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メルカリ編
プールサイドにて
しおりを挟むある日、タロウはいよいよ新たな仕事のOJTに参加した。
五反田の迷路みたいな雑居ビルのメルカリの物撮りの部屋とはまた違う一室に連れてこられたタロウは、手持ち無沙汰に某アイドルのスレッズを見ながら、指導官である先輩を待っていた。
タロウは、事前にアウトラインだけは聞いていたが、仕事の詳細を聞かされていなかったし、これからはじまる研修がどんな内容なのか、期待と不安とがない混ぜになった、まるで地に足がつかない雲の上に乗っているかのような、非日常的な感覚に陥っていた。
だが、字面だけツルツルと追っていた、某アイドルのそのスレッズの内容の濃さ、というかセンセーショナルな文言に目をひん剥いた。
そこには、彼女のXの方には一切触られていない、かなり突っ込んだ、こんなことを書いてもいいのかと目を疑うほどの彼女自身のプライベートが記されていて、少しだけリアルに引き戻された。
と、そこらへんで、指導官である赤毛の先輩が現れた。
「タロウくん、だっけ? 本日、指導を任されたデイビッドだ。よろしく」
かなりフレンドリーな感じの人で、タロウはとりあえず安心したが、気を緩めたわけではない。タロウは、いわゆる軍隊みたいな体育会系の人たちが苦手であり、赤毛のパイセンは、その匂いがしたのだった。
彼は部屋の片側の壁一面にある、防災センターにあるようなスイッチだらけの操作盤につかつかと歩み寄った。
そして。
「このスイッチを入れると、ほら、こんなことも出来ちゃうんだ」と言い放つと、大きなスクリーンに映し出されていた、さっきまで殺風景だった半壊した都庁を臨む元新宿界隈の借景を、ワイキキビーチみたいな渚に変えてしまった。
そして更に遠景から近景へと画面が切り換ってゆくと、むろん本物じゃないけれども、超セクシーバディなパツキンねーちゃんたちが、ブラをはずして寝そべったり、ビーチバレーに興じていたりした。
AIが生成した偽物の映像とわかっていても男の哀しい性、見事な肉体に視線は釘付け。腰まで海に浸かったまま、抱き合っているカップルもいた。
どうも下半身がつながっているようで、タロウどうなっているか気になってしかたなかった。ちょうど見えそうになったその刹那、映像はブラックアウト。
「さ、仕事仕事!」
赤毛の先輩は、そういうや否や全裸になって、といってもなぜか黒の革靴と紺の靴下は履いたまま、ホルマリンのプールに飛び込んだ。
先輩の赤毛は濡れてさらに赤味を増し、素敵だった。
これがぼくの記念すべき社会人一日目なんだなぁ、なんてタロウは感慨深く思った。
なぜなのかよくはわからないのだが、新しい仕事こそ自分に適した天職なのではないかと漠然とした予感があった。
確かにバイトにはちがいないんだけど、別に正規雇用じゃないからといって、適当な仕事など出来はしないのだから、立派な社会人なのだ。
たしかどこかの芸人さんが言っていた、生きてるだけで丸もうけ、或いは、生きてるだけで、偉いからみんな優勝です、これらは、死ぬほど生きることがつらくて苦しくて、どうしても死を考えてしまう人には、突き刺さりまくりの『救い』の言葉だろう
タロウも何度か自死を考えたことがあった。生きていくことはどんな人にとっても、甘くはない
先輩は、じゃ、まずは俺がやるから、よく見ておくようにといった。
この日まで具体的な仕事内容を知らされていなかったので、いったいぼくの仕事はなんなのだろうとタロウは興味津々だった。
社長という人物は、やはりそれなりの人格者であることが顔を見ただけでわかった。やはり一国の主となるべく運命づけられている人なのだろうと思った。
どうやら社長は、アメリカで事業のヒントを得てきたようだった。
モットーは、すべての仕事に精通することジョブチェンジを声高に提唱し、どんな仕事でもこなせるマルチな人材を育成することが、企業にとって最も大切なことだと考えているようだった。
新人のタロウが異論を唱えるなど百年早いかもしれないが、ちょっと違和感がないわけでもなかった。
ま、それは置いといて。
赤毛の先輩は、ホルマリン漬けの死体をかきわけるようにして奥へ奥へと突き進んでいる。
プールの半ば中央には、死体が縦横に絡み合いもつれ合って出来ているピラミッドみたいな三角錐状のものがあって、どうやら先輩は、そこをめがけて進んでいるようだった。
何をしようというのか固唾を飲んで見つめていたが、さっきからホルマリン臭がきつくてたまらなかった。たまらず、携帯しているマスクをつけた。
「すぐ慣れるよ」
そういったのは、いつの間にか横に立っていたアルマーニであろう高級スーツを一分の隙なく見事に着こなしている体育会系のごっつい身体のコワモテお兄さんだった。
初めて見る顔だったが、先輩であることに間違いはないので、タロウはそのお兄さんに訊いてみた。
「あのぉ。ここにある遺体ってどういった……」
と、そこまで言って逆にお兄さんに詰問された。
「遺体!? 遺体って、いったい何をいっているのかな君は?」
「え! 何をって、あれ、あのプールの底が見えないほど遺体がうじゃうじゃあるじゃないですか?」
「ほほう。新人君。君って想像力豊かなんだな。あのマネキンが遺体に見えるなんてね。ぶっ飛んだ発想だな。面白い、実にユニークだ」
そういわれて今度はタロウが驚く番だった。
マネキン! あれはマネキンなのか! やけに精巧なマネキンですね、とタロウは言った。
「そりゃ、そうさ。特注のというか、いわゆるホムンクルス だよ? ホムンクルスわかる?」
それにしてもなんで? と言いよどんだら
「なんでホルマリン漬けなんですか、だろ?」
「はい」
タロウの目はこのとき、キラキラと輝いていたかもしれない。謎が解き明かされると思うとなんだかドキドキした。
だが、アルマーニの先輩の答えは、実にそっけないものだった。
「ああ。それは企業秘密だから」
と、そこでホルマリン漬けの遺体に似たマネキンで形作られたピラミッドの中から赤毛の先輩がひょっこり顔を覗かせ、もうすぐだからとだけいうと、またすぐ顔を引っ込めてしまった。
なにがもうすぐなのか、まったくわけがわからないけれども、よく考えるまでもなく、いずれ自分もホルマリンの海に飛び込んでいかなければならないという事実に慄然とした。
そんなタロウの心情を見透かしたように、「大丈夫だよ、すぐ慣れるから」とコワモテの先輩がまた言った。
つまりだ、慣れるほどホルマリン漬けにならなければならないということだろうか。と、赤毛の先輩が何やらマネキンを一体引っ張りながら、ピラミッドの中から泳ぎ出てきた。
「さあ、いよいよだよ」といったコワモテの先輩の瞳は、なにやらぬめぬめとした好色そうな濁った光を宿しているように見えた。
赤毛の先輩が手を引いて連れてきたマネキンは、仰向けのままで沈む様子もなく、長い髪が、ホルマリン溶液のなかで孔雀の羽のように広がっていた。
赤毛の先輩が、細腰の辺りを持って、マネキンを掲げるようにすると、すかさずコワモテの先輩が手を差し伸べて一気に引きずり上げた。
それにしても、美しいマネキンだった。
というか、あらためてマネキンらしからぬホンモノっぽさに、タロウは驚きを禁じえなかった。
「じゃ、はじめようか」と、やたらホルマリンくさい赤毛の先輩がいった。
タロウも男だから覚悟を決めて、パンツ(カルバン・クライン)一丁になると、プールサイドの縁に足の指をかけた。
「おい、おい、何やってるの?」
「え? でも、先輩のやったように、あのピラミッド状の中から、マネキンを一体……」
「ああ。だからね、それは君の仕事じゃないんだよ。俺が引き上げてくるから、君の仕事は、彼女に命を吹き込んであげることなんだ」
「命を吹き込む……ですか?」
「そう。文字通り、命を与えてやってほしいんだよ」
「マネキンに命って?」
「まあ、驚くのは無理もないけれども、人類はずっと不老不死を究極の目的として、うまずたゆまず日夜努力を重ね、日進月歩のめざましい発展を遂げたものの、不老不死どころか、一滴の血液すら作ることができない。そこで我々は、別な道を歩むことにしたんだ」
「それは、根本的な思考の転換だね。つまり、生命があるから死も存在するわけだから、はじめから非生命ならば、死など一切恐れることはないわけだよ。そこで、我々は、いわゆるロボットに着目し、研究に研究を重ねてきたわけだ」
さらに赤毛の先輩はいう。
「ま、うちでは、このロボットをマネキンと一応呼称しているけれども、ホンモノとうりふたつのロボットなんだ。うりふたつといっても、クローン人間なんかじゃない。人工皮膚で覆われた純然たるロボット。でも、見て分かる通り、とんでもなく精巧に出来ているんだね。人工皮膚といってもヒトの皮膚に見劣りしないだろ?
外形だけでなく、触った感触もヒトのそれとほとんど同等だね。多少古くなったらまた張り替えればいいわけだし。で、変な話。外性器の形状もそのまんまなんだ。ヴァギナもむろん本モノと変わらない。オプションで、お望み通りの名器に変更することも可能」
「で、君にやってもらいたいのは、このマネキンとまぐわってほしいんだよ」
「まぐわって!!」
「そう、いわゆるHだね。そのことにより、このマネキンは活動しはじめる。動力電源は、太陽電池とかではなく、主に性交のピストン運動とヒトの精子の直線運動をエネルギーとして用いているわけなんだ。ピストン運動で電気を起して備蓄し、最終的には精子が子宮に到達することによって、主電源が入ることになっている」
さらに赤毛の先輩は語を繋ぐ。
「世界中の男性の精子の数が減少傾向にあることは、知ってるよね? 以前には、1cc中に5000万匹以上が正常値とされていたんだが、現在の正常値は1ccの中に1500万匹以上とされている。まあ、体調の悪い時、あるいは、感染症がある時、特に、白血球上昇時、抜歯、爪を剥がした時、吹き出物が化膿した時。亜鉛不足、ビタミン不足、特にビタミンC、B群。煙草の吸いすぎ、二日酔い、精神安定剤服用時。高血圧、胃潰瘍の薬服用時。ストレス、睡眠不足。情緒不安定。恋人にふられるとか、近親者の不幸、或いは、長距離旅行の後なんかには、精子の減少、精液量の不足が、しばしば見られるわけなんだが、君は、検査で平均値を遥かに上回る良好精子数の持ち主であることが、判明したんだよ。そこで、この仕事を任せたいというわけ」
「じゃ、ぼくはただ射精すればいいということなんでしょうか?」
「ま、そういうこと。いわゆる中出しってやつだね」
「でも、ただ精子だけが必要ならば、メスピペットなんかでヴァギナに直接注入すれば事足りるんだけれど、そういった愛のないおざなりな愛し方では駄目なようにプログラムされているんだね。先ず充分な前戯。これによって、ヒトの女性器が潤うのと同じように、人工の愛液が分泌されるようになっている。そして、ヴァギナに挿入して何十回、何百回とピストンを繰り返し、やがて、射精。その一連の流れが、マネキンに命を与えることになるんだ」
タロウは、なんだか、わかったような、わからないような説明を聞きながら、半信半疑の態のまま、しかし、そんなことより、ちゃんと勃起するのかどうかの方を心配していた。
相手は、人類でもないのだ。いままで、ロボットやマネキンといったものに、欲情したことなど皆無なのだから、それがとても不安だった。
すると、その不安を払拭するように、コワモテの先輩が言った。
「はじめはね、みんな心配するんだよ、ロボット相手にセックスなんて出来るはずもないって。それにまず、肝心のモノが勃つわけもないってね。でも、大丈夫。ホンモノ以上とはいわないけれども、女性器をじっくり観察しているうちに、いやでもギンギンに勃起するからさ」
ネクロフィリアなんていう言葉が、脳裏を過ぎったりしたが、遺体ではないにしろ、非生命体であることには違いなく、女性器の形状がいくらホンモノそっくりだとしても、勃つのは不可能に近いだろうと思った。
「じゃ、はじめようか」
そう赤毛の先輩に促され、タロウは一糸纏わぬマネキンに覆い被さっていった。
身体は、存外冷たくはなかった。たぶん、人工皮膚がそういった素材なんだろう。誰をモデルにしたのかマネキンは実に美しく、肌は透けるように白かった。
乳房は仰向けになっているにもかかわらず、大きく盛り上がり、豊かさを誇示していた。右の胸に触れてみた。ちょこんと突くと、プルルンとさざ波が走るように震えた。
掌で覆ってみた。まるで吸い付いてくるみたいなもち肌だった。ただ柔らかいだけの作り物の胸ではない、これはまさしくホンモノに相違なかった。
するとタロウの身体は、硬直した。
完全にフリーズしたまま、動かなくなってしまった。いくら科学が進歩しようが、これがロボットであるはずがない。
彼女は、絶対にヒトなのだ。
死体と交接するなんて、とんでもない冒涜だ。僕には、そんなグロい趣味はないとタロウは首を振った
「おいおい。なんでフリーズしちゃったんだ?」
「いい加減にしろよ」
コワモテのお兄さんらしき男の声がしたかと思うと、あっという間に腕を取られ、何かを注射されてしまった。
すると、とんでもないことが起こった。
タロウは、身体全体がそれこそ性器そのものに変態していくような感覚を味わった。アルタード・ステーツという映画が、脳裏にフラッシュバックする。
徐々にタロウの身体に、毒が浸潤してくる。
寒気がするほどの痒みが、なめくじみたいに全身を這っている。
メタモルフォーゼ。
カフカの有名な小説を思い出した。やがて、タロウは変態が完了すると、性欲の塊りになっていた。
性欲の権化だ。
それでも、まだ精神は奪われてはいない。神様を冒涜するような行為は、絶対しない。その強い意志と、なにがなんでも思い切りこのまま彼女の中にぶちまけたいという思いとのせめぎ合いの中で、タロウの頭のヒューズは、今にも焼き切れ、吹っ飛びそうなほどだった。
絶対にダメだという思いは、身体を硬直させたままだったが、どうしよう、どうしようという思いは、いつしか腰を動かすまでに至っていた。
タロウの意思とは反対に、性器は猛り立ち、ほんとうにみじめに虚空に向けて腰を前後させてしまうのだった。その姿は、ほんとうに滑稽だったろう。
硬直したままのタロウの身体を、ふたりの先輩がすかさず抱え上げ、マネキンの収まるべき箇所へと挿入し、見事にドッキングは完了。
ゼンマイ仕掛けの玩具よろしく、タロウは果てしなくかくかくと腰を前後させる。
やがて性器はその刹那、はちきれんばかりに固く太く引き締まりつつ膨満したかと思うと、一気に炸裂した。
スーパーノヴァ。
その爆発は、まさに超新星の誕生を想わせる爆発だった。一瞬にして官能の奔流は逆流し、タロウの頭は、木っ端微塵に吹っ飛んだかに思われた。
気づくと、タロウは膝枕されて眠っていた。
見上げると、切れ長の大きな眸がタロウを見つめている。
タロウは、驚いて口を開きかけた。
それを彼女は、優しく手で制す。
「実は、私、悪い魔女に呪いをかけられていたのです。白馬に乗った王子さまがやってくるその日を、ずっとずっと待っていました。童話では、たしかキスされたら眠りから醒めるお姫さまがいましたが、私の場合は、Hされることが、唯一呪いを解く方法だったのです」
彼女は、そういって微笑んだ。
ウソだろ。
もうすべてがバカバカしくなった。
やってらんねぇ。
でも、天使みたいな彼女の微笑みで救われる自分がそこにいた。実際、彼女には翼が生えているにちがいなかった。
「ほらほら、恍惚の人みたくなってんぞ、仕事仕事!」
その言葉にタロウは、はっと我に帰り、その声の主を見遣った。
赤毛の先輩だった。
「タロウくん。まあ、きょうは初日だし、あと一体ってことでよろしく」
初日で二体、じゃ馴れてきたら一日いったいどのくらい処理しなければならないんだろう、とタロウは考えたがノルマが怖くて聞けなかった。
赤毛の先輩は、再びホルマリンの海へとダイブした。向かい側のプールサイドの一角では、タロウたちとはまた別のチームが、蘇生作業?を行っていた。
タロウの後ろの窓際では、アルマーニの先輩が、マッパで処理に勤しんでいた。
傍らに無造作に脱ぎ捨てられていたアンダーウェアは、HUGO BOSSのボクサーパンツ。
もとより反響効果の著しい屋内プールというロケーションだから、サラウンドかと思われるほど、前から後ろから悦びの声が飛び交っている。
「これが、天職なのかぁ」
そう呟きながら、タロウは屋内プールの丸天井を仰いだ。
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