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川崎市夜光編
失語の海
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傍らにはオレと同じ様にして海を眺めている女性がいる。顔は見えないけれど、不思議なことに誰なのかわかっていた。
夢でよくあるシチュエーションではないだろうか。まあ、夢も人それぞれだろうから一概にはいえないのだが。
彼女は背中の大きく開いた淡い水色のキャミソールを着ている。のぞいた背中には虫食われの跡も、シミ、ソバカスもない。
露な肩口から伸びたしなやかな腕の先、二の腕から手首にかけて白いガーゼのような薄い布が巻かれ、それが唯一彼女の存在を現実たらしめているように思えた。
時折、潮風に亜麻色の長い髪が舞い、光を帯びた丸い肩が見え隠れする。オレらは植物のようにひっそりとたたずんで、今しも沈みゆく夕陽に染まりながら、互いに話しかける機会を逸し続けていた。いや、少なくとも自分はそうだった。
無論言葉を失った訳ではなく、いや、言葉を失うほどに脳裏を言葉が目まぐるしく過ぎったが、発語寸前のところでことごとく淘汰されてしまうのだった。
と、右手前方に白く横長の看板らしきものが忽然と現れた。オレは彼女を促しそちらへと歩いてゆくものの、なんだか自分の足が自分の足でないようで、もどかしい。
近付くと、白いプレートにすでに消えかかっていたが、《失語の海》と書かれてあった。
なんだそういうことだったのか。自分の勝手な想像では、この場所にそぐわない会話をしたら即NGというゲームを彼女としている筈だった。NGが何を意味しているのかわからないけれど、たぶん、この幻想的な世界での彼女との邂逅が終了というのが妥当な線だろう。
とまれ、失語の海という、そのおかしなネーミングの下には、但し書きが記されている。
《恋人同士でこの浜辺へと来たものに限り、一時的な失語症に陥る場合がある》
なんとまあ、すごいというか、訳の分からない設定だった。ただ、わけがわからないけれどうれしかった。
うれしい理由は、これで逆にオレたちは恋人同士だと証明されたようなものだからだ。
ただし、彼女にはそういった認識があるのだろうか。彼女をちらりと見やると、多少関心を示したような素振りを見せはしたものの、その涼しげな眼差しは、白いプレートを透過して海でもなく水平線でもない、どこか遠くを、つまり、何ものもその瞳には映じていないのではないか、と直感せざるを得なかった。
そんな彼女の横顔を見つめていると、ここが《失語の海》であるということ以前に、かける言葉すら見つからないのだった。
すると、唐突に複数の人声が聞こえ、振り向くと波打際へと7、8人の男女が駆けてゆくのが見えた。
何かが打ち上げられたのか、それをぐるりと囲んで話し込んでいる。オレは彼女の手を取り、ゆっくりとした歩調でそちらへと進む。
砂浜にはまさに彼らがつけた足跡しか見当たらず、出来ることならば裸足になってぢかに砂の感触を愉しみたかった。
裸足ならばさらに足跡も綺麗にちがいない。気付くと、彼女はすでに輪のなかに加わって、「何か」を覗きこんでいる。
人々は、口々に何か言い合い、はっきりと聞えるのだが、やたらに早口で何を喋っているのかは、わからない。
オレは、あたかも読唇術を心得ているいるかのように、ひとりひとりの口元をじっと見つめてゆく。すると、カメラでズーミングしたように、それぞれの口元がクローズアップされてゆく。
人の目にもこんな機能があったらなと想いつつ、そこでやおら気が付いた。オレはさっきまでカメラのファインダーを覗いていた筈で、ということは、これをやっているのは元の場所にいる外でもない自分なのだと思った。
ま、それはともかく口元が大写しにされた途端、明確に彼等の声が言葉として聴きとれたのだった。
「あれけ、これがそうなのけ」
「ほうずらぁ、これがミウバシラサカずらぁ」
「ふーん、ほんとうけ」
「て、すごいじゃん。みてみろし」
「死んでるずらか?」
「ほりゃあ、死んでるずらよ」
「そうずらね。いっさらさっきから動かんもんね」
「ね、これ食えるらか?」
「おまんは、だっちょもねえこと言っちょしねぇ」
「ほうけ。ほうずらねぇ」
と、まあこんな具合で、山梨の方言だろうか。しかし、ロデジウムとは、いったい何なのだろう。
そう思って、記憶を手繰り寄せようとした途端、オレの肥大してよろよろの心臓は、driveする方法を忘れてしまったのか、コトリと音をたてて停止してしまった。
いや、そもそもはなから動いてなどいなかったのかもしれないと想わせるほどの永遠とも思える刹那の空白の後、自動的にスクランブルがかけられたのか、すぐさま心臓に取って代わって緊急用の補助動力電源に火が入り、不安定ながらも全身に再びパルスが送られはじめた。
そうして、その脈動にシンクロしながら膨大な量の記憶が、ダムが決壊したかのように黒々とした奔流となって一気になだれこみ、そして、炸裂した。
原色の洪水、文字や幾何学図形のアラベスク、魂のタペストリー。……やがて暗転。
夢でよくあるシチュエーションではないだろうか。まあ、夢も人それぞれだろうから一概にはいえないのだが。
彼女は背中の大きく開いた淡い水色のキャミソールを着ている。のぞいた背中には虫食われの跡も、シミ、ソバカスもない。
露な肩口から伸びたしなやかな腕の先、二の腕から手首にかけて白いガーゼのような薄い布が巻かれ、それが唯一彼女の存在を現実たらしめているように思えた。
時折、潮風に亜麻色の長い髪が舞い、光を帯びた丸い肩が見え隠れする。オレらは植物のようにひっそりとたたずんで、今しも沈みゆく夕陽に染まりながら、互いに話しかける機会を逸し続けていた。いや、少なくとも自分はそうだった。
無論言葉を失った訳ではなく、いや、言葉を失うほどに脳裏を言葉が目まぐるしく過ぎったが、発語寸前のところでことごとく淘汰されてしまうのだった。
と、右手前方に白く横長の看板らしきものが忽然と現れた。オレは彼女を促しそちらへと歩いてゆくものの、なんだか自分の足が自分の足でないようで、もどかしい。
近付くと、白いプレートにすでに消えかかっていたが、《失語の海》と書かれてあった。
なんだそういうことだったのか。自分の勝手な想像では、この場所にそぐわない会話をしたら即NGというゲームを彼女としている筈だった。NGが何を意味しているのかわからないけれど、たぶん、この幻想的な世界での彼女との邂逅が終了というのが妥当な線だろう。
とまれ、失語の海という、そのおかしなネーミングの下には、但し書きが記されている。
《恋人同士でこの浜辺へと来たものに限り、一時的な失語症に陥る場合がある》
なんとまあ、すごいというか、訳の分からない設定だった。ただ、わけがわからないけれどうれしかった。
うれしい理由は、これで逆にオレたちは恋人同士だと証明されたようなものだからだ。
ただし、彼女にはそういった認識があるのだろうか。彼女をちらりと見やると、多少関心を示したような素振りを見せはしたものの、その涼しげな眼差しは、白いプレートを透過して海でもなく水平線でもない、どこか遠くを、つまり、何ものもその瞳には映じていないのではないか、と直感せざるを得なかった。
そんな彼女の横顔を見つめていると、ここが《失語の海》であるということ以前に、かける言葉すら見つからないのだった。
すると、唐突に複数の人声が聞こえ、振り向くと波打際へと7、8人の男女が駆けてゆくのが見えた。
何かが打ち上げられたのか、それをぐるりと囲んで話し込んでいる。オレは彼女の手を取り、ゆっくりとした歩調でそちらへと進む。
砂浜にはまさに彼らがつけた足跡しか見当たらず、出来ることならば裸足になってぢかに砂の感触を愉しみたかった。
裸足ならばさらに足跡も綺麗にちがいない。気付くと、彼女はすでに輪のなかに加わって、「何か」を覗きこんでいる。
人々は、口々に何か言い合い、はっきりと聞えるのだが、やたらに早口で何を喋っているのかは、わからない。
オレは、あたかも読唇術を心得ているいるかのように、ひとりひとりの口元をじっと見つめてゆく。すると、カメラでズーミングしたように、それぞれの口元がクローズアップされてゆく。
人の目にもこんな機能があったらなと想いつつ、そこでやおら気が付いた。オレはさっきまでカメラのファインダーを覗いていた筈で、ということは、これをやっているのは元の場所にいる外でもない自分なのだと思った。
ま、それはともかく口元が大写しにされた途端、明確に彼等の声が言葉として聴きとれたのだった。
「あれけ、これがそうなのけ」
「ほうずらぁ、これがミウバシラサカずらぁ」
「ふーん、ほんとうけ」
「て、すごいじゃん。みてみろし」
「死んでるずらか?」
「ほりゃあ、死んでるずらよ」
「そうずらね。いっさらさっきから動かんもんね」
「ね、これ食えるらか?」
「おまんは、だっちょもねえこと言っちょしねぇ」
「ほうけ。ほうずらねぇ」
と、まあこんな具合で、山梨の方言だろうか。しかし、ロデジウムとは、いったい何なのだろう。
そう思って、記憶を手繰り寄せようとした途端、オレの肥大してよろよろの心臓は、driveする方法を忘れてしまったのか、コトリと音をたてて停止してしまった。
いや、そもそもはなから動いてなどいなかったのかもしれないと想わせるほどの永遠とも思える刹那の空白の後、自動的にスクランブルがかけられたのか、すぐさま心臓に取って代わって緊急用の補助動力電源に火が入り、不安定ながらも全身に再びパルスが送られはじめた。
そうして、その脈動にシンクロしながら膨大な量の記憶が、ダムが決壊したかのように黒々とした奔流となって一気になだれこみ、そして、炸裂した。
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