パスティーシュ

トリヤマケイ

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川崎市夜光編

甘い生活

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ふと何故か気になって後ろを振り返り見てみると、例の右に傾いで海から突き出ている鉄塔が視界に入ったのだが、何か様子が違うのだ。斜めに傾ぎながらこちらに近付いて来るような、ないような、いや、明滅する明りの大きさは変わらないのだから、いったいどうゆうことなのか。何故か怖いような気さえする。辺りが不意に暗くなったように感じるのは、音もなく波頭を渡ってくる彼女を照らす強い――いや、彼女自身が発光しているのだろうか――明りのためなのか。


そうなのである。ズームレンズで覗いたそこには、紛れもない彼女がいた。この場合何故彼女は直立したまま波頭を滑るようにして渡ってこられるのかとか、それ以前に何故浮いていられるのかなんていう疑問は、ご法度だ。


というか、愚の骨頂。ただ現前する事実を受け入れるのみである。素直が一等。しかし、とにかく息の詰まるような光景ではある。それも彼女は、まっすぐ僕に向かって近付いてくるのであるのだからたまらない。あるいは、他の人の目には何も映じていないのかもしれない、僕だけの幻想なのかと思えるほどに、神秘的な眺めだ。


波頭すれすれのところに浮かび、ツーと美しい残像を残しながら移動してくるかのように見えていた彼女は、更に近付いて来ると実はとてつもなく巨大で、かなりな高度を保ちながら飛翔していることがわかった。どうやらヘリが吊っているらしい。ヘリの音は風に飛ばされているようで、未だに聞こえてこなかった。ワイヤーは、はっきりとは見えないが、彼女を吊り下げているのだろう一機が真上から彼女にサーチライトを浴びせている。


もう一機は護衛するように周囲を監視しながら少し先を飛んでいる。気がつけばいつの間にやらあたりの景色は一変し、眼前には真っ黒な夜の海が横たわっていた。徐々にプロペラの音が近付いて来る。すると、不意にフェリーニの『甘い生活』の冒頭部分が目に浮かぶ。


今、彼女は足の裏を見せながら、僕の真上を通り過ぎてゆく。ズームレンズで追ってゆくとその足の裏に何やらステッカーらしきものが張り付いている。tryagain!と読めた。いったいどこに向かっているのだろう。『甘い生活』では、確か自由の女神だったはずだけれども、眼前の彼女はふくよかな観音様のようである。むろん彼女は観音様でもないし、ただの彫像にすぎないのだけれど、彼女なりに演出した結果なのだろうから、彼女本人に逢えた事となんらかわりはないと納得してしまった僕は、頭のネジがただ緩んでいるだけなのだろうか。


ま、なんかやけに晴れやかな気分になった事は確かである。真っ白くて大きな観音様が、海を渡って近付いて来るその光景は、感動的ですらあった。そして、僕の頭上を越えて遥か彼方へと飛び去ってゆく、その姿を美しいと思わずにはいられなかった。







◇◇◇◇◇◆◇◇◇◇◇







さっきからずっと、道路を隔てた向いのビルを眺めている。仕事は遅々として一向に、はかどらない。向いのビルは短大で女子学生達がケータイを片手に窓際に立ち、無心に話し込みながら、こちらを見るともなしにみている。 


冬枯れの街路樹の梢が、午後の光を浴びながら僅かにふるえているのがわかる。あの木立はああして何年風雪に耐えているのだろう。


僕は寒い時期になると殆どカメラを持って出掛けない。僕の肉眼では、冬の乏しい光でのピント合わせは困難を極めるからだ。

あの夏の日の思い出の写真は、結局一本しかプリントしなかった。恐怖感が先行した写真が良かろう筈もないのだった。しかし、真の恐怖はこれからなのだ。生きている間は、途切れることのない恐怖がどこまでも付きまとって来る。


この恐怖から逃れる術はなく、ただ恐怖を忘れようと努力することくらいしか出来はしない。恋愛、不倫、ドラッグ、酒、煙草等々、様々な形で人は恐怖から逃れようとする。生きてゆくことは、つらいことだ。もしかしたなら、楽しいことよりも辛く苦しいことのほうがずっと多いかもしれない。


なんちゃってね。そんな風に人生を暗く捉えるならば、そのとおりに人生は暗く遠いいばらの道となるだろう。つまり、本人の想念次第なのだが、問題は、それを実践出来るか否かである。


なんか変な話になっちゃったな。ところでさ、きみはどう思う? 人生のことじゃなくって、彼女はどこに消えたのかってことなんだけれど…
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