パスティーシュ

トリヤマケイ

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同化

町工場

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   タロウは、小さな町工場で働いていた。日がな一日、鉄の板に穴を開けたり、ヤスリで研いだりする仕事だ。

   大学を卒業して、いったんは映画の製作の仕事に就いたタロウだったが、精神的に辛くて辞めてしまった。それから定職を持たぬままバイト生活に明け暮れ、今日に至っている。

 この小さな町工場で働き出して、まだ間もなかったがまさか自分でも、こんなインダストリアルな職場で働くことになるとは夢にも想っていなかった。

    今のところ、一応、職人見習といったところではあったけれども、これが人生最後の職場となるのだろうと思うと情けなくもあったが、ホワイトカラーがいやで避けつづけてきたのだから、仕方のないことだった。

 思えば、ただただひたすら逃げ続けている人生なのかもしれなかった。定職を持たなかった理由のひとつは、バンドをやっていたから。

   しかし、その夢もいつしか潰えて、次には小説家を目指したり。計画性といったものの欠如、人生設計の完全なる失敗だった。

 映画の世界に身を置いていたときには、仕事という感覚がほとんどなく、楽しかったといえたのかもしれないが、四六時中なぜこの場に自分がいるのかと自問してばかりしていた。

    映画は、一般映画もピンクもやった。ピンクは、きっちり濡れ場さえ撮ってあればOKなので、一般映画よりも遊べて面白いかもしれないなどと思ったが、それはむろん監督になったらの話であって、もとよりタロウは自分は部外者なのであって、自分のやりたいことはあくまでも音楽なのだからという理由付けをして、映像関連の仕事から身を退いた。

   といえば聞こえはいいが、実は単に逃げたということなのかもしれない。

 タロウは、ドリルを自分のペニスに見立てて、鉄の板を突いて突いて突きまる。鉄のプレートに穴を穿つといっても、一気に穴を開けるのではない。

   ポンチでまず下穴といって小さな穴を開け、それから徐徐に穴を大きくしていくのだ。潤滑油である紅く甘そうなトロリとした液体の入ったブリキ缶の中に切粉が飛び込むと悲鳴をあげるようにジュッと煙を上げる。

   たったいま削り出されたばかりの切粉は、ドリルの摩擦熱によって異常なほど高熱となる。

   紅い半透明の潤滑油を注がれ、クルクルと切粉が螺旋状となって削り出されてくると、うねうねと身を捩じらせ蠢いているような気がして、タロウはいつもニヤニヤしてしまうのだった。

   その蠢くさまが、切粉が喜んで悶えているように思えて仕方なかった。

 しかし、ドリルで鉄板に穴を穿つ作業は、集中していないととんでもないことになる。ドリルの巻き込む力は半端ないのだ。

   相手は機械なのであり、タロウの女の子みたいな柔らかな手など機械に巻き込まれたならば、ひとたまりもない。あたりは一瞬にして血溜まりになるだろう。

 実は、タロウは工業高校出身であり、溶接、鍛造、鋳造、旋盤と一通りの作業を実際に行ったことがある。  

   つまり、まったくの未経験というわけでもないのだが、旋盤の授業では学校創立以来初めて逆ネジを切った生徒ということで、先生たちには有名だった。

   いわゆる工場(こうば)という職場の雰囲気にもある程度の免疫もあるわけでもあるのだが、なかんずくタロウは、高校のときには、工業系の作業がいやでいやで仕方なかった。

   にもかかわらず、なぜまた小さな町工場で働こうなどと考えついたのか、それが自分でも不思議でならなかった。

   けれども、これしかない、という感触はあった。目から鱗ではないけれども、やっと捜していたものが見つかったという感じがした。

   ただし相当切羽詰まっての選択だったことは否めない。これが俺がやりたかったことなんだ、ということではむろんなく、唯一自分に残された選択肢はこれだけなんだということに気付いたといえばいいだろうか。

 勤めはじめて一ヶ月が経った頃には、ようやく作業にも慣れてきたタロウだったが、小学生の頃、近所のお兄さんに悪戯されたという経験があった。

   ここに書くのがちょっと憚れるほど卑猥なことを口走りながら、お兄さんはタロウの下半身を弄んだのだという。

   その時はじめてタロウは射精を体験したわけだが、はじめての射精は、すべてお兄さんの口腔のなかへと吸い込まれていった。(飲み乾した)お兄さんは、アンチエイジングのために若い精がほしいんだと嘯いていた。

   それからも何度かそういうことがあったが、それはクヌギの大木が庭にある廃屋でひっそりと行われていた。

   そんな行為を小学生であるタロウが喜ぶはずもなく、かといって友達にも親にも言い出せず、タロウが取った手段は、行為の行われる廃屋に火を点けることだった。

 タロウはきょうスポット溶接をやった。スポット溶接は、カッコン、カッコンとなかなか軽やかないい音がする。

   ちょっとシシオドシに似ていなくもないとタロウは思う。教えてくれているのは、この道25年という筋金入りの職人の小川さんだ。

小川さんは、もうすぐ退職の歳を迎えるということらしいが、25年はあっという間の出来事だったようだ。

   25年同じ仕事をつづけたことのないタロウは、後悔するももう後の祭なんて弱音は、100年早い台詞だと思った。

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