてないというか、そもそも知らないと思うんだけど、大韓航空機爆破事件てのが昔あったんだ。ま、Wikiで読んだんだけどね。その実行犯のひとりである、女性が捕まって、韓国に移送されるときの様子が、テレビで流されたらしんだけど、そのときの彼女は、大きなマスクみたいなもので顔が覆れていた。それは舌を噛んで自殺しないようにマウスピースをさせて、その上にマスクではなく、白い大きな楕円形のテープが貼ってあった。世の男性は、といっても多くは韓国の男性だろうけれども、その映像に釘付けになって、その瞳にやられてしまう人が、少なからずあったらしいよ。
そしてそれは、まちがいなく、マスクによって、他の造作が隠され、目だけが強調されたからだと思うんだ。この世で、不細工な目というのは、あまり聞いたことがない。また、美しさというものは、結局、バランスなのだから、瞳だけ美しくとも、他の鼻やら、口やら、顎やらがちょうどいい大きさで、バランスよく配置されていなければならないのだけれど、マスクなどで覆ってしまえば、マイナス要因となるものは、ほとんどなくなってしまうわけだよね。目だけで勝負すればいいわけなんだから」
「うーん。やっぱり目が大きい人の方が、いいわよねえ」
そこで、コーヒーがきたので、彼女は再びマスクを外して、コーヒーを口に運ぶ。
そして、やっと彼女の名前を聞いていないことに気付いたタロウは、自分の愚かさを呪ったが、こんな風に、切り出した。
「じゃ、そろそろはじめようかな。ええとね、たぶんだけど、子は、つかないよね?」
「は? なんの話?」と、きょとんとする彼女。
「名前さ。名前」
ああ。勝手に呼んでよ。好きな名前で。えへへへ。と、タバコを灰皿で揉み消しながら、彼女は、笑いだしたかと思うと、それは、シャレにならないほどの哄笑へと変わり、なぜか伝染したように店中の客たちも笑いはじめ、なかにはこちらを指差しながら転げまわって笑っているやつさえいた。テーブルをバンバン叩いているもの、身をよじったり、足を踏み鳴らしたりするものと、それは尋常な光景ではなかった。
しかし、たぶん、気のせいだろう。こんな理不尽なことはありえべからざることなのだから。と思ったが、それでもタロウは、いたたまれなさに大きな窓からビルの狭間に覗く矩形にひしゃげた空を眺めた。
すると、渦巻くような哄笑は、じょじょに遠のいていくのだった。騒音のような不快なノイズが、街なかの喧騒にかわり、やがて遠い祭りのさんざめきへとフェードアウトしてゆく。
下手の方から、ヒンデンブルグだろうか、あるいはツェッペリンだろうか、飛行船が地上の排気ガスまみれの空気ではない美しい気流に乗って、ゆったりと滑空していくのがみえた。こころ洗われる美しい瞬間だった。それは、無音であるからこそ、美しいのだとタロウは思った。
そう、とタロウは天啓のように覚った。美しいもの。美しいものをおれは探し出さなければならない。
気づけば、未だ哄笑の渦巻く店内を後にして、タロウはバスに飛び乗っていた。
タロウは移動するバスの中を歩いて、いちばん奥の席に座った。タロウの大好きなある写真家が、市バスだか、都営バスに揺られながら、前や横に座る若い女性をカラーで撮った写真をなぜか想い出していた。
バスの窓から、見知らぬ街を眺める。ああ、ルリは今ごろ何をしているのだろうと漠然と思った。
小さな町工場が、軒を連ねていた。見知らぬ街であっても、都内の街並みは、どこも似たようなものだ。どこか懐かしい匂いがする。
タロウは、以前住んでいたところで、ちょっとした竹林の笹の葉が、風に吹かれて聞こえてくる音を、遠い潮騒のようにして聞いたことを思い出していた。それは、ほんとうに素晴らしい響きだった。
囁きは、ほんのひとつだけだと、聞き取れないくらいちっぽけなものだが、その囁きが、無数と呼べるほどのクラスターとなったとき、音の様相は劇的に変わってしまうのだ。
うまく伝えられないのが悔しいくらいなのだが、笹の葉のさらさらという葉擦れの音は、聴き取れないくらいの囁きだからこそ素晴らしいのだ。そのかそけき音の囁きのような葉擦れが、無数の笹の数だけ増幅されたとき、それを形作るひとつひとつの慎ましやかな音の素による音像は、気が遠くなるほど、どこまでもしなやかに繊細で、広がりのある奥深さを有しているのだった。
あれはなんだったんだろうとタロウは、想った。明確にはわからない、あるかないかの、かそけきもの。その儚さゆえに美しいのだろうか。また、そこに無常を感じ取っているのだろうか。
タロウは、不意に自分の胸にぽっかりと大きな穴が空いていることに気づいて、愕然とした。この穴をどうにかして埋めなければならない。そして、そのやり方をタロウはひとつだけ知っている気がした。
🦀 画廊にて
ある日のこと。
タロウは、ふらりと入った銀座の画廊で、号あたり五万くらいの油絵でも買おうかと思った。良さげなやつを自分の部屋に飾ろうと思ったのだ。抽象画がいい。
父の趣味が油絵で、リビングには、父が描いた表現は具象なシュルレアリスムな画が飾られていた。以前掲げてあったターナーの風景画は、ほんとうに不思議でならないのだが、地震の際に跡形もなく燃えてしまったのだ。それはあたかも、カンバスに描かれていた背景の山並みのなかのひとつが噴火したのではないかと思わざるをえなかった。火は、カンバスだけを燃やし切って類焼はなく、額縁は焦げてさえいなかった。
だから、リビングには長い間、額縁だけが飾られていた。もちろん、常識的に考えたならば、額縁は絵のためにあるのだから、画のない額縁の存在価値はないに等しいと思われるのだが、それだからこそ不在というものが際立ち、初めて見た者は、いったい何が描かれていたのだろうかと、想像力を掻き立てられるようだ。
目ぼしい油彩画がみつからないまま、画廊をいくつか梯子していくうちに、タロウは、いつしか写真ギャラリーのエロティカな森に彷徨いこんでいた。よくよく見てみると、それらは、モノクロの写真に一枚一枚手彩色を施したエロティックな写真群だった。
モデルは、ごく若く、ロリータの匂いすらする。彼女たちは、小尻を、未だ蕾のような乳房を、そして、若草のような陰毛を、あっけらかんと晒している。
しかし、それらは、ポルノグラフィとはいわないまでも、芸術の匂いはしないのだった。モノクロ手彩色によって、古色蒼然とした趣きを醸し出すことに見事に成功してはいるが、すなわちそれは、そのことにより写真であることを自ら否定していた。あるいは、諦めていたといえばいいだろうか。
あたかも明治大正のような時代めいた古めかしい趣きと現代のギャルの瑞々しい肢体をミクスチュアすることにより、非常に巧妙に類型から抜け出し、オリジナリティを獲得したかのようにはみえる。
そんなことを考えながら、タロウが画廊から出ようとした、そのときだった。あの女に、また出会ったのだ。
その女は、あのキム・ヒョンヒに似ていた。大韓航空機爆破事件の実行犯である、韓国の男たちの心を鷲掴みにした、あの女だ。
タロウは、たまたまふらりと入ったこのフォトギャラリーで、彼女と一緒になった幸運を喜ぶと共に感謝した。電車の中で何回か見かけた美しい女だった。たとえ偶然にしても凄いことだ。なにかただならぬ因縁めいたものを感じてしまう。
———などと、タロウは演技する自分を楽しんだ。むろん、真っ赤な嘘だった。タロウは、女の行動パターンを数週間に渡り観察し、何回も拉致するシミュレーションを繰り返してきたのだ。だから、きょうの画廊巡りも彼女を追ってのことだった。
———そこまでが、実際の今考えた、きょうの設定だった。非日常を味わうには、バイアスが必要なのだ。
女は、ギャラリーで一枚の写真にずいぶんと長い間眺め入っていた。それほど気に入った写真がどんなものなのか、タロウは彼女に触れそうなほど接近しつつ、しかし足を止めぬまま、その写真を眺めた。
そこには、行水をし終えたばかりの全裸の若い女が、写っていた。ベッドの傍らには、水を満々と湛えた、今ではほとんど見ることのない大きな金盥があって、その鏡のように光を反射し、透明なはずの水面だけが、モノクロームのなかで唯一虹のようにカラフルに彩色されていた。
背景にある窓に架かるレースのカーテンは、初夏の風をその身いっぱいに孕ませ、微笑んでいるかのように見えた。
透き通るように白く、肌理細やかな女の肌は、艶かしく濡れ光っている。股間には、黒々とした陰毛が海草のようにのっぺりと貼り付いていた。
しかし、とタロウは思った。なにがそれほど女を惹きつけているのだろうか。横顔しか窺えないため、真意は計りかねるが、あるいは、彼女は、画など見ていないのかもしれないと思った。実のところ、その美しい眸には、なにものも映じていないのではないか。そう、女はきっと物思いに耽っているのだとタロウは、断定した。
腕組みをして、物静かに佇む女の後姿は、それだけで画になった。
そのフォトジェニックな美しい肢体。流れるような黒髪に、なで肩のか細い背。腰の見事なくびれ。豊かな臀部。引き締まった足首。
タロウは、ファインダーを覗きながら、女をフィルムのなかに落とし込んでゆく自分を想像した。レリーズするたびに震えてしまう指の震えを、どうしても抑えられなかった。その肢体は、息詰まるほどに美しい。しかし、タロウは女を全裸に剥いてしまうなどという馬鹿な真似はしない。
全裸にしてしまったならば、もう想像の余地はないからだ。薄絹一枚隔てた向こう側に秘匿されている、濡れた花弁を想像する、そこにエロティシズムはあるのだろう。
やがて、ギャラリーを後にした女は、ゆっくりとした足取りで、雑踏の中へと紛れ込んでゆく。しかし、もう逃しはしない。タロウは、ターゲットをロックオンした。
彼女は、有楽町マリオンを左に見ながら、晴海通りを数寄屋橋方面へと歩いていく。やがて数寄屋橋交番を過ぎてから、次の通りを左に入る。並木通りである。かつてここには、名画座である銀座並木座があった。タロウは小津安二郎監督作品が観たくて、何回か足を運んだことがあった。
並木通りを歩いてゆく彼女の向う先を知っているタロウは、鼻歌まじりで、のんびりとついてゆく。彼女は、週一回フラダンスか、あるいはホットヨガの教室に通っていた。きょうがちょうどそのレッスンの日だった。———という設定。
タロウは、追いかけながら、キャロル・リード監督、ミア・ファーロー主演の映画『フォロー・ミー』を思い出していた。恋人同士、あるいは、夫婦がいつまでも新鮮な思いでいられる、なにか秘訣はないものだろうか。しかし、一緒に暮らしているわけでもない恋人たちでもマンネリするのだから、夫婦となったらどれだけ倦怠するのだろう。考えただけでもタロウは、辟易としてしまうのだった。
映画では、妻であるミア・ファーロー演ずるところのベリンダの浮気を、旦那のチャールズが疑っていることが、お話の発端となっているのだが、ベリンダは、倦怠から浮気に走ったのではなく、チャールズを愛するがゆえの疎外感に苛まれ、独り懊悩していたのだった。
あるいは、村上龍の『共生虫』に出てくるワンシーンも想い出したり。それは、ウエハラが、たまたま出会ったちょっと頭のイカレタ女を追いかけるシーンだ。
その女自身は、まっすぐ歩いているつもりなのだろうが、右に左にと蛇行しながら歩いてゆくのだった。目的意識を持ったウエハラは、昼間出逢ったそのちょっとイカレタ女を殺害するために、女の家を再び訪ねるのだが、女はウエハラを他の誰かと勘違いして、歓迎してくれ、フィルムを見せてくれるのだった。作者はここで、ウエハラが防空壕のことを強烈に刷り込まれる、という体裁をとっていた。
つまり、このシーンは、ウエハラが防空壕で毒ガスを手に入れることへの伏線となる重要なシーンであり、ウエハラは、ムビオラと呼ばれる簡易な映写機で映像を見ながら、防空壕というキーワードを女から与えられるのだった。
追いかけられるより、追いかける方がいい。たぶん、追いかけている自分が、好きみたいなところは、誰しもあるかもしれない。だが、欲しいものが手に入った途端に興味を失ってしまうのは、どうにかならないものか。
あれだけ、崇高なほどに清らかな想いを抱き、熱い視線を注ぎつづけてきたというのに、なんでも自分の思うようになってしまうと、興醒めもいいところなのだ。あの、ドキドキする気持ちは、どこに消えてしまったのか。あの、泣きたくなるほどのときめきは、すべて幻だったのか。
しかし。と、タロウは思う。
今回はちがう。絶対に俺たちは、目には見えない運命の赤い糸で緩く、また、きつく結ばれているのだ。そして、俺はけっして彼女に飽きることなどない。なぜならば、俺はときめきのなかで———と、そこでタロウは、異変に気づいた。
タロウが目を離したすきに彼女は、どこかの店にでも入ってしまったのだろうか。並木通りに彼女の姿がない。
タロウは、確かに左に彼女が折れたのを見たのだ。あるいは、見誤ったのか。となると、考えられることは、並木通りではなく、並木通りの一本向こうの通りを、左にはいったのかもしれなかった。
タロウは、咄嗟にそう判断して、次の通りへと急いだ。次の通りの角には、グッチがたしかあったはずだった。次の通りに彼女の姿が見当たらなければ、もうお手上げだとタロウは思った。通りを左に折れる際、タロウは、抜け目なくなくグッチの店内を見遣った。すると、ショーウィンドウの向こうにグッチの店員さんとなにやら話している彼女の後姿を発見したのだった。
一安心したタロウは、ああ、それでと思った。彼女は、歩きながら何度か電話していたのだった。時間に遅れる旨をフラの教室に伝えていたのだろう。ただしかし、グッチでタイムセールが行われるわけもなく、レッスンの後ではだめだったのだろうか。不意に、それこそ雷に撃たれたように、グッチでどうしても買い物をしたくなってしまったのか。
今日こそは、決行しようとタロウは思った。いままでも何回かチャンスは巡ってきたのだが、そのたびに邪魔が入り叶わなかった。———むろん、という設定。
昼間の、それも衆人監視のなかで、ベリンダを追いかけてゆくチャールズみたいに追いかけながら、彼女への思いをさらに募らせていきたかった。彼女を思い通りにしてしまう前に。
こうして、彼女に思い焦がれて、その跡を追い続けていくことは、なにものにも優る歓びであり、生きている充実感をタロウにもたらしてくれるのだ。彼女に夢中だった。炸裂するような思いを胸に追いかけることが好きなんだ、追いかけていると、やはり二人は繋がっているように思えてくる。同じ道を歩き、同じ景色を見、同じ空気を吸いながら、俺らは無言の内に会話しているんだと、タロウは思う。
ほんとうは、これで満足しなくてはいけないのだろう。満足できない、そのぎりぎりのところが実は、自分にとって一番幸福な瞬間なのだとタロウは思う。
しかし、赤い糸で結ばれていなくとも、タロウは、今一歩踏み込んで力づくで関係を結んでしまおうとしていた。そこには、ほんとうの愛などない。彼女の人格などまったく無視した行い、つまり、彼女の人格を否定し、モノとして扱うこと。そういう関係の在り方もありではないのか。少なくとも俺には、そういう他者との関係の在り方しかできないのだ。つまるところ、他者との交渉において自己を失うこと、それを、タロウはいちばん恐れているのだった。
やがて何事もなく買い物を済ませた彼女は、タロウが勝手に予想していた通りのフラの教室のあるビルに入っていった。
ビルの1Fに表示されているテナント看板に3F フラダンススタジオ「Ohana」と出ていて、タロウは、たまげた。たまたま自分の中の設定で、ヨガだかピラティスだかフラダンスの教室に通っているテイで、彼女をストーキングしていたのだから、驚くのも無理はなかった。
中沢は、向かいのビルの喫茶店から、通りを隔ててフラダンス教室の窓が眺められる窓際の席に座って、最後のシミュレートに余念がない。あと一時間ほどで彼女は、出てくるのではないかと予想をつけた。
シミュレートといっても、アバウトなものだが、毎回やっているテイなので、なぜかなんの障害もなくすべてがスムーズに事が運びそうな気になってくる。絶対などということは、ありえべかざることなのに、何か必ずうまくいきそうな気がしてくるのだった。
実のところ、いままでもやろうと思えばいくらでもできただろう。だが、やらなかったのは、追いかけていたかったからだ。ほんとうはいつまでもこうして夢見るように追いかけていたいのだ。力づくで、自分の思い通りにしてしまったならば、すべてはもう終わりだからだ。
それは、テロルとまったく同じことだった。美しい黒アゲハチョウを、捕虫網を片手に野を越え、山を越え、川を渡り追いかけてゆく。ほんとうは、容易に捕まえられるのに。それは、捕まえるまでのプロセスが楽しいからであり、捕まえてしまったならば、もう二度と羽ばたけないように、注射針を身体の中心にあるもっとも柔らかで繊細な部分にぶっ刺し、永遠の美を約束する緑色した猛毒をぶちまけるように注入してやる。
あるいは、その時の気分次第で、たまたま機嫌が悪ければ、首をちょん切ったり、羽を引き千切ったり、足を引っこ抜いたり。若しくは、アマガエルのお尻の穴に藁を突っ込んで思い切り息を吹き入れ、風船みたいにお腹を膨らませ、やがて破裂に至る、みたいなのもありかもしれない。
そんな風に、弱者に対して暴力を行使することは、幼稚このうえないことだ。生命の重さを知らない子供が、徒に虫を殺すこととなんら変わりはない。
しかし、それでもタロウは、やはりやってしまうのだろうなと思った。女の身体をいじくりまわし、弄(もてあそ)んだあげく、最終的には、その遊びにも飽きて小さな虫をひねりつぶすようにして殺してしまうのだろうなと思った。
店の有線だろうか、ガソリンの揺れ方がどうのこうのという曲が流れていた。まさにタロウの今の気分にぴったりのキラーチューンだった。
満タンにしたガソリンの揺れをこの身に感じながら走る。バイクとの一体感がたまらない、みたいな歌。
タンクのなかで、タプタプと波打ちながら揺れ動くガソリンは、自分でもあり、また、人生そのものでもあるのだ。満タンのガソリンの重々しい揺れ方が、たまらなくいとおしいのは、それが豊かさに通ずるものだからではないか。地の果てまでも、ぶっ飛ばしていけるという、漲るエナジーの安心感は、自由無碍な解放感をもたらし、さらには全能感すら感じさせる。そして、その根底には、豊かさがある。
タロウも、きっと女に跨って全能感を感じたいのかもしれない。まったくの勘違いにはちがいないのだが、一瞬の錯誤であっても、全能感に酔いしれたいのだ。タロウは空っぽだから、女の肉体の大地のような豊かさを欲するのだ。タロウの乾涸びたこころを満たすのは、女の潤った美しく豊かな肉体だけなのだ。
だから、同じ跨るのならば、バイクに跨る方がよっぽどいい。バイクは、ガソリンさえ入れてやれば文句は言わないし、嘘もつかない。ハリーウィンストンの指輪が欲しいとか、クロエのバッグが欲しいなんて言わないし、浮気する心配もない。タロウは、女に嫌気がさしたときには、そう思うのだった。バイクはむろん、最高だが、愛すべきは、女であることに間違いはなかった。ただ、タロウのその愛し方が問題なのだ。
もうそろそろレッスンを終えた彼女が出てくる頃合いなので、喫茶店を出て郵便局の前あたりをぶらつきながら、待つ。やがて、彼女は、その美しい肢体を再び地上に現わし、並木通りをいつものように闊歩するはずだ。
そして、彼女は天から舞い降りてきた白鳥(しらとり)のごとく、真白き羽を折りたたむや、ヒトの姿になって歩きはじめる。
が、なにか違和感を感じたタロウは、頭のなかで彼女の映像を巻き戻しはじめる。フラのビルに入る前と後では、絶対なにかが違っているはずなのだ。
そして、タロウは、あっと気づいた。グッチだ。グッチのショッパーがない。
今、タロウの前を歩いてゆく彼女は、グッチで買い物をした手提げを、持っていなかった。ということは、つまり、フラの教室で誰かにプレゼントしたという可能性が高い。
相手が女であろうが、男であろうが、とにかく妬けるのだった。このあたりから、タロウは、なにかきな臭い感じを受けた。自分で彼女を天女のように想い描きながら、その天女を地上に引きずりおろし、純潔の衣を一枚一枚剥いで売女(ばいた)たらしめんと想像していたにもかかわらず、現実に彼女の色恋沙汰を目の前にすると、眩暈がするほどに失望し、裏切られた気持ちになった。
なんやかんやいっても、タロウは、実際に実行に移せないからこそ、幻想していたのだ。幻想だからこそ、美しい。生きていくことは、猥雑で醜いことだ。もちろん、美しいこともある。美醜入り混じるというのが、この世界の実相だからだ。
だから、ある日、男と、たぶんだが、グッチをプレゼントした男と、ラブホに入っていくのを目撃することになったならば、いや、仮定ではなく、当然そうなるはずなのであり、その際には目の前が真っ暗になるだろう。
そうなのだ、オレという恋人がありながら、不貞を働く彼女を俺は絶対許さない。許すことなど出来るはずもない。———恋人に裏切られた自分、そう設定することで、タロウはフツフツと怒りが込み上げてきて気持ちが高揚した。それは、まるで射精直前の頭が真っ白になるような高揚感に似ていた。
自分の想像を実行に移さないこと、そのぎりぎりのところにエロティシズムは在り、タロウは、そこに美を見い出していたのだ。だから、タロウのシミュレーションは、このことがなかったなら、想像の域を脱することなく、シミュレーションはシミュレーションのまま、終わったはずだった。
だが、やがて露見するであろう、貞淑であらねばならないはずの彼女のふしだらな性、この現実がタロウを捻じ曲げてしまった。つまり、タロウは彼女を拉致し、犯しまくるというシミュレートを、実行に移すことにしたのだ。
🦀 拉致らない拉致ります拉致るけれども拉致るとき拉致れば拉致れ拉致ろう拉致った
メガロポリスのビルの森の中でタロウは、フラフラと夢遊病者のように歩きながら、なぜか山々と見渡す限りの田んぼに囲まれていた故郷を思い出しながら、彼女を追っていた。
そういえば、小学生の頃好きな女の子の後をつけながら、とうとう女の子の家までついて行ってしまったことがあった。昔からストーカーの素質があったのかもしれない。
カエルたちがベト9でも大合唱しているような見通しがいい一面の田んぼ、というロケーションにも、人っこひとり人はいないが、存外都会のビルとビルの狭間にも、時折りビル風が吹き抜けていくくらいで、誰ひとり人はいないのだった。
なのでタロウは、夕闇にまぎれていくらでも彼女を拉致るチャンスはあった。ただ、後ろから忍び寄りクロロホルムを染み込ませたハンドタオルで口と鼻を覆うだけで事足りた。ただ、ミステリ小説みたいに一瞬で意識が失くなるわけではなかったが。
とりあえず拉致るのは容易だったが、監禁するいわばtorture roomがないことにタロウ今さらながら思い当たった。
つまり、すべては行き当たりばったりの行動だった。いろいろあることないこと妄想しながらストーキングすることが、気晴らしのようにただ楽しかっただけなのだ。
しかし、タロウはそれほど苦労せずに近くに使えそうな廃屋めいた物件があることを思い出した。
近くに池があるような森の中の廃屋ならば最高だったが、そんな贅沢も言っていられない。この付近に確かテナントがずっと決まらない物件があったはずで、それは、通りに面した2階にあるはずだった。
そして、それは確かにあった。タロウは、失神したままの彼女を肩に担ぐようにして、ふらふらとなんとか階段をあがった。
タロウは女に目隠しをすると、さっきまで女が穿いていたスキニーからベルトを引き抜いて、淡々と打ちのめしはじめる。女は、後ろ手に縛り、パイプ椅子に足を括り付けて猿ぐつわをかましてあった。
薔薇のような女の花弁からは、今さっきタロウが放ったばかりのものが、どろりと垂れ流れ出し、太腿へとゆっくりと伝い降りてゆく。それをタロウは、指で掬いとって、タオルをずらすと女の唇にルージュのように塗りたくる。
女の身体はすでに一面赤いミミズ腫れとなっている。打つたびに背を反り返らせて悲鳴をあげる女のその表情が、たまらなく美しい。
女はやがて失神する。
タロウは舌舐めずりしながら、女の見事な乳房にむしゃぶりつく。首筋に舌を這わせ耳の中に舌を挿し入れる。耳朶を噛む。後ろに回って乳房を揉みながら、豊かな髪に顔をうずめ、シャンプーと香水の香りが混ざり合ったいい匂いを嗅ぐ。
髪をくしゃくしゃにする。むくむくとタロウのものが太くなってくる。ぐにゅぐにゅと腰の辺りにこすりつける。そこで一気にぶち込むと女は覚醒し、腰をくねらせはじめる。何度も何度も腰を送りつづける。知らぬ間にタロウは鷲掴みした乳房を潰れるほど握りしめていた。女のくぐもった悲鳴ががらんとした空間に虚しく木霊する。
タロウは自分でもなにをやっているのか、よくわからなかった。この女はいったい誰だ? 思い出そうとしても頭がモヤモヤとするばかりでイラついた。容赦なく激しく突きまくると、無性に腹が立ってきた。いや、はなからムカついているのにちがいない。女をダンボールの上に押し倒し、後ろから突き刺した。
女はもう何回逝ったのかすら、憶えていないだろう。頭のなかで何かが暴れている。
不意に懐かしい映像が脳裏にフラッシュバックする。子供の頃の思い出。父親に殴られている自分。泣きじゃくる母。なんでことなことになってしまったのか。最初からまともな人生じゃなかった。この苦悩が死ぬまでつづくなら、生きている意味はどこにあるのか。老いた母を見るのは辛かった。父親は、気がふれてしまった。いっそ、そうなった方が楽なのかもしれなかった。人生っていったいなんだろう。事態は、よくなるどころか、加速度的に悪化していくばかりだった。
タロウは、女の方に向き直ると、壁を背にしたままずるずるとその場に座り込んだ。
そして、なぜまたそんなものがあるのか不思議だったが、籐のハンガーラックに架かった赤紫色した美しい衣装とレイを指し示し、「おれのためだけに、フラを踊ってくれないか」咽び泣きながらそういった。
タロウは、自分がなぜ泣いているのかが、まったくわからなかった。ただ彼女を見ているだけで、滂沱のごとく涙が頬を流れ落ちるのだ。女が、自分のいうことなど聞き入れるはずもないとわかっているタロウは、もう女にも興味を失い、外に出て行こうとした。
が、そのとき、衣擦れのような音に後ろをタロウが振り返ると、こちらに背を向けながらドレスを身に纏っていく女の姿があった。
そして、女はレイを首にかけると静に踊りだした。すると、タロウには聞こえてきたのだ。それは、たしかに「Aloha Oe」だった。
「なるほどね、お別れってわけだ」とタロウは薄く笑う。
やがて、女はフラを踊り終わると静々とタロウに近づいてくる。そして泣き疲れ力尽きたタロウを母親のように抱擁し、項垂れて縮こまってしまったタロウをゆっくりと口に含み、再び屹立させると、そこに跨った。
タロウの脳内では、いまだにAloha Oeが流れ、過去の出来事なのか、映画の記憶なのか、わけのわからないイメージが錯綜していた。
やがて、ひとつの絵画がそれに紐付いた想い出とともに鮮烈に蘇ってきた。
交流はほとんどないのだが、父の弟という人が画家をやっていて、といっても画だけは生計は成り立たないので、家賃収入でなんとか糊口を凌いでいるといったところのようだったが、その人の描いた大きな画が、甲府の家のアップライトのピアノの前にずっと飾ってあった。
なにやらそれは、ブルーとグリーンが交錯する得体の知れない暗い絵だった。それは、生硬さが未だこびりついているような画であり、たしか高校生のあたりでどこかのコンクールに入賞したとかの作品だったと記憶している。
だから、これが彼の人生を狂わせてしまった一枚なのかもしれなかった。そんな彼にとっては、かけがえのない画が、なぜまた我が家にあったのかといえば、彼が若い頃、食べるものにも困っていたとき、はるばるとお金を無心するだけのためにやってきたことが、何度もあったからで、そのときの恩返しというわけだったのではないのか。
見ると、タロウに跨った女は、髪を振り乱しながら腰を振り、わななくように震えながら、のぼりつめていったが、ついに本来の姿を現わしはじめた。
それは、まさにあのエジプトの女王を想起させる、他を寄せつけない気品に満ちた雰囲気と出立ちであり、タロウは即座にそれがネフェルティティの化身だとわかった。
すると、依然にタロウに跨り嬌声をあげ舌なめずりしながら、蛇のように身をくねらせている女、それとはべつに、分身したのかネフェルティティの本体は、空中に浮かんでタロウをねめつけるように見下ろしていた。
タロウは、その時啓示を受けたように悟った。ネフェルティティの霊が憑依した女に、ずっと翻弄されていたのだ。
「下賤の者よ、貴様のようなつまらぬ羽虫のような存在が、わらわの名を勝手に使うとは言語道断。その罪、万死に値する」
タロウは、快楽の海に溺れながら、その言葉を半信半疑で聞いていたが、かなりヤバい状況なのかもと恐怖をひしひしと感じはじめた。しかし、タロウ自身を咥えられているのだから、逃げることも出来ないのだった。
「しかしながら、わらわは超絶やさしいから、おまえの命だけは助けてやろう。ただな、おまえがこれからまたオイタしないように、大切な物を貰う」
そう言うないなや、タロウに跨っていた女の中が急激に締まりはじめた。タロウは、きつく締まりははじめたソレに快感に打ち震えたが、万力のようにハンパなく締まる力は、強まる一方だった。
タロウは、大切な急所を潰されていくような、あるいは引きちぎられるような激痛に手足をばたつかせ、たまらず悲鳴をあげた。
「ハハハ!ハハハ!」
空中に浮かぶネフェルティティは、満足げに笑い、やがてそれは部屋中に響くような哄笑にかわった。
タロウは、激しい痛みに失神してしまい、やがて気付いた時には、サキュバスみたいな女も、ネフェルティティも消えていた。
タロウはすぐさま、股間を確かめて、「ああ、あったよかった」と声に出して安堵したのも束の間、急激に死にたい、死にたいという切迫した欲望が突き上げてくると、ドアに向かいドアを開け放したまま、ゆっくりと階段を降りていく自分の映像が、脳裏に浮かんだ。
タロウは、その映像に引きずられるようにして、立ち上がると出口に向かう。
どうやら、この日タロウの身の廻りに起こった事象やタロウの行動は、すべてがネフェルティティにより操られていたようだった。
そして、あの忘れもしないさきほどのネフェルティティの声が、脳内に木霊(こだま)した。
「タロウよ、人生を自ら終わらせよ、猛スピードで走行するトラックへと身を投げるのだ」
タロウには、通りの向こうから、猛スピードで走行してくる10tトラックが、希望の光のように見えた。
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