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同化
夜の回廊 〜ナルミの回想
しおりを挟む話は少し前後するけれど実体化することをタロウから許されたナルミは、とりあえず安堵した。
辺鄙な宇宙の最果てに飛ばされて、あちらの時間で数十年を過ごした後、再びこのリアルな世界に戻ってきたが、リアルな世界では瞬きするほんの一瞬だけの時間しか経過していない。
浦島太郎もそんな感じだったのだろうか。歳を取ったシワシワのタロウでは興醒めだ。せっかく元の世界に戻れたのだから、やはりピチピチのタロウがいい。
タロウは、さっきまで何かゴソゴソやっていた。この頃、急にアートに目覚めたんだオレとか言い出して、クロッキー帳になにやら描いているのだった。
三日坊主だろうとナルミは、高をくくっていたが、意外や意外。毎日のようにタロウはクロッキーを描いている。
文机に突っ伏して寝息を立てて眠っているタロウを見ながら、ナルミも眠くなってきた。
すると、夢ともうつつともつかない、その狭間の中で、忘却の彼方に消えていたはずの過去の思い出が、脳裏に忽然と去来した。
◇◆◇
天王洲アイルの夜の回廊で、ナルミはその人に出会った。
ナルミは、回廊から海みたいな運河を、その夜も眺めていた。夕凪はとうに過ぎさり、鴉の翼のように黒く濡れ光る運河の底では、それがなんなのかわからないが、とてつもなく巨大な何かが、うごめいているような気がした。
揺らめく波頭が線香花火のように、そこかしこで爆ぜているのは、きっとそのせいなのだ。
その人は、横顔しか窺えないけれども、まるであの鏑木清方の描いた美人画から抜け出してきたような美しい女性のように見えた。
ナルミにはむろん彼女のジェンダーが女ではないことがわかった。
彼女もまた、ナルミと同様に回廊の端に佇み、ここからは見えない何かを一心に見つめているのだった。
そうやって、ナルミと彼女は小一時間近く、互いの景色を眺めていた。
深夜近く雨がぱらぱらと風に舞いはじめる頃になると、にわかに回廊の人通りは増えはじめた。しかし、それらはどうやら有象無象の幻影のようだ。
それが、時間の堆積によるものなのか、あるいは、無作為に抽出された或る日のことなのかわからないが、かつてこの回廊を伝っていったであろう人びとの残像やら、それらの人びとの思いが幾層にも重なり合い、うねっている。
それは、モノクロームで、スローモーションになったり、像を結ばないほど速くなったかと思うと、不意にストップモーションになったりした。
このような流動性を帯びた不規則な動きに対して、ぴたりと静止している彼女だけは、赤いパートカラーで背景から浮き上がり、やはり美人画から抜け出してきたのではないのかという疑惑がいや増した。
疑惑などというと、おかしいかもしれないが、つまりは、彼女は、ヒトではないかもしれないと疑念を抱いているということなのだ。いや、別段ヒトでなしでも一向に構わない。
構わないのだが、そのヒトではないかもしれない、いや、たぶん間違いなくヒトではないであろう彼女を、ナルミはすでに強く意識し、愛してしまっているようなのだった。つまりは、ヒトでなし同士というわけだ。
愛は惜しみなく奪う、と誰かがいったが、ナルミは、この愛で、ヒトでなしであろう彼女への愛で、いったいなにを奪われるのだろうか。
それにしても、パートカラーとは……。彼女を見失わないように誰かが気遣ってくれているのだろうか。あるいは、ソーシャルタギングってやつだろうか。
タギング? 不意に飛び出してきたそのワードに、自分でも驚いた。すると、パチパチパチと電灯が灯るようにして、さまざまなもののエアタグが、かたはしから表示されていくのだった。
タギングは、いろんな人がいろんな角度から、タグ付けするわけだから、タグの多寡によって人気の度合いの目安にもなるかもしれないのだが、あまりにも多岐にわたるカテゴリのタグを有するターゲットは、あるいは、さらに曖昧さが増すだけなのかもしれない。
そんなクリスマスみたいに賑やかなタグのツリーのなか、赤く映える彼女にタグはないのかと見てみれば、果たしてタグはあった。それも、ひとつだけ。
ナルミは、そろそろと歩を運び、彼女に近づいてゆく。いや、じっさいは、回廊の床からちょっとだけ浮かび上がってつつつーと、音もなく彼女の傍まで移動する。
そして、ナルミは見た。
彼女につけられたタグを。彼女は、どうカテゴライズされているのかを。
「バケモノ」
タグには、そう記されていた。すると、彼女はいきなりナルミをふりかえると、こういった。
「詩人が消えてしまったの。私の大好きな詩人が。ねえ、いっしょに捜してくださらない?」
ナルミは、応えた。
「ええ、もちろん。で、手掛かりはなにかあるんですか?」
「いえ、なにも。私の大好きな詩人は、自分の作品とともに姿を眩ましてしまったの、跡形もなく」
「そうなんですか。そうなると……ちょっと……」
「もう捜してもむだなのかしら。ていうか、そっとしておいてあげたほうがいいのかしら」
「いや、待ってくださいよ。彼は、たしかに詩人なんですよね?」
「もちろん。彼は、ほんとうの意味での詩人だったわ。ニセモノばかりのこの世界で」
「だったら、探し出す手立てがありますよ、ひとつだけ」
ナルミは、彼女の気を惹きたいがために、口からでまかせをいった。実のところ、そんな詩人のことなど知ったこっちゃない。
でも、彼女が、それだけ御執心な詩人なのだから、利用しない手はない。すると、ナルミの脳裏にむらむらと黒い謀りのイメジが、湧いてくるのだった。
自分が、そいつの身代わりになってやろう。というか、なりすますわけだが。そうして、彼女の愛を独り占めするんだ。
その日は、詩人が出入りしていたという投稿サイトを彼女に教えてもらい、ナルミは回廊を後にした。
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