パスティーシュ

トリヤマケイ

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川崎市夜光編

アナオソロシヤアナグラム

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 そんな考えもあるせいか、僕は、道なりにまっすぐには進まずに、いったん右に折れてみようかとも考えた。地図によれば目的地である公園は、もう目と鼻の先なのだから、ちょっと余裕をかましてという感じだろうか。

 地図で確認した右折する道路のある三叉路が見えて来るとともに、何やらがなり立てているスピーカーの音が徐々に大きくなってくる。

 その拡声器からの声は、まったくこちらが内容を聞き取る気のないためか、近付けばちかづくほど人声にはほど遠いひび割れたただのノイズと化していくばかりなのだけれども、どうだろう、実際にも「四囲は寂然として人声を聞かない」の人声ではなくして、はなから人工的に合成された声であるにちがいないのではないか、この場所に人声など最もそぐわないのだから――などと、そんな風な事を敢えて考えてみた訳でもなかったが、気付くと既に右に折れていて、恣意的にそのままずんずん進んで行ったのだけれど、右側には、ただただ背の高いグレーの塀がつづくばかりで、味気ないことこのうえなく、左を見てもミキサー車を洗っている人影がちらほら見えるばかり。

 諦めて踵を返し戻りはじめたが、考えてみると例のうるさくがなりたてるスピーカーから逃れたい一心で、その結果、後押しされるようにして単に右に折れただけなのかもしれない。

 再び三叉路で信号待ちしていると、ラウド・スピーカーが何を繰り返し繰り返し、がなり立てているのかが分かって来た。ここから先は海底トンネルで、徒歩あるいは自転車での通行は禁止されている、とのこと。それで、エンドレス・テープを流しつづけているのかと、やっと了解したけれど、そんなことを声高に言わずとも歩道は消えてしまっているし、間違ってもトンネル内に入ってゆく人はないだろうと思われるのだが、たまにチャリで行こうとする人がいるのかも知れなかった。

 という訳で、いよいよ千鳥公園へとまっすぐ向かったのだけれど、公園入口へと続く道路と海底トンネルへと降りてゆく道路を隔てる喬木の生い茂るゾーンに分け入って、茂みに身を隠しながら用をたした。公園に臨むにあたって緊張していたわけではないが、―― どうもこのごろ近くなってしかたない――排尿後の身震いは、まるで武者震いのようで笑えた。

 千鳥公園は、公園とは名ばかりの様相を呈していて、いったいどこからどこまでが公園なのかもわからなかった。

 というのも、いたるところに廃車が打ち捨てられ、朽ち果てていて、衝撃を受けたからかも知れない。何故かこれだけの廃車を目の当たりにすると、レンズを向ける気にもなれないのは、我ながら不思議だった。

 その様は、すさみきった現代の人の心を想わせるようで、何か痛ましく注視できなかったほどだ。だからだろうか、ふと気が付いて振り仰いだ赤と白の煙突の偉容には驚かされたけれど、救われたような気もした。

 なんせ四基もずらりと居並んでいるのである。火力発電所にちがいない。それを狙って行ったり来たりしながらポジションを変え、そのあげくやっと見つけたのだけれど、実はそこはまだ公園ではなく、駐車場を入ったその奥が公園らしきもののようだった。

 駐車場のなかにさえも単なる駐車ではなく、永久に忘れ去られた乗用車が何台も放置され、その場に朽ち果てていた。どれもタイヤが四輪すべて揃っているものはない。

 そんなゴミ捨て場のような駐車場の片隅で、真っ赤な車のボンネットを上げ何やら修理している外人さんと、その彼女らしき人影。彼女は、つまらなそうにアスファルトにしゃがみこんでいる。

 つまらなそうにというのは、僕の勝手な判断だが、その後ろ姿がちょっとアンニュイで思わずシャッタを切ってしまっていた。近付きながら更に何カットか撮り、奥へと入ってゆくと、そこが公園入口で右手に公衆トイレがあり、左にやっと公園らしき緑がこんもりと生い茂っているのが見えた。

 入口をはいると、ベンチに腰掛け談笑しているカップルが見え、いかにも公園らしい風情にほっとしたけれども、その彼等の横を通過ぎながら、ふと振り返るとどうだろう、先程の火力発電所の巨大な紅白の煙突が、緑濃き樹木の額縁のなかに見事なまでにすっぽりと収まっているではないか。

 背景には、一点の曇りもない真っ青なスカイブルー。そして左右に樹木の緑を配し、それらによってくっきりと紅白の煙突が際立って見えている。

 煙突により黄金分割された直角三角形が鮮やかなまでに形作られ、動かしがたい完璧な構図を成している。火力発電所というインダストリアルなイメージと自然の融合。カメラのスクエアなフレームで意識的に切り取った光景ではなく、既に完璧なまでに作画された、まさに一幅の画がそこにあるのだった。

 もちろん、何発か撮った。撮りながら僕の頭に浮かんだイメージは、ヨーロッパ的な? たとえばフランスの片田舎、といっても大都市に隣接した市街地周辺の田園地帯の光景だった。

 そんな風に撮れていればうれしいけれど、暫しパストラルな心象風景に遊んだ。だが、それも束の間。踵を返し、奥へと進んでゆくと緑はじきに切れ、ぱっと視界がひらけたその先は、もう海。

 ガラーンと広がる船着き場には、釣り人たちがちりぢりに散らばり、川崎港を隔てた彼方には先程の海底トンネルがつながっているのだろう東扇島のコンビナートが声なくたたづんでいる。

『これより先関係者以外立入禁止』の柵の向こう側、岸壁がまっすぐ伸びているその先に大きな貨物船の黒い船体が、横付けされたというよりもぴたりと岸壁に据え付けられたように微動だせずに浮いている。

 とにもかくにも風が強い。殴りつけるように吹きつけてくる。波は立ち騒ぎ、波面をひらめかせながら底知れぬ恐怖をなみなみと湛えたグレーの海。

 眼前の東扇島から目を左に転ずると、遥か彼方には先端にオレンジの火の灯った鉄塔が、海面からにょっきりと突き出していた。

 だが、何故かそれが右側へと傾いでいるように見え、奇異な印象を受ける。

 この雄大なまでの眺めをカメラに何カットか収めはしたものの、実のところどのように撮ればいいのか、パノラマのどこをどう切り取ったならばいいものなのか、皆目見当もつかないのだった。

 キャノンのオンボロ普及機は、潮のため早々とシャッタ幕が下りっぱなしという状況に陥っていた。

 つまり、シャッタを切る度毎にレンズを着脱する作業を繰り返し行なわなければならない。

 あたりには夕闇が降りて来る気配が濃厚にたちこめはじめ、一気に暗くなってゆくその直前の一瞬の瞬きのような明るさ、そんなほんのわずかな光を写真家たちは、追い求めているのだろう、などと思った。

 片や自分は、なんとも矮小でつまらない存在であることを再確認した程度で、収穫と呼べそうなものもなかったけれども、手応えを感じたカットがあっただけでもよしとしなければならないだろう。

 最後に四囲をぐるりと見廻して、横殴りの強風に追い立てられるように公園の方へと歩を進めたが、しきりに何か忘れているような気がして仕方ないのだった。

 いや、無論忘れる筈もないのだけれども、努めて意識に上らせないようにしていたに過ぎないのかもしれない。『千鳥公園で待つ』とのメッセージは、何かのメタファーにすぎず、実際に公園で彼女が待っているという訳ではないのではないか。少なくとも公園内には、それらしき人物は見当たらなかった。

 まさか彼女が変装して来るわけもないだろうし(男装の麗人? んなバカな)いったいぜんたいこのカラクリの仕組みはどうなっているんだろうか。

 ポケットをさぐり、再び紙切れを開いてみる。コロコロと踊る丸文字が可愛らしいが、ぶっきらぼうに用件だけ告げている。『千鳥公園で待つ』――あるいは、アナグラムなのだろうか。evilが、liveになるよな……。chi/do/ri/ko/u/e/n/de/ma/tsu安っぽいミステリの読み過ぎか。

 まあ、はなから彼女に本当に逢えるなんて思ってもいなかったのだけれど、ただ、このメモ切れの存在が、どうしても引っ掛かるのだった。

 でも、これも単に自分で書いたものにすぎないのだろう。そう考えても何の不思議もなく記憶の欠落で説明出来てしまうのだし、敢えて答えを見出す必要もないだろう。

 だって、人生はミステリアスじゃなけりゃつまんない!――なんてぇのは、それこそ本当につまらないから、彼女には是が非でも登場してもらわねばならないのだが、どうやら、その劇的なまでに劇的な再会劇の幕が、今や切って落とされんとしているようである。 
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