パスティーシュ

トリヤマケイ

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川崎市夜光編

ガス・ヴァン・サント

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「よーし、調子出てきたようだね。次いこ次」

「ええ? そうか次ねぇ。じゃ、ガス・ヴァン・サントなんかいってみる?」

「いいね。大好き」

「そうなんだよね。いいよね、この監督。じゃ、なんとモノホンのバロウズがヤク中の牧師役を演じてた『ドラッグ・ストア・カウボーイ』だけども、バロウズが出てるなんてまったく知らなかったから、うっそー! てな感じで、なんだかとってもうれしかった一篇だね。それにしても、ジャンキーの牧師役とは、すごすぎる。

   で、肝心の中身のほうだけど、悪くない。病院を襲撃するシーンとか、リアルで迫力あるし、個々のエピソードもうまく連関しスピーディに展開してゆく。ナディーンという女の子の死も意表をつくと共に、ベッドに帽子を置くといったタブーを犯した本人が、奇しくも死を遂げたという神秘性をも窺わせたけれど、実のところどうだったんだろう。

   ナディーンは自分の犯したタブーによって、夜が明けても三人が帰らないんだと確信した筈だものね。となると、たとえボブが帰って来たとしても今度こそは、追い出されてしまうのは目に見えているし、自責の念と孤独への恐怖の内に自殺へと至ってしまったのでは、なんて思ったりしたんだけど。

   でね、この辺りから次のシーンのナディーンの死体を屋根裏に隠すくだりが、映画のピークだと思う。それ以降、映画はゆっくりと下降線をたどりながら、失速してゆく。

 ボブの『この仕事から足を洗い、田舎に帰ってヤク中を治す』という心の変化から、一気に張り詰めていた空気が外へと洩れだし、風船が萎んでゆくように、映画も萎えていった。

   心情的にはさ、僕だってむろんボブが足を洗うって言い出した時には良かったと思ってさ、施療中に何か邪魔がはいって元のもくあみにならなければいいけどってハラハラしたんだけど、そのハラハラは、前半の病院やドラッグストア襲撃時のハラハラとは、まったく異なるそれなんだよ。

   後者のハラハラは、現状を守り維持しようとするベクトルによるハラハラで、前者は逆に日常の壁をぶち破ろうとする言わば負のベクトルによる、それ。

 つまり、破壊と創造。映画は破壊のベクトルによって一気に突き進んできたけれども、その破壊のもたらす緊張感がゆるむと同時に映画の熱も冷めてゆくみたいなんだ。

   もちろん、ボブが二十一日間のメタドン治療を受ける際、部屋代を支払うためにまっとうな仕事を一日一日と重ねてゆくのは、たいへんなことであっただろうし、以前のヤク仲間といった連中にリンチされながらも一切抵抗しなかったボブは、信念を貫き通す強固な意志を感じさせた。

   現実から逃げることよりも、維持し守ることの方がどれだけたいへんな事であるか、こういった道徳的な見地によるものの見方が一般的だし、僕も認めるところだけれども、しかし、残念ながら映画は道徳のお時間ではないんだよね。

 リンチを受け、ピストルで撃たれてしまったボブが、これで快楽に溺れ現実から逃避していた己の人生への借りを返したと言うのは、カッコいい。でも、惜しむらくはあの『ボニーとクライド』のように、己の衝動のまま、まっしぐらに突き進んでほしかったよ。

   というのもさ、良い子に転じたボブを描くよりも、ボニーとクライドの絶望こそが人々の心に訴え、胸を打つのではないだろうか、そう思うんだ。良い子になったボブは僕たちに何も残してはくれないんだよ。

「なるほど。そうかもね、そういう見方もあるわけだ。じゃ、お次ね」

「へっ、まだやるわけ?」

「またまた、油がのってきたとこじゃない。はい、どーぞ」

「そう? じゃ、お言葉に甘えて『髪結いの亭主』いってみようかな。これ室内劇なんだよね、それが先ず気にくわないんだけど。散発的に挿入される回想カットとマチルドの自殺前後のシーンを除けば、室外でのシーンはイジドールを老人ホーム? に訪ねるくだりだけなんだ。でもね、この映画が床屋のおやじのアントワーヌの自閉した夢のような世界の物語なんだから、閉じられた床屋の店内はそのままアントワーヌの心象世界と言え、それ故の室内劇という訳なのかな。

 で、映画はアントワーヌが思い通りにマチルドを手に入れた幸福の日々を描いてゆくけれども、観るもの誰しもこのままでは終わらないのではないか、と思ったんじゃないかな。それほどさ、アントワーヌとマチルドは仲睦まじく、ふたりの幸福は絶頂を極めたかのようにみえるんだよね。

   そして、果たせるかなっていうか、お約束どおりふたりに悲劇が訪れる。アントワーヌとの最期の愛を交わした後で、マチルドは川に身を投げるってわけだけれども、ただその理由がいただけないんだよね、あまりにも陳腐すぎてさ。   

   もっとも、文明がいくら発達しようが男と女のあいだだけは何ひとつ変わらず千年一日の如く、今日もどこかで愛憎劇が繰り広げられているんだろうから、いまさら陳腐もなにもないんだけど、僕にとっては勘弁してよってかんじだね。

   どうしてもマチルドを殺さなけりゃ映画が成り立たないとでも言うんだろうか。何もドラマティックなことは起こらずに、坦々と空気のように観ていることも忘れてしまうような、そんな映画を観たかった。この監督にはそれが期待出来そうだったから。エンディングは、なんとかそういったムードを演出してみせてくれるんだけどもね…。

 ま、ともかく僕の偏見ではこの作品の唯一最大の欠点/弱点は、マチルドの自殺の理由に在るね。あまりにも甘く、ドラマティックすぎるんだ。

 現在の幸福が崩れ去らぬ今の時点で、幸福の絶頂の内にアントワーヌの思い出を抱いて死んでゆくマチルド。これではまったくきれいごとすぎるよね。安っぽい詩みたいだよ。

 あれだけ全編にわたって肉欲の歓びを謳っていた作家が、ここに至って愛と死に懊悩する詩人へと豹変してしまったというわけだけど、このマチルドのあまりにも劇的で切ない死によって、映画自体も神々しく輝き出すと考えているんだろうか。

 勿論さ、現実にこんなタイプの女性も存在するだろうけれど、そんなきれいごとで映画を終わらせてもらいたくはないね。

 マチルドが言った台詞「ひとつだけ約束して。愛してるふりだけはやめて」に予言されているように、死によってふたりの愛の神聖化を企てるのではなく、ふたりで育んだ愛がぼろぼろに朽ち果て腐敗臭をたてるまでにいたっても尚、自分を偽り続けて、どろどろの愛欲の渦巻く世界にのみ「生」を見出してゆくとか、あるいはマチルドの死は、ふたりの愛の永遠化などではなくて、己の犯した不貞による良心の呵責に耐えきれなかったから、とか、ちょっと極端だけれども、そんな具合にさ現実の男女間の愛はきれいごとでは済まされないわけよ。

 でもね、この監督さんは愛の醜さを一切排除して、何ものにも侵すことの出来ない永遠の愛を謳いあげる。

 それはそれでね、大いに結構なことにちがいないんだけど、個人的にははね、ちょっと違うかなと…。でも、ルコントの視点はもしかしたらもっと高いところにあるのかもしれない。「愛とは不条理である」ってやつだけどね。そういうことだったら納得ゆかないこともないけど。

 でね、現実を現実のまま、醜さを醜さのまま眼前に突きつけてくる、あのグリーナウェイはすごかったなぁ、と思ってしまうんだよね」

「そうだね。タイトルもさ、髪結の亭主なんていいもんじゃないよね。『床屋のおやじ』これで充分だよ、アハハ」 
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