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川崎市夜光編
巨大なヒップとピラミッドのようなバストのアドバルーン
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やがて通訳の女性が口をひらいた。
「きみはほんとうに耳がいいんだねぇ。実はあのフイルムにはビートルズの『サージェント・ペッパーズ』のように人の可聴域を超えた低周波である旋律を流してみたんだよ。聴きとれるのは犬ぐらいなもんだと思っていたけれど、そう……きみがねぇ。もしかしたら前世が犬だったとか? ハハハ」
オレには通訳の言葉がとても信じられなかった。そんなバカな、実際にメロディが流されていたなんて……。
あの時のオレの涙はいったいなんだったんだろう。私はなにも美しい調べに感動したわけではない。無音の世界から旋律が聞こえて来たということ。
つまり、このオレたちの世界には実際には聞き取れなくとも、ほんとうは音楽に満ち溢れているという、そのことに感動したのだ。
ただオレたちは、それらに気付かないだけで、音楽のマエストロたちはそれらを聴き取る能力を持っていた、ということだろう。
ところが、フェリーニの『8½』というフイルムを観ることによって、凡人であるオレのような人間でも世界が立ち現れてくる、音楽の正にその瞬間に居合わせることが出来たということ。
つまり、フェリーニはフイルムに人間の営みと、世界の現象を焼き付けていただけなのではなく、それらの内に立ち現れてくる音楽さえをも意識し、写し取っている。ずっとそう思っていた……だが、実際は………。
フェリーニに対する想いが、音を立てて瓦解してゆく。軽い眩暈にオレはこめかみを押さえた。と、その刹那、拡声器ががなりたてた。
「カット!」
えっ⁈ クランク・アップしたんじゃなかったの? 眼前のフェリーニは、ドルチェとか言いながらオレに握手すると、すたすたと人工の海のセットの方へと歩き去っていった。ということは、つまり?
オレは辺りをぐるりと見廻す。すると、とてつもなく大きなヒップをくねらせる女性のフォルムを持つ、巨大なアドバルーンが目に飛び込んで来た。
彼女は、白のホットパンツにオレンジのTシャツといういでたちで、ピラミッドのように盛り上がったTシャツの胸には、マツモトキヨシの文字が紅く染め抜かれてある。
そして、そのバルーンのもやい綱といってもいいのだろうか、それを下方に辿って見てゆくと、千躰はあるだろう、夥しい数のマネキンの樹海の奥に、まるで隠れるようにしてディレクターズ・チェアに座っている本物の監督を見つけ出した。
黒のサングラスをかけ、葉巻を咥えている。その飄々たる風貌。紛う方なき希代の天才がそこにいた。
その人の名は、ジャン・リュック・ゴダール。これにはたまげた。フェリーニのCM製作の現場を、ゴダールがドキュメンタリー風に撮ったということか?
何もかもぶっつけ本番で、シナリオなんてものはないような……いや、それこそゴダールの十八番だったっけ。
それにしてもすごいスタッフの数だ。ゴダールのフィルムは低予算で作られている筈ではなかったか。これではまるで、SF超大作といった感じだ。
彼女は、アルマーニのPと共に今度こそ本物の監督に花束を渡すべくゴダールめがけて歩いてゆく。その後ろ姿を見送りながら、それで花束がふたつあったのかと、合点する。
距離にしてたぶん300メートルくらいはあるのではないか。今ゴダールは、どこかのTV局の取材を受けている。
むろんオレが千里眼というわけでもなく、傍らにある巨大なモニターに、そのゴダールの姿が映し出されているというわけだ。肉眼では何が何やらさっぱりわからない。
スタジオ内の上空では、例の彼女が腰をグラインドするようにしながら、ゆっくりと回転している。
オレはそれから目を離せずに、暫くぼうっと眺めていた。やがて下界は喧騒に包まれはじめ、私もクランク・アップを祝うちょっとしたパーティに仲間入りさせてもらったが、肝心の彼女はマネキンの樹海のなかからまだ出て来ないのか、姿が見当たらなかった。
巨大なモニターには、空っぽのディレクターズチェアが映し出されているだけだった。
途方もなく大きいが、ともかく同じスタジオ内にいるのだからと自分に言い聞かせつつ、ボーイの持つ飲み物や食べ物にぶつかる度に、手当たり次第かっさらい胃袋に収めていった。
日本語や英語が飛び交うなかを蘭鋳になったような気分で泳ぎ廻る。実に様々な会話が交わされ、その言葉の断片が、うずたかくスタジオ内に積もってゆく。
それはまるで、それぞれの声部が旋律の横の流れを主張しながら、対等な立場で絡み合ってゆくポリフォニックな音楽を想い起こさせた。
外国の映画スタッフのことはよく知らないが、以前映画の製作に関った際に感じたことは、まるっきり軍隊のようではないか、ということだった。
頭に監督という天皇を戴いた完全なるタテ社会。映画を作るという目的で監督の下、ひとつにまとまっているかに見える演出、製作、撮影、照明、美術等々の各部は、実は完全に乖離した存在で、常に火花を散らし合っているのだった。
それだからこそいいものが出来るという理屈なのかもしれないが、限られた日数と製作費でもってよりよいものをつくろうというのだから、戦々恐々とした日々が続くわけで、正に映画製作という戦争に参戦した軍隊そのものなのだ。
故に全軍を率いる指揮官たる監督は、絶対的存在で在らねばならず、監督をして天皇と呼ばしむるのもまた、実に的確な表現だった。
ゴダールのいるマネキンの樹海に、たぶんまだ彼女はいるのだろうが、そこにはむろん演出部の連中がたむろしているだろうからと思い、近付きたくともなかなか足が向かない自分が歯痒かった。苦手意識というわけでもないが演出部の奴等とはどうも馬が合わない。
というのも監督は次元の異なる存在だが、助監督以下、いつかは天皇になってやろうと思っている連中は、演出こそ映画製作の中枢なのだという自負からか、自分たちは特別な存在なのだとする優越感がもろに顔に出ていて、偉そうなことこの上ないのだ。
無論、監督を擁する演出部が、映画製作の核となっていることは否定しないが、他の部がひとつでも欠けようものなら、映画は絶対に完成し得ないのは自明であって、演出部のエリート意識は、全く以ってお笑い草以外のなにものでもない。
自分は選ばれし貴種なのだ、などとほざくのは、監督になって賞のひとつでもとってからにしてほしい。
などと、どうでもいいようなくだらないことを考えながら、オレは千鳥足で、各部のコロニーを縫うようにして回遊してゆく。と、向こうから見知った顔が近付いて来るではないか。
まだ、オレには気付いていないようだ。とろんとした眼。だいぶご酩酊のご様子。
しかし、なぜまた彼がこんな場所にいるのか。推測するに、新しい彼女がメイクさんでもやっていて、それで紛れ込んだとか。
因みにアイツの元カノは確かダンサーだった筈だ。ま、それはともかく、彼には以前小説のなかで死んでもらったことがある。目があった。
「きみはほんとうに耳がいいんだねぇ。実はあのフイルムにはビートルズの『サージェント・ペッパーズ』のように人の可聴域を超えた低周波である旋律を流してみたんだよ。聴きとれるのは犬ぐらいなもんだと思っていたけれど、そう……きみがねぇ。もしかしたら前世が犬だったとか? ハハハ」
オレには通訳の言葉がとても信じられなかった。そんなバカな、実際にメロディが流されていたなんて……。
あの時のオレの涙はいったいなんだったんだろう。私はなにも美しい調べに感動したわけではない。無音の世界から旋律が聞こえて来たということ。
つまり、このオレたちの世界には実際には聞き取れなくとも、ほんとうは音楽に満ち溢れているという、そのことに感動したのだ。
ただオレたちは、それらに気付かないだけで、音楽のマエストロたちはそれらを聴き取る能力を持っていた、ということだろう。
ところが、フェリーニの『8½』というフイルムを観ることによって、凡人であるオレのような人間でも世界が立ち現れてくる、音楽の正にその瞬間に居合わせることが出来たということ。
つまり、フェリーニはフイルムに人間の営みと、世界の現象を焼き付けていただけなのではなく、それらの内に立ち現れてくる音楽さえをも意識し、写し取っている。ずっとそう思っていた……だが、実際は………。
フェリーニに対する想いが、音を立てて瓦解してゆく。軽い眩暈にオレはこめかみを押さえた。と、その刹那、拡声器ががなりたてた。
「カット!」
えっ⁈ クランク・アップしたんじゃなかったの? 眼前のフェリーニは、ドルチェとか言いながらオレに握手すると、すたすたと人工の海のセットの方へと歩き去っていった。ということは、つまり?
オレは辺りをぐるりと見廻す。すると、とてつもなく大きなヒップをくねらせる女性のフォルムを持つ、巨大なアドバルーンが目に飛び込んで来た。
彼女は、白のホットパンツにオレンジのTシャツといういでたちで、ピラミッドのように盛り上がったTシャツの胸には、マツモトキヨシの文字が紅く染め抜かれてある。
そして、そのバルーンのもやい綱といってもいいのだろうか、それを下方に辿って見てゆくと、千躰はあるだろう、夥しい数のマネキンの樹海の奥に、まるで隠れるようにしてディレクターズ・チェアに座っている本物の監督を見つけ出した。
黒のサングラスをかけ、葉巻を咥えている。その飄々たる風貌。紛う方なき希代の天才がそこにいた。
その人の名は、ジャン・リュック・ゴダール。これにはたまげた。フェリーニのCM製作の現場を、ゴダールがドキュメンタリー風に撮ったということか?
何もかもぶっつけ本番で、シナリオなんてものはないような……いや、それこそゴダールの十八番だったっけ。
それにしてもすごいスタッフの数だ。ゴダールのフィルムは低予算で作られている筈ではなかったか。これではまるで、SF超大作といった感じだ。
彼女は、アルマーニのPと共に今度こそ本物の監督に花束を渡すべくゴダールめがけて歩いてゆく。その後ろ姿を見送りながら、それで花束がふたつあったのかと、合点する。
距離にしてたぶん300メートルくらいはあるのではないか。今ゴダールは、どこかのTV局の取材を受けている。
むろんオレが千里眼というわけでもなく、傍らにある巨大なモニターに、そのゴダールの姿が映し出されているというわけだ。肉眼では何が何やらさっぱりわからない。
スタジオ内の上空では、例の彼女が腰をグラインドするようにしながら、ゆっくりと回転している。
オレはそれから目を離せずに、暫くぼうっと眺めていた。やがて下界は喧騒に包まれはじめ、私もクランク・アップを祝うちょっとしたパーティに仲間入りさせてもらったが、肝心の彼女はマネキンの樹海のなかからまだ出て来ないのか、姿が見当たらなかった。
巨大なモニターには、空っぽのディレクターズチェアが映し出されているだけだった。
途方もなく大きいが、ともかく同じスタジオ内にいるのだからと自分に言い聞かせつつ、ボーイの持つ飲み物や食べ物にぶつかる度に、手当たり次第かっさらい胃袋に収めていった。
日本語や英語が飛び交うなかを蘭鋳になったような気分で泳ぎ廻る。実に様々な会話が交わされ、その言葉の断片が、うずたかくスタジオ内に積もってゆく。
それはまるで、それぞれの声部が旋律の横の流れを主張しながら、対等な立場で絡み合ってゆくポリフォニックな音楽を想い起こさせた。
外国の映画スタッフのことはよく知らないが、以前映画の製作に関った際に感じたことは、まるっきり軍隊のようではないか、ということだった。
頭に監督という天皇を戴いた完全なるタテ社会。映画を作るという目的で監督の下、ひとつにまとまっているかに見える演出、製作、撮影、照明、美術等々の各部は、実は完全に乖離した存在で、常に火花を散らし合っているのだった。
それだからこそいいものが出来るという理屈なのかもしれないが、限られた日数と製作費でもってよりよいものをつくろうというのだから、戦々恐々とした日々が続くわけで、正に映画製作という戦争に参戦した軍隊そのものなのだ。
故に全軍を率いる指揮官たる監督は、絶対的存在で在らねばならず、監督をして天皇と呼ばしむるのもまた、実に的確な表現だった。
ゴダールのいるマネキンの樹海に、たぶんまだ彼女はいるのだろうが、そこにはむろん演出部の連中がたむろしているだろうからと思い、近付きたくともなかなか足が向かない自分が歯痒かった。苦手意識というわけでもないが演出部の奴等とはどうも馬が合わない。
というのも監督は次元の異なる存在だが、助監督以下、いつかは天皇になってやろうと思っている連中は、演出こそ映画製作の中枢なのだという自負からか、自分たちは特別な存在なのだとする優越感がもろに顔に出ていて、偉そうなことこの上ないのだ。
無論、監督を擁する演出部が、映画製作の核となっていることは否定しないが、他の部がひとつでも欠けようものなら、映画は絶対に完成し得ないのは自明であって、演出部のエリート意識は、全く以ってお笑い草以外のなにものでもない。
自分は選ばれし貴種なのだ、などとほざくのは、監督になって賞のひとつでもとってからにしてほしい。
などと、どうでもいいようなくだらないことを考えながら、オレは千鳥足で、各部のコロニーを縫うようにして回遊してゆく。と、向こうから見知った顔が近付いて来るではないか。
まだ、オレには気付いていないようだ。とろんとした眼。だいぶご酩酊のご様子。
しかし、なぜまた彼がこんな場所にいるのか。推測するに、新しい彼女がメイクさんでもやっていて、それで紛れ込んだとか。
因みにアイツの元カノは確かダンサーだった筈だ。ま、それはともかく、彼には以前小説のなかで死んでもらったことがある。目があった。
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