69 / 82
川崎市夜光編
真っ黒なラブラドール
しおりを挟む
再び冊子を開いて読みはじめる。微熱のある時、あるいは病みあがりの時などには読めないようなシロモノだった。
ベッチンのような滑らかで冷たい光沢を身にまとった真っ黒なラブラドールが、一心に何やら見つめているのは、警戒のためだろうか、興味をそそられたせいなのだろうか、あるいは通りの角をまがってやってくるであろう主人を待っているかのようにも見えるのだが、ほんとうのところはわからないし、あがったばかりの雨に濡れ光っている石畳の急な勾配や、遠く白く霞んでみえる山並み、朝市に集う人々の服装や交わされる言葉、所狭し とならべられた露天の品々――色とりどりの果物やら、野菜、乾物、布地等々――それらいっさいがっさいの醸し出す空気が、あるジャズ・ギタリストの言っていた言葉――匂い立つようなジャズの色香――を思い起こさせたのは、濡れたようでいて乾いた――表面は濡れていながらも、内は乾いている――キャメラの視線からくるものと思われるが、それは、つまりすべては官能だということなのだろうけれど、その、生の凝縮された一瞬の艶っぽさに呼応するかのように、孤独な魂たちは天高く舞い上がってゆく。
教会の鐘の音が風に乗って運ばれてくるその直前に、ラブラドールは待っていたかのようにむっくりと起き上がるや、鐘の音が完全に鳴りやむまでその音に合わせるようにして高く低く吠えつないでゆき、何気なく――この喜びを分かちあいたくて――隣のふたりの存在を意識すると、不意に女ひとり、男ふたりの三人で同じように並んで映画を観たことが遠い昔に一度だけあったことを思い出し、今はなき国立スカラ座で観た二本立ての内、センチメンタルな一篇――たしか哀しみのセレナーデとかいった感じのタイトルで記憶が曖昧なのだが、もう一篇は「カサンドラ・クロス」とはっきり憶えている――で、一緒に行った女性――ひとつ年上で、この女性で童貞とおさらばした――が、号泣し、それを見て大笑いしてしまったのだけれど、それは、あまりにも安っぽい、それこそお涙ちょうだいみえみえの一篇であったからで、涙を流すなんてことはおよそ出来そうにない内容だったからだが(今一度、二篇をカップリングで観てみたい気もする)、しゅろの木陰のベンチで母親たちが、時間を忘れておしゃべりしているあいだ子供たちは冒険ごっこをはじめたようで、太い古タイヤのゆるやかに蛇行する長いトンネルや、ダムみたいなセメントの大きな滑り台、そして天蓋付きの砂場へと次々と世界を拡大してゆきながら、少しずつ少しずつ母親たちから遠ざかってゆき、それでもフライパンの上で爆ぜるポップコーンのように弾け散る歓声が、公園内に木霊している内はよかったものの、なんの前触れもなくいきなりはしゃぎ声の残響を残して、ぷつりと声がとだえてしまうと、それまでののどかで牧歌的な雰囲気は一気に消し飛んで、わが子の名を叫ぶように呼びながら母親たちが、あたりを駆けずり廻りはじめると、幾らもしない内にそこかしこから顔をのぞかせた子供たちが、かくれんぼしてるんだからまだ帰らないと怒ったように口々に言うので、胸をなでおろした母親たちは再び話しはじめ、義経千本桜のすし屋の段がどうたらこうたらとか、デュアルプロセッサだからちがうのよね、とか、果ては馬頭星雲の話や、パラアミノ安息香酸というのが欠乏するとネズミなんて白毛化がおこるらしいわよ、なんてわけのわからない話まで飛び出して来て、あらもうこんな時間、たいへん!と、誰かが言い出すまでおしゃべりは果てることなく――この世が果てることはあっても、おしゃべりは止まらないといった調子で――延々とつづくのだったが、と、そこで冷たい飲み物を盆にのせた由美が部屋に入ってくるなり、どう、このスカート、おニューなのと言う。
光沢のあるシルバーグレーのロングスカートは、足首までそっくり隠れてしまうほど丈が長く――近付いてくる由美を片手で制止して、人差指でゆっくりまわってと合図すると、蔓バラが裾前から這いのぼって太股のあたりから腰の方へと消えている――折角の脚線美が見られないのは残念だけれども、刺繍がほどこされた裾から絡み合いながら咲き誇る蔓バラの大輪を、一つ二つと数えながら見上げてゆくと、溜め息が洩れるほど見事な――きゅッと引き締まった――ヒップに行きあたり、つい見とれていると、由美は背中に眼が付いているのか、 「Hね、まるで痴漢じゃん」と蔑んだような口ぶりで言うので、「失礼な奴だな、バラを見てんだろ」と、ヒップから無理矢理剥がした視線を宙に泳がせながら、読み差しの小説に手を伸ばし読んでいるふりをしていると、由美は盆をテーブルに置き、スカートを気にしながら――皺のよらないように――畳にぺたりと座り込み、豊かな黒髪をかきあげて「ねえ、なに読んでるの」と呟くように言ったまま頬杖をついて、黙ってしまう。
やがて「あーつまんないなあ」と言いながら、タンブラー――麦茶にしてはやけに薄目の液体が入っていて、汗をかいている――を傾け、一気に半分ほどのんでしまい(「おい、それ俺に持ってきたんじゃないの」と上目づかいで非難する)、「あ、ごめん。すぐ作ってくるから」と言い置いて、見事な腰をくねらせながら部屋から出て行ったのだけれども、すぐ戻ってくるはずが、スマホが鳴り出して――友達かららしい――暫くすると、いよいよ本格的にしゃべりはじめたので、仕方なく――ちょっぴりHな気分になっていたのに——また小説のなかへのろのろと入ってゆく。
ベッチンのような滑らかで冷たい光沢を身にまとった真っ黒なラブラドールが、一心に何やら見つめているのは、警戒のためだろうか、興味をそそられたせいなのだろうか、あるいは通りの角をまがってやってくるであろう主人を待っているかのようにも見えるのだが、ほんとうのところはわからないし、あがったばかりの雨に濡れ光っている石畳の急な勾配や、遠く白く霞んでみえる山並み、朝市に集う人々の服装や交わされる言葉、所狭し とならべられた露天の品々――色とりどりの果物やら、野菜、乾物、布地等々――それらいっさいがっさいの醸し出す空気が、あるジャズ・ギタリストの言っていた言葉――匂い立つようなジャズの色香――を思い起こさせたのは、濡れたようでいて乾いた――表面は濡れていながらも、内は乾いている――キャメラの視線からくるものと思われるが、それは、つまりすべては官能だということなのだろうけれど、その、生の凝縮された一瞬の艶っぽさに呼応するかのように、孤独な魂たちは天高く舞い上がってゆく。
教会の鐘の音が風に乗って運ばれてくるその直前に、ラブラドールは待っていたかのようにむっくりと起き上がるや、鐘の音が完全に鳴りやむまでその音に合わせるようにして高く低く吠えつないでゆき、何気なく――この喜びを分かちあいたくて――隣のふたりの存在を意識すると、不意に女ひとり、男ふたりの三人で同じように並んで映画を観たことが遠い昔に一度だけあったことを思い出し、今はなき国立スカラ座で観た二本立ての内、センチメンタルな一篇――たしか哀しみのセレナーデとかいった感じのタイトルで記憶が曖昧なのだが、もう一篇は「カサンドラ・クロス」とはっきり憶えている――で、一緒に行った女性――ひとつ年上で、この女性で童貞とおさらばした――が、号泣し、それを見て大笑いしてしまったのだけれど、それは、あまりにも安っぽい、それこそお涙ちょうだいみえみえの一篇であったからで、涙を流すなんてことはおよそ出来そうにない内容だったからだが(今一度、二篇をカップリングで観てみたい気もする)、しゅろの木陰のベンチで母親たちが、時間を忘れておしゃべりしているあいだ子供たちは冒険ごっこをはじめたようで、太い古タイヤのゆるやかに蛇行する長いトンネルや、ダムみたいなセメントの大きな滑り台、そして天蓋付きの砂場へと次々と世界を拡大してゆきながら、少しずつ少しずつ母親たちから遠ざかってゆき、それでもフライパンの上で爆ぜるポップコーンのように弾け散る歓声が、公園内に木霊している内はよかったものの、なんの前触れもなくいきなりはしゃぎ声の残響を残して、ぷつりと声がとだえてしまうと、それまでののどかで牧歌的な雰囲気は一気に消し飛んで、わが子の名を叫ぶように呼びながら母親たちが、あたりを駆けずり廻りはじめると、幾らもしない内にそこかしこから顔をのぞかせた子供たちが、かくれんぼしてるんだからまだ帰らないと怒ったように口々に言うので、胸をなでおろした母親たちは再び話しはじめ、義経千本桜のすし屋の段がどうたらこうたらとか、デュアルプロセッサだからちがうのよね、とか、果ては馬頭星雲の話や、パラアミノ安息香酸というのが欠乏するとネズミなんて白毛化がおこるらしいわよ、なんてわけのわからない話まで飛び出して来て、あらもうこんな時間、たいへん!と、誰かが言い出すまでおしゃべりは果てることなく――この世が果てることはあっても、おしゃべりは止まらないといった調子で――延々とつづくのだったが、と、そこで冷たい飲み物を盆にのせた由美が部屋に入ってくるなり、どう、このスカート、おニューなのと言う。
光沢のあるシルバーグレーのロングスカートは、足首までそっくり隠れてしまうほど丈が長く――近付いてくる由美を片手で制止して、人差指でゆっくりまわってと合図すると、蔓バラが裾前から這いのぼって太股のあたりから腰の方へと消えている――折角の脚線美が見られないのは残念だけれども、刺繍がほどこされた裾から絡み合いながら咲き誇る蔓バラの大輪を、一つ二つと数えながら見上げてゆくと、溜め息が洩れるほど見事な――きゅッと引き締まった――ヒップに行きあたり、つい見とれていると、由美は背中に眼が付いているのか、 「Hね、まるで痴漢じゃん」と蔑んだような口ぶりで言うので、「失礼な奴だな、バラを見てんだろ」と、ヒップから無理矢理剥がした視線を宙に泳がせながら、読み差しの小説に手を伸ばし読んでいるふりをしていると、由美は盆をテーブルに置き、スカートを気にしながら――皺のよらないように――畳にぺたりと座り込み、豊かな黒髪をかきあげて「ねえ、なに読んでるの」と呟くように言ったまま頬杖をついて、黙ってしまう。
やがて「あーつまんないなあ」と言いながら、タンブラー――麦茶にしてはやけに薄目の液体が入っていて、汗をかいている――を傾け、一気に半分ほどのんでしまい(「おい、それ俺に持ってきたんじゃないの」と上目づかいで非難する)、「あ、ごめん。すぐ作ってくるから」と言い置いて、見事な腰をくねらせながら部屋から出て行ったのだけれども、すぐ戻ってくるはずが、スマホが鳴り出して――友達かららしい――暫くすると、いよいよ本格的にしゃべりはじめたので、仕方なく――ちょっぴりHな気分になっていたのに——また小説のなかへのろのろと入ってゆく。
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説

会社の上司の妻との禁断の関係に溺れた男の物語
六角
恋愛
日本の大都市で働くサラリーマンが、偶然出会った上司の妻に一目惚れしてしまう。彼女に強く引き寄せられるように、彼女との禁断の関係に溺れていく。しかし、会社に知られてしまい、別れを余儀なくされる。彼女との別れに苦しみ、彼女を忘れることができずにいる。彼女との関係は、運命的なものであり、彼女との愛は一生忘れることができない。

KAKIDAMISHI -The Ultimate Karate Battle-
ジェド
歴史・時代
1894年、東洋の島国・琉球王国が沖縄県となった明治時代――
後の世で「空手」や「琉球古武術」と呼ばれることとなる武術は、琉球語で「ティー(手)」と呼ばれていた。
ティーの修業者たちにとって腕試しの場となるのは、自由組手形式の野試合「カキダミシ(掛け試し)」。
誇り高き武人たちは、時代に翻弄されながらも戦い続ける。
拳と思いが交錯する空手アクション歴史小説、ここに誕生!
・検索キーワード
空手道、琉球空手、沖縄空手、琉球古武道、剛柔流、上地流、小林流、少林寺流、少林流、松林流、和道流、松濤館流、糸東流、東恩流、劉衛流、極真会館、大山道場、芦原会館、正道会館、白蓮会館、国際FSA拳真館、大道塾空道
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。


後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる