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リアルからの離脱
トラウマによる解離?
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解離は、幼児期に受けた何らかの虐待などの強い心的外傷から身を守ろうとする、その一手段として起こるのが一般的なようだ。そして、その多くは性的虐待であるという。
だが、タロウにはそんな記憶は一切ない。しかし、記憶にないからといって、虐待もなかったとは必ずしも言い切れないのではないか。人は、嫌な思い出は、記憶から消し去ってしまうこともできるからだ。
だから、記憶の欠落というか、高度の記憶の喪失がある場合が多いということだが、白昼夢に耽ってふと忘我となるのも、軽い解離の一例であるらしく、どんな人でも、白昼夢のひとつくらい経験のない者はいないはずなので、別人格の存在に気づくことは、なかなか難しいのではないだろうか。
いや、むしろ世の中の人すべてが、気づいていないだけであって多少の程度の差こそあれ、みな多重の人格を持ち合わせているのではないか、などとタロウは、思うのだった。
記憶の切れ端どころか膨大な喪失がみられたとしても、ノンリニアでうまく繋がれてあれば、誰もそうとは気づくはずもないと思うからだ。つまり、編集箇所を自由に選択でき、映像や音、あるいは、それらにともなるクオリアなどなど、すべての記憶データの追加・削除・修正・並べ替えを担う者が存在すれば、容易に騙されてしまうだろうからだ。
そして、そのノンリニア編集がうまくいかなかったとき、症状として障害が現前してくるのではないか。
スーパーコンピュータ何台分もの処理能力を有するであろうヒトの脳というものは、複数のCPU、たとえば一万個ならば一万個のCPUが並列処理を行うようなものではないだろうか。そのCPUひとつが、ひとりの脳と考えると別人格が一万人存在することになる。
そしてそれは、変な話、並列に並んでいるのではなく、入れ子構造となっているのではないか。たとえばそれは、合わせ鏡のように、あるいは、ビデオカメラで、そのカメラが撮影した映像を同時に出力するモニターを覗き込んでしまったときのように、延々と奥へ奥へとループする感覚だ。
だからタロウの思う多重人格の構造とでもいうべきものは、並列でもなければ単なる直列でもなく、奥へ奥へとループする入れ子構造なのだ。
では、なぜまたナルミなる人物? がコンタクトしてきたのかという点がまだわからないのだが、自分が無意識のうちに強くそう望んだのではないだろうかとタロウは思った。
そして、その願望がそういうシナリオをタロウ自身に書かせたのではないかと思うのだ。自分に都合のいい結果がえられるようなシナリオ。バイセクシャルなナルミなる人物をでっちあげ、バイセクシャルな自分の性癖をそいつにまとわせて、それがあたかも自分はノーマルである証左にほかならないと暗に匂わせたのだ。
確かに、そこまでは狙い通りに事は進み、タロウの所期の目的は達せられたかに見えた。が、しかし。そうは問屋が卸さなかったということなのか。
ナルミなる想像上の人物が、ほんとうに実在しているのだった。
これは、タロウのまったくの想定外の出来事ではあったけれども、またぞろタロウの本人乙であるところの自作自演のくさい小芝居によって、つまり、あたかもほんとうにそのような交代人格がもうひとりいてほしいとのシナリオを、大根役者がまがりなりにも願い演じたので、イワシの頭も信心からというわけで、ほんとうにナルミが生まれてしまったのかもしれない。
しかし、それは紛れもない事実だった。
ある日、タロウは、自分が書いた記憶のまったくない文章や日記、あるいは、小説まがいのものまで、ラップトップのマイドキュメントに残されていることを発見した。
これは、決定的だった。
書いた記憶など一切ない文章というものが、どんなものであったかといえば、アラン・ロブ=グリエやら金井美恵子、深沢七郎、チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ、トマス・ピンチョン、カルペンティエール、エイモス・チュツオーラ、マイケル・オンダーチェ、ヴァージニア・ウルフ、ホセ・ドノソ、レイナルド・アレナス、ジェイムズ・ジョイス、ジュリアン・バーンズ、ロバート・クーヴァー、クロード・シモンといった作家の書いた文章を引用して……それらには逐一引用先の本のタイトルと作家名が記載されてあった……そこから自分の文章に転化させてしまうパスティーシュ的な創作文やら、覚書きのような数々のフラグメント、あるいは、まったく意味不明のバロウズをパクっただけのようなカットアップ的ジャンク文章、それに日記、スケジュール、わけのわからない詩、俳句、短歌、食べたものの単なる記録、チラシの裏的なただの落書き? ウソのニュース記事、アフィリエイト用の宣伝記事、手紙、レシートだけを貼り付けてあるノート……などなど、とにかくありとあらゆるテクストが混在し、羅列されていた。
そして、創作のメモ書きとしてナルミの生の声も、書かれてあった。
それは、こんな具合に……。
だが、タロウにはそんな記憶は一切ない。しかし、記憶にないからといって、虐待もなかったとは必ずしも言い切れないのではないか。人は、嫌な思い出は、記憶から消し去ってしまうこともできるからだ。
だから、記憶の欠落というか、高度の記憶の喪失がある場合が多いということだが、白昼夢に耽ってふと忘我となるのも、軽い解離の一例であるらしく、どんな人でも、白昼夢のひとつくらい経験のない者はいないはずなので、別人格の存在に気づくことは、なかなか難しいのではないだろうか。
いや、むしろ世の中の人すべてが、気づいていないだけであって多少の程度の差こそあれ、みな多重の人格を持ち合わせているのではないか、などとタロウは、思うのだった。
記憶の切れ端どころか膨大な喪失がみられたとしても、ノンリニアでうまく繋がれてあれば、誰もそうとは気づくはずもないと思うからだ。つまり、編集箇所を自由に選択でき、映像や音、あるいは、それらにともなるクオリアなどなど、すべての記憶データの追加・削除・修正・並べ替えを担う者が存在すれば、容易に騙されてしまうだろうからだ。
そして、そのノンリニア編集がうまくいかなかったとき、症状として障害が現前してくるのではないか。
スーパーコンピュータ何台分もの処理能力を有するであろうヒトの脳というものは、複数のCPU、たとえば一万個ならば一万個のCPUが並列処理を行うようなものではないだろうか。そのCPUひとつが、ひとりの脳と考えると別人格が一万人存在することになる。
そしてそれは、変な話、並列に並んでいるのではなく、入れ子構造となっているのではないか。たとえばそれは、合わせ鏡のように、あるいは、ビデオカメラで、そのカメラが撮影した映像を同時に出力するモニターを覗き込んでしまったときのように、延々と奥へ奥へとループする感覚だ。
だからタロウの思う多重人格の構造とでもいうべきものは、並列でもなければ単なる直列でもなく、奥へ奥へとループする入れ子構造なのだ。
では、なぜまたナルミなる人物? がコンタクトしてきたのかという点がまだわからないのだが、自分が無意識のうちに強くそう望んだのではないだろうかとタロウは思った。
そして、その願望がそういうシナリオをタロウ自身に書かせたのではないかと思うのだ。自分に都合のいい結果がえられるようなシナリオ。バイセクシャルなナルミなる人物をでっちあげ、バイセクシャルな自分の性癖をそいつにまとわせて、それがあたかも自分はノーマルである証左にほかならないと暗に匂わせたのだ。
確かに、そこまでは狙い通りに事は進み、タロウの所期の目的は達せられたかに見えた。が、しかし。そうは問屋が卸さなかったということなのか。
ナルミなる想像上の人物が、ほんとうに実在しているのだった。
これは、タロウのまったくの想定外の出来事ではあったけれども、またぞろタロウの本人乙であるところの自作自演のくさい小芝居によって、つまり、あたかもほんとうにそのような交代人格がもうひとりいてほしいとのシナリオを、大根役者がまがりなりにも願い演じたので、イワシの頭も信心からというわけで、ほんとうにナルミが生まれてしまったのかもしれない。
しかし、それは紛れもない事実だった。
ある日、タロウは、自分が書いた記憶のまったくない文章や日記、あるいは、小説まがいのものまで、ラップトップのマイドキュメントに残されていることを発見した。
これは、決定的だった。
書いた記憶など一切ない文章というものが、どんなものであったかといえば、アラン・ロブ=グリエやら金井美恵子、深沢七郎、チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ、トマス・ピンチョン、カルペンティエール、エイモス・チュツオーラ、マイケル・オンダーチェ、ヴァージニア・ウルフ、ホセ・ドノソ、レイナルド・アレナス、ジェイムズ・ジョイス、ジュリアン・バーンズ、ロバート・クーヴァー、クロード・シモンといった作家の書いた文章を引用して……それらには逐一引用先の本のタイトルと作家名が記載されてあった……そこから自分の文章に転化させてしまうパスティーシュ的な創作文やら、覚書きのような数々のフラグメント、あるいは、まったく意味不明のバロウズをパクっただけのようなカットアップ的ジャンク文章、それに日記、スケジュール、わけのわからない詩、俳句、短歌、食べたものの単なる記録、チラシの裏的なただの落書き? ウソのニュース記事、アフィリエイト用の宣伝記事、手紙、レシートだけを貼り付けてあるノート……などなど、とにかくありとあらゆるテクストが混在し、羅列されていた。
そして、創作のメモ書きとしてナルミの生の声も、書かれてあった。
それは、こんな具合に……。
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