パスティーシュ

トリヤマケイ

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同化

会えない理由

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   あるいは、とナルミは考える。

   彼女は、誰かのアバターではないだろうか。アバターなのかもしれない。その可能性もなきにしもあらずだ。

   そして、彼女がほんとうにアバターであるとしたら、あの彼女というアバターを操っているリアルな人物は誰なのだろうか。

 思い当たる女性は、何人かいる。が、そんなことは、まあ思考の遊戯にすぎないのかもしれない。

   ほんとうのところ、きっと彼女は、さまざまな思いの集合体なのだ。つまりは、彼女は幻なのではないか。「思い」が彼女という幻をつくった。

 それがなんであるのか、ナルミにも説明がつかない。しかし。「思い」というものは、目に見えないだけで相当に怖いものなのだ。いい方に転がれば、素晴らしいものであるにはちがいないのだが。

    ナルミは、彼女が人々の様々な思いの集合体なのだという自分の考えたこの仮定が、なぜかしっくりくるような気がした。

 その思いの集合体である彼女は、自分になにをいいたかったのか。たぶん、彼女は、なにかを告げにきたのではないだろうか。

   別なある日、運河は波頭も見えないほど真っ暗だった。深夜近くなのでほとんど人通りはない。

   というか、天王洲アイルの回廊という現実に存在するリアルな場所には違いないのだろうが、バーチャルであることもまた確かだ。

   そこらへんをうまく説明できない。目に見えるものが全てではない。例えばゲームのプレイヤーは、ゲームをプレイしている間は、ほんとうに異世界であるゲームの世界に入ってしまう。

   つまり、その時にはゲームの世界という異世界は確かに存在しているのだ。それと同様に、ナルミはPCのモニタを眺めながら、そこに映ずる世界に入ってしまう。

  それは、リアルな天王洲アイルの夜の回廊にそっくりだが、似て非なるものであり、なのでリアルでは見えないものが見えるということだろうか。

   彼女は、横顔しか窺えないけれども、まるであの鏑木清方の描いた美人画から抜け出してきたような美しい女性だったと、以前に書いたがそれはただの曖昧な印象の話であり、実際は洋装であるし現代的な派手な顔立ちをしていた。

   美人は三日で飽き、ブスは三日でなれるというが、この美人さんにも少し飽きたなあと、ある日夢のなかに彼女が出てきたときにたしかそんな風にナルミは思ったが、なぜまた鏑木清方がこの時浮かんだのかといえば、確かにモディリアニのそれでもなければ、ましてピカソやベーコンの描くような顔ではなかった。

   典型的な美人、誰もが認める美しい顔立ちだから、美人画の鏑木清方が浮かんだのかもしれない。

   しかし、実際はピカソの目や鼻の位置がめちゃくちゃであったり、ベーコンの描く顔だけがぐにゃりと蕩けたような、どう見ても人間ではない別な生き物のようなものの方が、より彼女を的確に表現しているのかもしれない。

   とまれ、彼女もまたナルミと同様に回廊の端に佇み、ここからは見えない何かを一心に見つめているのはいつもの事だった。

 ナルミがひとりきりで黒い運河を眺めている時にも、気づけば彼女はずっとそこにいたかのように柱のそばに静かに佇んでいるのだった。

 深夜近く遠く知らない海から霧笛が聞こえてくるような幻聴に囚われる頃、にわかに回廊の人通りはお約束のように増えはじめる。

 そして、それらは確かに有象無象の幻影なのだった。

 その幻影のレイヤーの一枚一枚はごくごく薄い浸透膜のようなものだが、時間の堆積により、目に映ずるようになったのかもしれない。

   いずれにせよ、かつてこの回廊を往き交っていったであろう人びとの残像やら、それらの人びとの想念といったものが幾層にも重なり合い、うねうねとうねっている。

   凝視していると、それは、なぜか色がついてなく、スローモーションになったり、像を結ばないほど速くなったかと思うと、不意にストップモーションになったりする。

   このような流動性を帯びた不規則な動きに対して、ぴたりと静止して微動だにしない彼女だけは、赤いパートカラーで背景から浮き上がって見えるのだった。

   回廊から眺めながら、ふと「みんなウソで塗り固めているのよね」という彼女の言葉を思い出した。では、彼女自身はどうなのだろう。

   すると、その思いが伝わったのか、ちょっぴり彼女の雰囲気が変わったような気がした。ナルミは、ためしにチェンジとつぶやいてみる。

 すると、案の定、彼女の首から上だけが、すげ変わった。 面白いから、チェンジ、チェンジと繰り返すと、次々と顔がすげ変わっていく。

 あーあ、こんな世界はだめだ、だめなんだ。自分の思い通りになる世界なんて。

 すると、フッと彼女の姿が見えなくなった。しかし、消えたのは彼女ではなかった。自分だった。つまり、ナルミが彼女になっていたのだ。

 この彼女と一体化する、みたいなイメージと彼女のあなたは私で、私はあなたなのという言質。

   やはり彼女のいう通り、自分と彼女は、一対のものなのだろうかとナルミは思う。

 と、そこは、すでに夜の回廊ではなく、沼地なのか、そこかしこに大きな水溜り状のものがあり、空と雲が、鏡のような水面に映えて、地面に嵌めこまれたステンドグラスのように煌いていた。

 ナルミの傍らには、毛並みのきれいなシルバーの大きなアフガンハウンドが両足をきちんと揃えてすわっていた。

   たぶん、それはまだ早い朝で、朝靄が谷間からゆっくりと昇ってきながら大気に拡散していくのを、ナルミは眺めた。

 首をめぐらせると、たおやかなカーヴを描きながら幾重にも重なる稜線が幾筋も見えた。それは、まるで墨絵の世界のようで、奥へ奥へと山並みの色合いは淡くなっていく。

 そんな、なんともいえない厳かな眺めにナルミは、うっとりと見入ってしまうのだった。

 ふと気づくと、彼女は完全にナルミと乖離して中空にひとり浮かんでいる。

 彼女は、笑っていた。

 それが、じょじょに哄笑へとかわっていく。高笑いをあげる彼女の口が、耳元まで裂けたかに見えた。

「じゃあ、真実を教えてあげる。あなたは、あの投稿サイトで、ある女性に恋をした。燃え上がるような恋だった。でも、彼女は、不意にあなたの前から姿を消した。あなたはどうしても、リアルで会いたいといい、彼女は、絶対にそれはできないと言い張った、それがそもそもの原因。それでも、あきらめきれなかったあなたは、手をつくしてリアルの彼女の居場所をつきとめた。

   そして、あなたは、彼女がどうして絶対に会わなかったのかを知った。あなたに、そのときの彼女の絶望の深さが少しでもわかるかしら? そして、彼女は自らの命を絶った。そうよ、あなたが、あなたが、殺したのよ。身勝手なあなたが。

   それから、あなたも何度も死のうとした。でも、あなたは死ねなかった。だから、記憶障害になった。
 
   それは、自殺の際に脳を損傷したからではなかった。あなたは自らの意思で
彼女の記憶をすべて消すために記憶喪失になることを選んだのよ、生きるために。そして精神の患いが治ったときには、彼女に関連するすべての記憶は消えていた。

 そういうこと。でも、彼女はあなたのことを怨んでなんていないと思うわ。いえ、むしろ応援してる。あなたには、少なからずファンがいたのよ。あなたには、その人たちのためにも詩作をつづけてほしいの。こころを揺さぶるような詩が、あなたには書けるはずなの。だから、絶対に詩をやめないと約束してちょうだい」
 

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