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メルカリ編

ダライ粉

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 もうナルミのことをみなさん、お忘れになっているかもしれないのですが、ここからはナルミが事故ってアストラル体となりタロウに合体浸潤した後のお話です



◆◆◆◇◇◇◆◆◆◇◇◇◆◆◆



 ある日、タロウはナルミの記憶に色濃く残っている仕事の影響から町工場で働きはじめた。その町工場は、いわゆる板金屋で、新人のタロウがまず任されたのは、ドリルで小さなプレートに穴をあける作業だった。

 バケツのなかに山のように入っている鉄のプレートに三箇所、ひたすら穴を穿つ。なぜか自分でも不思議なほどに手慣れた感じでつぎつぎとセンターポンチが穿たれた箇所を目印にドリルで穴をあけてくタロウ。

「一気に穴をあけるんじゃないんだ。まずさ、下穴といって小さな穴をあけて、それからじょじょに大きくしていくんだよ」

 教育係のオオハラは、ドリルを鉄のプレートに突き立てながら、タロウにそう説明してくれた。

 そしてさらに「切れ味が悪くならないように、潤滑油をドリルにぬるのを忘れずに」ともいった。

 潤滑油の紅いとろりとした液体の入ったブリキ缶の中に切粉が飛んで煙を上げる。

 削り出されたばかりの切粉は、ドリルの摩擦熱によって異常なほど熱くなるからだ。

「紅い半透明の油のなかで、くるくると螺旋状となった切粉が、うねるように身を捩じらせ蠢いているような気がして、俺はいつも視線を奪われてしまうんだ。その蠢くさまが、切粉が喜んでいるからなのか、あるいは苦しんでいるからなのか、そんなことを想像するのは楽しいよ」

 そういいながらもブリキ缶に視線をやるのは、ほんの一瞬のことに過ぎず、オオハラは、また黙々と作業に打ち込む。

「たださ、穴を穿つスピードに留意することと、位置を間違えないように集中しつつも、頭のなかでは何を考えていようが一向に構わないわけだから、いろんなことを想像しては愉しんでやればいいのよ。初めてやることばかりだろうから、そこまでの余裕はないだろうけれど」

 タロウは曖昧に頷く。

「あれ? でも高校のとき、ボール盤やったはずだよね?」とオオハラ。

 タロウが工業高校の機械科であったことを面接をした社長から聞いているらしい。

「そう。でももう忘れたかな。いやな思い出は忘れることにしてるから」

「厭な思い出?」オオハラは、鸚鵡返しに云う。

 タロウは、ええとか、まあとか生返事を返す。するとオオハラは、

「鼻歌まじりで作業できたのならばどれだけたやすい仕事だろうなどと思うんだけど、緊張感をもってのぞまないと、いつなんどき怪我をするかわからないといった作業なんだ」

 その通りだとタロウも思った。

 相手は機械なのであり、自分の手がドリルに巻き込まれても機械が回転を緩めてくれるなどということは一切ないのだから。

「はい。じゃ、やってみて」

 オオハラは、そういってボール盤の前から身を退いた。

 タロウは、赤くて円いグリップをふんわりと握って、ドリルを上げ下げしてみた。バッターボックスに立つ前に、軽くスウィングする、あれみたいに。

 そして、孔を穿つプレートを盤上に置き、ポンチされているポイント目がけてゆっくりとドリルを下ろしてゆく。

 気づけば、オオハラは傍にもう立っていなかった。大丈夫だと思ったのだろうか。しかし、この作業が出来ないやつなんているのだろうか。

 しっかりとプレートを押さえていないと、ドリルにもっていかれるなと思いながら、ほんの上面だけ削って小さな穴を掘る。プレートにはポンチが三箇所打たれてあったから、真ん中、左、右という順序でドリルをあててゆく。楽勝だった。鼻歌でも出そうな感じだ。

 バケツに入った百枚はあるだろうか、それらのプレートに対して同じことを繰り返してゆく。

 ほんの少し掘るだけから、切り粉は、ほとんど出ない。たしか切り粉のことをダライ粉とも呼ぶことをタロウは思い出した。いや、正確にはタロウの想い出ではない。ナルミの記憶にあるのだろうが、もう今となってはタロウとナルミの記憶がマーブル状に混ざり合い、渾然一体となってしまって、どれが誰の何の記憶なのかわけがわからなくなっていた。

 なので、タロウはもうどちらの記憶なのかなどというバカらしいことで悩むことはとうにアホらしくなってやめた。

 やがて、バケツ一杯のプレートに小さな穴を掘り終えると、次は本番だ。一枚一枚慎重に孔を穿ってゆく。

 当然ながら、ふんわりと軽く握っていただけのグリップに今度は力を込めていかないと、孔は穿てない。

 慎重にドリルの先を削った穴に下ろしてゆく。ドリルは、きゅるきゅるきゅると、うねりながら吸い込まれるようにプレートと一瞬同化して、すとんと突き抜ける感覚が心地よかった。

 そのきゅるきゅるきゅるは、ドリルがあげた呻き声なのか、或いはダライ粉の悦びの声なのか判断はつかない。

 そのプレートのアルミがダライ粉へと変わる過程で、いったい何が起こっているのだろうか。

 ドリルの鋭い刃先に削り取られてゆくアルミは、大根のカツラ剥きのように、螺旋状になりながらダライ粉としてこの世に姿を現わすのだ。

 タロウにも掘削熱によってドリルの刃先が微妙に膨らみ、切れ味が鈍るのが実際に手応えとしてわかった。



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