パスティーシュ

トリヤマケイ

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ナルミ

天敵

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   現界なのか幽界なのか、はたまたその狭間なのか、ナルミは何ものにも逆らわず、抗わず、ゆったりとした気持ちで宙空をゆなゆなと自由気ままに漂っていた。

   数千枚、数万枚もの乳白色やら薄ピンクの花びらのような薄膜が、優雅にたなびく中を夢見心地で、まるで浸透圧のようにゆるやかに透過しながら進んでいった。

   永遠につづくのかと思うくらい、それはひたすらつづいた。とてつもなく大きな細胞の中にいるみたいにナルミには思えた。

   やがてナルミは蛇腹になった開閉する出口から外へと押し出された。地上を眺めやると山間に小さな村落を見つけた。

   狼煙のように上がっている煙がみえる。煙は、きれいに刈り取られ、稲株だけが残る田んぼから、上がっているようだった。

   その田んぼは、山間の猫の額ほどの土地に、そのいびつなフォルムを晒していた。上から俯瞰すると圧縮されてちょうど瓢箪のように見えなくもなかった。

   畦で縁取られた、わずか十数枚の水田。春にお田植えされたばかりの水を張った田んぼが、夕日を浴びて宝石のように輝いている光景をナルミは思い浮かべた。

   そして、そうこうするうちにナルミは特に意図することもなく徐々に記憶が蘇ってきた。

   幼い頃からたぶん、大人びた変な子だったのだろうなとは思う。自分の事しかわからないので比べようもないのだけれど、子どもなのに悟ったようなところがあった。

   外見は男の子なのか女の子なのかわからない、そんな子だったらしい。

    不思議な出来事を経験した事もあった。それは、河原でひとり遊んでいる時のことだったが、学校へ上がる前の男児ならばゆうに溺れるほどかなりな深さのある川の中へと、不意に引き摺り込まされそうになった。

   それは、川床を覗き込んだ直後のことだったと思う。もちろん、周りには誰もいない。ただまるでそこにMRI装置みたいな強大な磁場が発生し、吸い込まれるように身体全体が一気に持っていかれそうになったのだった。

   そのわけのわからない強靭な力は、しばらくしてぴたりと止まってしまったのも不思議だった。やがて、やってきた母に恐怖の一部始終を話す事も出来ないほど、まだ幼い頃の思い出だ。

   しかし、その自分以外知らないはずの出来事を、ある人物———ヒトではないのだけれど———に、大人になってからナルミは、指摘されたことがある。

   それもまた、ある意味怖ろしい悪夢のような思い出だった。その日ナルミは、バイトが終わって友人のユカを待っていた。







   エメラルドグリーンに煌めく黄金虫のバッヂを胸に付けて、一日中青汁を売り歩いていたバイトのナルミは、炎天下のなか、帽子もかぶらずよくぶったおれずにいるもんだなあと他人事のように思いながら、斜め十度ほどの前傾姿勢で、田園へと真一文字にのびている狭い急坂を、まるで、あの蜘蛛の糸の御釈迦様が地獄を覗き込むように見下ろしていた。

   そこは、もともと小高いただの丘にすぎなかった。だが、何年か前の台風と度重なる地震によってその大部分が、地滑りによって滑落し、ノコギリの歯のように切り立った崖になったのだ。

   ナルミは、谷底を見下ろすようにしながら、眼前に広がる田園の青々とした稲穂が風によってうねるさまを、まさしく大海原のそれにちがいないと思うのだった。

「あれは、ぜったい海だ。海にちがいない」そう断言するようにナルミはひとりごちる。それにしても、ユカはなにやってんだろう。あまりにも、遅すぎる。

   ナルミは、イライラとしはじめる。田園をふき渡ってくるまだ生まれたての涼風も、この急坂を這い上がってくる間に、生ぬるいさ湯のようになってしまうのだ。体感温度は、きっともう四十度は、超えているだろう。

 ゆうべ、だいぶ夜更かししてしまったのもまずかった。このままでは、マジにヤバイかもしれない。そう思ったナルミは、木蔭に逃げこんだ。空気は相変わらずムンムンしているが、直射日光をまともに食らっているよりは、よっぽどいいにはちがいない。

 ユカは、待てど暮らせどやってこない。すると、ほんの一瞬だけ、涼風が頬をなぶった。それは、大げさでなく、もうこのまま死でもいいと、思わせるほどの心地良さだった。たぶんこの崖のどこかに、洞穴だか洞窟があるにちがいないと思った。

 ナルミは、もうままよとばかりに、涼風を求めて歩きだした。しかし、ここに洞窟などといったものがあるなどという話を聞いたことがない。

   しかし、それは確かにあった。山肌に、といっても岩だが、そこにぽっかりと横穴が開いていた。どうやら鍾乳洞のようだ。どろどろに溶食された壁面が、見えた。おそらく、新たな滑落があったのだろう。それで姿を現したのではないかとナルミは思った。

    恐る恐る入ってみると、これ以上場違いなものはないというようなド派手な格好をした、西瓜みたいな乳房をもった若い女が、とっつきにある大きな平らな岩に腰掛けていた。

見てはいけないものを見てしまった、そんな気がしてならなかったが、ナルミの足はどうしても回れ右してくれないのだった。

 洞穴内は、案の定涼しい。というよりも寒いくらいだった。左手すぐにいわゆる段々畑の畦みたいなものが幾段も重なりながら、右方向へと回り込むように連なっていた。

    正面奥の壁には、フローストーンだろうか、カーテンのような鍾乳石が舞台装置のように鎮座し、劇的な効果を高めていた。

 そして、磁石に牽かれるようにナルミが近づいていくと、その人物は、やおら話しはじめるのだった。

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