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川崎市夜光編
アジェのパリ
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オレたちはひとしきり大笑いした後、映画の話にも飽きたのか、話題は音楽へと自然に移行していった。
ところで、そんな具合にお気楽なふたりのバカ話がつづくなか、スタジオの一角に設けられたステージでは、カラオケ大会がはじまり、いわゆる歌謡曲のメロディが否応なく私たちふたりの鼓膜をふるわせるのだった。
いつの間にか後方の大きなモニター画面には、この映画のメイキングだろうか、ビデオ撮りの映像がサイレントで流されていて、ナツメロのカラオケ大会を聴きながらオレらは画面を暫し眺めてしまうのだった。
やがて、その歌声が不意にとまってしまい、オケだけが聞こえてくる。どうしたのかと振り返ってみると、なんとステージ上では殴り合いのケンカがはじまっていた。
銀縁眼鏡の筋肉質の男(ニワトリのかぶりものを被っている)が、若い男の子をめちゃくちゃに殴っている(殴るたびにニワトリの紅いトサカが揺れている)が、すぐに止めにはいった連中に取り押さえられステージから降ろされたものの、激昂はいっかなおさまらない様子で、尚も大声を張り上げつづけている。
そこではたと気が付いた。怒っている男は照明のチーフだろう。メイキングの映像の中で下っ端にあれこれ指示していたっけ。そして若い男の子の方は、製作部のようだ。確かさっき彼がカレーの大鍋をかきまぜていた映像を見たような気がする。
いや、しかし……ビデオは今しがた見はじめたばかりではないか。いつそんな情報が刷り込まれたのか。あるいは、知らぬ間に小一時間も見続けていたとでもいうのだろうか。まあいいや、と思いつつ再び小森くんに向き直り、どこまでいったっけと訊く。
「フラジャイルだよ」と小森くん。「ああ、イエスね。そうだった」
「ちがうちがう、バンドの方のフラジャイル」そう言って小森くんは、モニター画面の方をちらりと見遣る。オレもつられて振り返り、画面を見る。すると、いつ切り替わったのか、メイキング・ビデオなどではなく、この広大なスタジオ内のそこかしこにあるCCD? による映像だと気が付く。
時折、カラオケのステージの映像や、モニターを見ている自分たちが映し出されているからだ。だが、どうやらリアル・タイムではなくVTRの再生らしい。となると、やがて歌声が聞こえなくなり、ステージでは再び? ケンカが始まるのだろうか。
すると、案の定始まった。
事の発端が見事に再生されてゆく。まだ十代そこそこの若い彼が、銀縁眼鏡の男のニワトリのトサカのついた被りものをしたその格好を指差して笑ったのだ。
それが、同じ照明部の彼の部下だったら何の問題もなかっただろうが、製作部の一番下っ端? にバカにされたと受け取って、一気にキレてしまったようだ。
笑われた男のブチギレるその瞬間が、手に取るようによくわかった。顔面を蒼白にして若い子にぶつかるようにして胸倉をつかむと、右手こぶしが一閃、フック的に顎にヒット。その後はもうサンドバック状態となって、若い子が腹を押さえて前屈みになったところで、銀縁の男は取り押さえられた。
と、そこで画像が切り替わり、マネキンの森がダークに浮かびあがる。当然私は、目を凝らして彼女を追い求め上手の方で白っぽいものがちらりと見えたのは、彼女のワンピースの裾がひるがえったのではないのかとか、別なアングルの映像でゴダールと話しているのは彼女ではないのか(ゴダールは画面下手近くに座っており、右を向いて楽しげに会話しているようなのだが、肝心のその話し相手はフレームから見切れていてまったく誰なのかわからない)とか、もう気が気ではないのだった。
もう少し左にパンしろと、心のなかで念じ続けていたものの、どうやらサイコキネシス用のバッテリーは、上がったままらしい。が、そうこうする内に画面は変わって静止画像となり、アジェの撮ったパリを想わせるようなモノクロの端正な写真を一葉、一葉幻のように映し出してゆく。
そこで誰かの、それも異様なほどに強い視線を感じ、上を見上げると、なんのことはないマツキヨのデカ尻アドバルーンだった。彼女は、たっぷりと時間をかけて、スタジオの隅から隅まで悩殺の流し目を送っているのだ。
彼女の顔……は『アメリカ万歳』のゴールディ・ホーンから『未来は女のものである』のオルネラ・ムーティあるいは、『シリアル・ママ』か『ローズ家の戦争』のキャスリン・ターナーへと光線の加減で時々刻々と変化してゆくのだった。
そしてそれは無論、顔の造作のことではない。女性性のなかでの、心理的差異による表情の変遷である。その瞳が隠れて見えなくなるまでは、ぴりぴりするような視線を感じつづけねばならないようだ。おいでおいでをしている、そんな流し目を振り切って、再びモニター画面に目を遣る。
アジェの撮ったパリのようなではなく、これはアジェのパリに違いない。以前から見たいと思っていた写真集『AJET PARIS』からの画像だろう。
映画のなかで引用されたのだろうか。魂の渇望などといったら大仰かもしれないが、むさぼるようにして、アジェのパリに見入った。
しかし、なんとしたことか、魂の視線は、そこで断ち切られてしまうのである。所詮はVTRなのだからテープが終わってしまったならば、そこで画像も終了、巻戻しということだ。だが、やがてリワインドがなされたら、再生が自動に開始されるのではないか、と淡い期待を持った。
まあいいや、と思いつつ小森くんに向き直り、どこまでいったっけと訊く。
「フラジャイルだよ」と小森くん。
「ああ、イエスね。そうだった」
「ちがう、ちがう、バンドの方のフラジャイル」
ところで、そんな具合にお気楽なふたりのバカ話がつづくなか、スタジオの一角に設けられたステージでは、カラオケ大会がはじまり、いわゆる歌謡曲のメロディが否応なく私たちふたりの鼓膜をふるわせるのだった。
いつの間にか後方の大きなモニター画面には、この映画のメイキングだろうか、ビデオ撮りの映像がサイレントで流されていて、ナツメロのカラオケ大会を聴きながらオレらは画面を暫し眺めてしまうのだった。
やがて、その歌声が不意にとまってしまい、オケだけが聞こえてくる。どうしたのかと振り返ってみると、なんとステージ上では殴り合いのケンカがはじまっていた。
銀縁眼鏡の筋肉質の男(ニワトリのかぶりものを被っている)が、若い男の子をめちゃくちゃに殴っている(殴るたびにニワトリの紅いトサカが揺れている)が、すぐに止めにはいった連中に取り押さえられステージから降ろされたものの、激昂はいっかなおさまらない様子で、尚も大声を張り上げつづけている。
そこではたと気が付いた。怒っている男は照明のチーフだろう。メイキングの映像の中で下っ端にあれこれ指示していたっけ。そして若い男の子の方は、製作部のようだ。確かさっき彼がカレーの大鍋をかきまぜていた映像を見たような気がする。
いや、しかし……ビデオは今しがた見はじめたばかりではないか。いつそんな情報が刷り込まれたのか。あるいは、知らぬ間に小一時間も見続けていたとでもいうのだろうか。まあいいや、と思いつつ再び小森くんに向き直り、どこまでいったっけと訊く。
「フラジャイルだよ」と小森くん。「ああ、イエスね。そうだった」
「ちがうちがう、バンドの方のフラジャイル」そう言って小森くんは、モニター画面の方をちらりと見遣る。オレもつられて振り返り、画面を見る。すると、いつ切り替わったのか、メイキング・ビデオなどではなく、この広大なスタジオ内のそこかしこにあるCCD? による映像だと気が付く。
時折、カラオケのステージの映像や、モニターを見ている自分たちが映し出されているからだ。だが、どうやらリアル・タイムではなくVTRの再生らしい。となると、やがて歌声が聞こえなくなり、ステージでは再び? ケンカが始まるのだろうか。
すると、案の定始まった。
事の発端が見事に再生されてゆく。まだ十代そこそこの若い彼が、銀縁眼鏡の男のニワトリのトサカのついた被りものをしたその格好を指差して笑ったのだ。
それが、同じ照明部の彼の部下だったら何の問題もなかっただろうが、製作部の一番下っ端? にバカにされたと受け取って、一気にキレてしまったようだ。
笑われた男のブチギレるその瞬間が、手に取るようによくわかった。顔面を蒼白にして若い子にぶつかるようにして胸倉をつかむと、右手こぶしが一閃、フック的に顎にヒット。その後はもうサンドバック状態となって、若い子が腹を押さえて前屈みになったところで、銀縁の男は取り押さえられた。
と、そこで画像が切り替わり、マネキンの森がダークに浮かびあがる。当然私は、目を凝らして彼女を追い求め上手の方で白っぽいものがちらりと見えたのは、彼女のワンピースの裾がひるがえったのではないのかとか、別なアングルの映像でゴダールと話しているのは彼女ではないのか(ゴダールは画面下手近くに座っており、右を向いて楽しげに会話しているようなのだが、肝心のその話し相手はフレームから見切れていてまったく誰なのかわからない)とか、もう気が気ではないのだった。
もう少し左にパンしろと、心のなかで念じ続けていたものの、どうやらサイコキネシス用のバッテリーは、上がったままらしい。が、そうこうする内に画面は変わって静止画像となり、アジェの撮ったパリを想わせるようなモノクロの端正な写真を一葉、一葉幻のように映し出してゆく。
そこで誰かの、それも異様なほどに強い視線を感じ、上を見上げると、なんのことはないマツキヨのデカ尻アドバルーンだった。彼女は、たっぷりと時間をかけて、スタジオの隅から隅まで悩殺の流し目を送っているのだ。
彼女の顔……は『アメリカ万歳』のゴールディ・ホーンから『未来は女のものである』のオルネラ・ムーティあるいは、『シリアル・ママ』か『ローズ家の戦争』のキャスリン・ターナーへと光線の加減で時々刻々と変化してゆくのだった。
そしてそれは無論、顔の造作のことではない。女性性のなかでの、心理的差異による表情の変遷である。その瞳が隠れて見えなくなるまでは、ぴりぴりするような視線を感じつづけねばならないようだ。おいでおいでをしている、そんな流し目を振り切って、再びモニター画面に目を遣る。
アジェの撮ったパリのようなではなく、これはアジェのパリに違いない。以前から見たいと思っていた写真集『AJET PARIS』からの画像だろう。
映画のなかで引用されたのだろうか。魂の渇望などといったら大仰かもしれないが、むさぼるようにして、アジェのパリに見入った。
しかし、なんとしたことか、魂の視線は、そこで断ち切られてしまうのである。所詮はVTRなのだからテープが終わってしまったならば、そこで画像も終了、巻戻しということだ。だが、やがてリワインドがなされたら、再生が自動に開始されるのではないか、と淡い期待を持った。
まあいいや、と思いつつ小森くんに向き直り、どこまでいったっけと訊く。
「フラジャイルだよ」と小森くん。
「ああ、イエスね。そうだった」
「ちがう、ちがう、バンドの方のフラジャイル」
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